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□不自由だけど幸せな甘い恋




恋、と言うものはとても不自由だと思う。


「あれ?音無さん香水とかつけるんだね」
練習の合間、ベンチに座って各選手の練習メニューのチェックをしていると、隣に座りタオルで汗を拭っていたヒロトさんがそう言った。
「え?何もつけてないですけど…」
私がそう答えると、ヒロトさんは吸い込まれてしまいそうなほど綺麗なグリーンの瞳を数回瞬かせて「ああ、」と納得したように笑った。
「そっか。シャンプーの匂いかあ…何か女の子、って感じでキュンてするなあ」
なんて汗を拭いながら冗談なのか真面目なのか分からない感じで笑うヒロトさんに、私は頬が熱くなった。
その後すぐに「あ、じゃあ俺戻るね」とタオルを私に預けて練習に戻って行くヒロトさんの背中を見送りながら、店で一番安いシャンプーなんだけどな…と、熱くなった頬を押さえてちらりと自分の髪の毛先を指先で摘んですんすんと嗅いでみる。
もっと女の子っぽいちゃんとしたの使っとけばよかったな…
「…あ、」
そこでふと思い出す。
シャンプー、切れちゃったんだっけ…練習が終わったら雷門中の近くのドラッグストアに買いに行こう。


そうして冒頭に戻る。
恋とはとても不自由だ。

練習が終わり、監督に外出許可を得てドラッグストアに来た…のはいいものの、私はもうかれこれ30分はこうして店内のシャンプー売り場に居座っている。
早く合宿所に戻らないと夕食の支度だってあるのに…いつもなら迷わずにその日一番安い特売品のシャンプーとリンスを買うのだが、今日はその特売品を無視してCMや雑誌でよく見かけるシャンプーの香りのサンプルを嗅いで回る…が、正直どれも似たような香りでどれがいいのか分からない。
「…どういうのが好きなのかな」
サンプルと自分の髪を摘んで嗅ぎ比べてみてもさっぱりだ。
そしてふと目に止まった新商品のポップが付けられた可愛らしいピンクのボトルのシャンプー。
その前に備えられた香りのサンプルを手に取って嗅いでみる。
いろんなサンプルを嗅ぎすぎて若干鼻が麻痺していたけど、ほのかに鼻腔をくすぐる甘酸っぱい香り。
何度でも言う。恋ってやっぱり不自由だ。もっと言えば面倒だ。
好きな人の「シャンプーの匂いがキュンとする」なんて、何気ない一言からシャンプーひとつでこんなに悩まなくてはいけないなんて…
そう思いながら、その甘い香りの可愛らしいピンクのボトルのシャンプーとリンスを手に取ってレジに向かった。


翌朝、洗濯物を干す為大きなカゴを抱えて廊下を歩いていると、丁度部屋から出て来たヒロトさんにどきっとする。
「あ、おはよう音無さん」
「お、おはようございます」
いつもの様に柔らかく笑うヒロトさんに、私の声は少し上擦った。
「洗濯物?俺手伝うよ」
「え!?い、いえ、大丈夫ですよそんな…」
「いいから。ほら、まだ時間も早いし」
そう言ってヒロトさんは私の持つ大きな洗濯物カゴをひょいと拾い上げた。
すたすたと隣を歩くヒロトさんをちらりと見上げ、こっそり自分の髪の毛先を摘んでみる。
昨日、悩みに悩んで選んだ甘い香りのシャンプー…どうなんだろう…

外は朝の少しひんやりした風が心地よく吹いていて、干されたシーツやタオルやTシャツがゆらゆら揺れていた。
「ヒロトさん、手伝ってくれてありがとうございました」
お陰で早く終わりました!と言うと、ヒロトさんどういたしまして、とそよ風に髪を揺らして微笑んだ。
それが凄く幸せで、私も自然に口元が綻ぶ。

「あれ?音無さん、シャンプー変えた?」
洗濯物カゴを持ち上げた私のすぐ隣でヒロトさんが首を傾げた。
「え?あ…」
気付いて貰えた事が嬉しくて恥ずかしくて胸がきゅうっとしてドキドキする。
「…ヒロトさんに、キュンてして欲しくて」
そう言ってヒロトさんを見ると、やっぱり綺麗なグリーンの瞳を瞬かせていた。
ああ、今私ハズしたかもしれない…と急激に恥ずかしくなって「キュンてしちゃいました?」と茶化しながら言う私にヒロトさんは、目を細めて少し頬を赤らめて笑う。
「…うん、した。音無さんだから余計にね」
そう言ってヒロトさんは白くて細い指先で顔を真っ赤にした私の髪にふわりと触れた。

恋って、些細な事が気になって、面倒で不自由だけど…ドキドキして嬉しくて幸せなんだな、ってヒロトさんに引き寄せられながらそう思った。


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こないだ立ち読みした少女漫画雑誌の好きな作家さんの漫画にキュンとして。

2011.10.4

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