『いらっしゃいませ』
今日も彼女は笑顔で俺に接客する。
彼女とは、とあるカフェでバイトをしている苗字という女の事だ。
下の名前はしらない。
ただ、胸につけてあるネームプレートに“苗字”と書いてあったのだ。
このカフェに通い始めてからもう一ヶ月くらい経つだろうか。
一ヶ月前、俺は終わらない生徒会の仕事を学校に残ってやっていた。
しかし忍足やら向日やらが邪魔で全く先に進まない。
購買に行って飲み物を買ってくると嘘を言い、俺は学校を出た。
近くの喫茶店か何かでやろうと静かな場所を探した。
それがこのカフェだったのだ。
中に入ると心安らぐジャズが流れている。
そして俺はあの店員に会った。
それまでの俺は、女の笑顔と言う物に一種の軽いトラウマがあった。
何をされたわけでもない。ただ胡散臭い笑顔に辟易していたのだ。
それが、あの店員の笑顔を見た瞬間俺は電撃が走ったような感覚を覚えた。
素敵だ。キレイだ。そう思った。
それから俺はこのカフェに通うようになった。
彼女は記憶力がよく、人の名前や顔をすぐに覚えた。俺が三回目に来たときには彼女はもう俺の顔を覚えていて、この辺にお住まいなんですか?と聞いた。
彼女と初めて交わした会話だった。
『ご注文はお決まりでしょうか?』
「いつものやつで頼む」
『かしこまりました』
会釈をして彼女は去っていく。
しばらくすると注文したエスプレッソを持って俺の所まで来た。
『お待たせいたしました。エスプレッソでございます』
「あぁ。」
『高校生なのに随分大人なチョイスですね』
「まぁな」
『今日も生徒会のお仕事ですか?』
「あぁ。仕事が溜まっていてな」
『それサラリーマンみたいですよ?跡部さん』
「名前…。俺の名前知ってるのか?」
『はい。有名でしたもの』
「有名…?」
『私、氷帝学園を去年卒業したんです』
「は…?」
氷帝を卒業…?去年って事は今大学1年…
『見ましたよ。入学してすぐ、テニス部の先輩達を蹴散らしたあの試合』
「………マジかよ…」
なんて事だ。中一の時のあの試合を彼女が見ていたなんて。しかも同じ高校…。
「お前名前は…?」
『お前って…私先輩なんだけどなぁ。』
「あ、すいません…」
『いやいいのよ、今はお客様だしね。
私は苗字名前です。よろしくね跡部景吾君』
名前…。彼女は苗字名前っていうのか。
「名前ちゃん、ちょっと手伝って〜!!」
『あ、はい店長!!じゃ、私店長に呼ばれているので行きますね。あっ、アドレス教えてくれませんか?』
彼女は早口にそう言った。俺は急いで自分のメールアドレスが書かれた名刺を取り出して彼女に渡す。
ありがとう、今夜メールするね。と言って彼女は店の奥に消えた。
その夜、携帯に届いたメールを見て俺は顔を緩める。
そしてまた俺は、彼女に会うため学校帰りにあのカフェへ行く。
いつものあの笑顔に会うために。
『いらっしゃいませ、景吾君』
「今日もいつものやつで」
『かしこまりました』
ただ変わったのは、お互いを名前で呼び合うようになった事。
*END*
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