もういや、と逃げ出した総てから拒絶されている気がする。ざあざあと降りしきる雨の中、公園に置かれたトンネル型の遊具はひどく息苦しい。まるであたしを取り巻く世界みたいだ。子供のころはあんなにも簡単に入れて、少し手狭な感じが心地よかったのに。いつからこんな風に息苦しく冷たく重いものになってしまったんだろう。どうして。ぐるぐる回り始めたネガティブな思考が体の運動神経を乗っ取っていく。あたしは悪くなかった。ただいつも通りにあたしらしく生きていただけなのに。脈絡が見えはじめた思考に目が熱くなった。あぁ、泣きそうだ。慌てて膝に顔を埋めれば、トンネルの中に反響する雨音が遠ざかるようで、このまま溶け出して消えてしまえたらいいのに、なんて思った。


「ここに、いたのか」


リフレイン。雨音のざわめきが蘇る。もう日も落ちて数時間もたった今じゃ、公園を照らすのはちっぽけな街灯が二つだけで。あたりは暗く沈んでいて、声の持ち主の顔を見えそうにない。何年も隣にいた幼馴染でなければ、きっとあたしは叫んで逃げだしていただろう。


「伝七だ、やっほー」

「馬鹿、そんなこと言ってる場合か」


へらりと笑えば、ぺしんと叩かれる。相変わらずあたしの扱いがひどい男だな、なんて見上げていると冷たい雫が頬へ滴った。あれ、と思ってよくよく見れば、まさに濡れ鼠と言うに相応しい状態で、赤味がかった茶髪もへたりと力なく下がっている。ああ、と呟きが落ちた。


「水も滴るいい男?」

「…馬鹿なこと言ってないで、帰るぞ」


ほら、と差し出された手は大きい。昔からあたしを引っ張るのはこの手だったっけ。じっっと見つめれていると怪訝そうな視線を向けられた。でもね、ごめん。一緒には帰れないよ。


「やだ、帰らない」

「やだって、お前な…」

「絶対に、帰らない。伝七だけで帰って」


ばいばい、とあたしが手を振ると伝七は大きく首を振りながら溜め息を吐いた。あ、呆れてるときの溜め息だ。長年の経験がそう判断する。どうするんだろう。ただ眺めていると、あたしを奥に押しやって、トンネルの中に座った。あれ。予想外の行動に首をひねる。伝七ってこんなことするっけ。二人が入って余計に狭くなったトンネルには少しばかり重い沈黙が居座っている。


「どうした?」


あたしの面白くも何ともない顔を見つめながら、伝七は聞いた。いやに穏やかな声は当然のように身に沁み入って、あたしの表情筋の主導権を持って行ってしまう。ぼろ、と涙がこぼれた。


「あたし、悪くないよ。頑張っただけだもん」


ぼろ。ぼろぼろ。涙と一緒に言葉も落ちていくみたいで、怖くなったあたしは目を擦る。


「やめろ、赤くなるだろ」

「…だって」

「ああもう、ほら、泣いていいから」


ぎゅ、と抱き締められて、あたしは思わず息を止める。濡れた服に指先が冷えていくのを感じた。


「あたし、ずるいのかな」


友人の言葉が頭の中で繰り返し繰り返し反響する。なまえのせいで、あたしはいつだっておまけ扱い。いいよねなまえは。勉強も運動もできて、おまけに可愛くてさ。なまえはずるいよ。胸に刺さる気がした。あたしはそんなつもりで生きていたんじゃないし、そういうつもりで話していたわけじゃないのに。もう、やだよ。口に出してしまえば、涙は次から溢れてきた。本格的に止まりそうになくて、びしょ濡れのシャツに顔を押し付ける。あたしは、誰かのために生きてるわけじゃないんだ。ステータスのように扱われる出来のいい友人でもないし、母親の近所自慢の道具でもないし、学校の評価を上げるための模範例でもないのだ。あたしはあたし。あたしはあたし以外の何物でもないし、何物にもなれないのだ。ぐずぐず、すすり泣くあたしをあやす様に伝七は背を撫ぜてくれる。あぁもう、なんでそんな優しいの。更に泣きそうになって、あたしは慌てて口を開いた。


「あたし、伝七がモテるの、わかった気がする」

「…言っておくが、僕はお前以外の女にこんなことしないぞ」

「え、うそ」

「嘘じゃない。更に言うと、お前以外の女の為にこんなに濡れるまで探したりしないし、脈絡のない話を聞いてやることもない」


びちょびちょに濡れて冷えているはずなのに熱く感じる手がそぅっとあたしの涙を拭った。


「ほら、帰るぞ」


あたしの世界はひどく狭くて息苦しくて、いろんなものに縛られていて。年を経るたびに厭世感が増していく。自分の世界に勝手に閉じこもって、勝手に息を止めて、勝手に狭く下らないものにしてしまった。そのはずだった。


「なまえ、お前は悪くないよ」


なんだ。別にあたし、こんな世界でなくても生きていけるじゃない。がらがら世界が崩れる音がやけに心地よかった。





アルペジオを乱す
(ねぇ、もう少し、頑張ってみようか)





 
リフレインだとかアルペジオだとか音楽用語を入れておきながら楽器の出ない小説でいいんだろうか。
 



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