03


夜勤以外のすべての隊士さんが入浴を済ませたのを確認したうえ、わたしもお風呂場へ向かった。
広々とした大浴場を独り占めさせていただき、既にもんもんと湯気が立ち込める脱衣所でハッとする。

・・・・・・ど、どうしよう。
下着の上に着物を羽織ったは良いものの…。え、どうやって着るんだ?

寝巻き用の着物・・・、いや浴衣というのか?そもそも着物と浴衣の違いとは、なんて今まで考えたことのない疑問符を大量に浮かべる。また、いざ着付けようとすれば襟元がどちらを上にしていいのかも混乱してわからなくなってしまった。


池に落ちたせいで濡れた脚は土方さんが持ってきてくれたタオルでなんとか現状復帰。胸元の赤は所詮水だ。そのまま我慢して夕食を頂いた。

そしてその後近藤さんの申し出により炊事を担っている女中さんが、自分の娘さんが着なくなったというお古の衣類をいくつか持ってきてくれたのだ。感謝の言葉を何度も告げているとその女中さんは右手の親指と人差し指の先端をくっつけて円を作り『あとは局長さんのコレで買ってもらいな』なんて言い、わたしの背中をバシバシと叩いた。


そんなありがたい着物なのだが自らの背丈よりも長い裾を引きずりながら、脱衣所のから廊下へと繋がる引き戸に手を掛ける。そして、顔だけを外に出してそっと周囲の様子を窺う。予想以上に暗闇に包まれた空間が目の前にあり、一層不安を抱いて目頭が熱くなり鼻もツンとしてきた。

幕府に仕えるお役人ではあるが、正直屯所内を『きれい』や『豪華』という表現できない。ましてやわたしのように江戸の町並みを懐かしいとも思えないのであるのだから、例えるならばお化け屋敷にいる感覚だ。

ああ、そんな考察をしてしまったことに後悔する。あれよあれよという間に余計な想像が脳内を侵略していく。既に誰も通らない廊下を眺めているだけでもつらく感じて、そのままズルズルとしゃがみ込んで俯く。引き戸の敷居に作る水溜りは毛先からの落ちる水滴なのか、それともとうとう我慢ならず溢れた涙なのか。

そこにギシリと音が鳴りわたしの恐怖感は最高潮に達し、突然できた目の前の影に慌てて頭を引っ込めようとするけれど、結果的には戸につっかえてガタゴトと音を立て耳の後ろあたりを痛めるだけだった。ああなんてどん臭い。

「痛っ、た・・・!」
「なーにしてんでェ?」

間延びした声が間近できこえる。毛先からの水滴に、冷や汗、涙。いろんなものでぐしゃぐしゃになった顔をゆっくり上げると、大きな瞳がわたしの目線に合わせてじっとこちらを見ていた。

「お、き・・・」

- - -

「・・・その、助かりました。ありがとうございます」
「どーいたしやして。あー、良い暇つぶしになりやした」

真選組一番隊の隊長である沖田総悟に着付けてもらった。なんて一生の不覚。恥。あれよ、それこそ切腹したい。そうだよね、このサディストが普通に着付けてくれるはずがない。ただでさえ半日で冷や汗と涙で体内の水分を極限まで失ったというのに、彼のせいで声が若干掠れてしまったではないか。とは言ったものの、やはり偶然しろ通りかかったことと声を掛けてくれたことに感謝している。

「アンタの居た地球には着物がないんですかい?」
「ううん、『あった』よ。でもわたしの生まれた頃にはもう洋服が九割以上を占めている」
「ふうーん」
「もしかしたらね、今後も文化や風習の違いに戸惑うかもしれない。間違ったことも、しちゃうかもしれない」
「そりゃ仕方ねぇーことだ。短気な土方さんはともかく、近藤さんや俺たちが怒鳴るこたぁーないんで」

長い長い廊下を二人並んで歩いていると、わたしの隣で大きな欠伸をして彼は『でも、』と続けた。ニヤリと口角を上げて不敵に笑む。嫌な予感しか、しない・・・。

「お望みならいくらでも調教してやりまさァ」
「けっ、けけ!結構でござぁ・・・!」
「なんじゃその日本語は。まさかそのナリで学無しか?」
「ちゃんとお勉強しまし、んぐっ」

むきになって抗議するが、彼の手に邪魔をされ最後まで言わせてもらえなかった。しかしその行為の理由はまともなものだった。隊士らが起きちまうだろうが、と。流石に申し訳なく思い、しゅんとしながら小さな声で謝罪する。いや、したかった。

「「・・・・・・」」

彼は何故、手を離してくれないのか。そして何故どさくさに紛れて鼻までも摘まみ呼吸をさせてくれないのだろうか。

自らの頭ひとつ分高くある瞳を睨んでやると、あどけなさの残る天使のような笑顔が向けられた。今までのように客観的に拝めるものであれば『きゃー、キラースマイル!』と叫んで引っ繰り返りながら悶えたことだろう。しかしそれはあくまでも自分自身が三次元に存在し、二次元の世界を一方的に嗜むとき。今のわたしには該当しない。

「なんだぁ?何か言いたそうだな。ほらぁ、言ってみなせェ」

こんの、やろう・・・!

過去に『沖田総悟にいじめられたい』やら『あんな弟がいたら・・・』などと心から思っていた事実を前言撤回してやるんだから。

懸命に彼の手を口もとから剥がそうとしてみるが、この細めの身体から想像できないほどの力で。次第に酸素も不足してくらりとしてきた。すると、彼はわたしに触れていた部分をパッと離した。ゼエゼエしながらも『何すんのよ』と再び睨む。

「・・・・・・?」
「あー、そっか」

急に呆気に取られた表情をみせる目の前の男はひとり納得をしたように呟き、珍しくつらつらと考察を口にし始めた。

「そういやぁ、宝野ありかっていうヤツが地球人なのか天人なのか。まだわかんねぇんでしたっけね。もしかすると猫被ってるけどどっかのチャイナみたいな暴力女かもしれねーし、朝になったらとんでもない化け物天人になってるかもしれねーってわけだ。江戸も大層おっかねー世の中になっちまったな。近藤さんのお人好し過ぎにゃー困ったもんだ」
「チャイナ・・・?ってちょっと、」

『チャイナ』という表現が神楽ちゃんを指すのはすぐにわかった。そしてわたしが夜兎族やその以外の危害を及ぼす人間と変わりない容姿の天人である可能性もあるのだと疑える、と。そんなバカな。こうしてたった半日で幾度も無く悪戯を回避できなかったではないか。

「わたしは!・・・わたしは、」

つい先程声が静かにするよう警告されたばかりだというのを思い出し、ボリュームを改めて抑えて口を開く。

「地球人じゃないって判断されても構わない。でも、人の厚意を仇にしたりなんかしない」

既に数メートル先を歩いて自室に入ろうとしていた背中に告げる。

ソイツはフッと笑って廊下から姿を消す。その笑いがどのような解釈をされたかまではわからないものの、自らの意をはっきりと口にできたとは思っている。

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