雨の日になると思い出す。それはまるで治りきっていない傷の瘡蓋を剥がすようで、歯がゆくて、もどかしくて、息苦しいのにほんの少し期待してしまう。終わった恋を未だに引きずっていることを認めたくなくて、私はあの日をなかったことにしようともがいていた。


「ね、最近彼氏とどうなの?」


中学から一緒なだけでまるで私の親友気取りな友人が嬉々として尋ねた質問で、はっと、思考に没頭していたことに気付く。今日何度目になるだろう。梅雨真っ只中のこの時期に窓際の席になったのは痛い。手持ち無沙汰になると途端に思い出してしまう。ああ、んー、と音だけしか返さない私に業を煮やした友人が乗り出してくるのを視界の端に納めて、とりあえずはこの話題に付き合うことにした。思い出さないためには何かをしていればいいのだ。窓を打つ雨の音を無視するように少し声を大きくした。


「一昨日に、別れたよ」

「嘘ぉ!何で!?」

「何となく?」

「え〜、もったいなぁい!ラブラブだったじゃん!」


傍からはそう見えていたのか、と内心感心する。それはきっと名前の上だけの彼氏が一生懸命取り繕っていたからだろう。私は答えることはすれど自分から何かをすることはなかったから。


「もー、相談とか乗ったのにー」

「問題とかがあったわけじゃないからね」

「今度何かあったらあたしにちゃーんと言ってよ!トモダチなんだから」

「うん、ありがと」


一方的な親切を押し付けて帰っていった友人がいなくなると放課後の教室は何時になく静かだった。ほぼ終わりかけの日誌は今日の天気の欄だけが開いている。雨の日にはお決まりの傘のマークを描いて顔を上げると、廊下を小走りで何やら話している人影が横切った。


「ああもう、学校には来るなよ!」

「小雨だろ!いらないったら!」

「わかったよ、借りる、借りるから!」


あ、と思い出した。あの声は隣のクラスの夏目くんだ。思わず立ち上がると椅子ががたんといつもより大きな音を立てる。瞬きの音すら聞こえそうなほど周りが静かになって、友人が出て行ったきり開きっぱなしだった引き戸の向こうで夏目くんが息を呑む音が聞こえた気がした。


「・・・あ、」


人影はひとつしか見えない。だから夏目くんのさっきの言葉は独り言のはずだ。けれど相手がいるかのような間の置き方や本当に会話しているような雰囲気は独り言じゃないぞと証明しているようだった。私には見えないけれど夏目くんには見える何かがいて、夏目くんはその何かと本当に会話しているのだと。


「夏目くん、でしょう?田沼くんとよく一緒にいるよね」


色白な顔から全ての血の気が引いて蒼白になっていた夏目くんにとりあえず関係ないことを言ってみる。私は今更ながら立ち上がったことを後悔した。


「あのさ、」

「演劇の練習?」


嘘だ。さっきの言葉は作り物なんかには思えないし、状況が今と一致しすぎている。それでも私はあんな風に悲しいことを思い出して苦しそうな顔をしている人の傷を抉るような真似は出来なかった。


「夏目くんってミステリアスな人だから、ちょっと吃驚しちゃった。役者志望だったりする?」

「え、あ、…まぁ、うん」

「ふうん、そうなんだ。夏目くん、カッコいいからきっとすぐに売れっ子になれちゃうね」

「そんなことないよ」

「そうかな。さっきのすごく上手だったよ?」


沢山の言葉を並べると少しは安心したのか夏目くんはいつもみたいなミステリアスな夏目くんに戻っていた。


「えっと、・・・みょうじだよな?」

「うん、正解」

「田沼がこないだ話してたから」


心臓が震えた。田沼くんの名前ひとつで私の平静なんて塵に帰すのだ。私は出来る限りのいつもの顔でそうなんだ、と相槌を返した。何の話だったの、なんて聞けるわけがない。私の中であの恋は終わったのだ。今更どうすることができるだろう。



レイニー・ブルー



「今のこと皆には言わないでほしいんだけど」

「いいよ。そのかわり夏目くんが売れっ子になったら『学生時代にその志を打ち明けた同級生』とかでテレビにでちゃうかもしれないけど」


この何も変わらない日々を望んでいるのは私よりも夏目くんかもしれない。いつだったかクラスの皆で肝試しをしたときに田沼くんが何も仕掛けていない場所で驚いていたのを思い出して、また胸が苦しくなった。






 
何でこんな厭世的なヒロインになっていくんだろう。
 



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