かげおい

背中が痛い。
今まで感じたことの無い痛みがぐっさりと突き刺さる。

体が動かない。
金縛りにあったかのように自由が奪われる。

涙が止まらない。
壊れたかのようにぼろぼろととめどなく溢れてくる。


タミヤ君、ダフ、ま……


「…ネダ。おい、カネダ」
「んん……タミヤ君?」
「遅くなって悪かったな」
「ん……あれ、二人とも…」
「こんなところで寝たら風邪引くよ?」
「う、うん。いてて……」

手をつくと、そこはひんやりと冷たく硬かった。倒れていた世界が平行に戻る。見慣れた風景は小学生の頃から秘密基地にしている廃工場で、今は自分と幼馴染二人の三人しかいない。外は雨が降っているのだろう、遠くでトタン屋根に雨粒が落ちて弾ける音がする。
どうやら床で寝てしまっていたらしく、あちこちの痛みで身体が悲鳴をあげていた。それにしても寒い。早く帰ろう、そう言って先を行くタミヤ君とダフに続こうと立ち上がる。足元がおぼつかなく、慌てて体制を整えてなんとなく後ろを振り向いた。くしゅんと小さなくしゃみが出る。雨の寒さと床で寝ていたのが相まって、ダフの言ったとおり風邪を引いたのかもしれない。腕をさすりながら鼻を啜ると、素朴な疑問が頭に浮かぶ。


「あれ、僕なんでこんなとこで寝てたんだっけ?」



***


『……だからおかしいと思ったんです。ずっと話してたり笑ってたりしてたから』



「ねえ、タミヤ君かダフさ、どっちか足怪我してる?」
「いや、してねえけど?」
「なんで?」
「だってどっちか足引きずってるでしょ?隣歩いてるのに足音だけずれて聞こえるんだもん」
「それ、カネダが歩くの遅いだけじゃないの?」
「うわ、ダフにだけは言われたくない」
「僕だってカネダには言われたくないよ」
「まあまあ。カネダ、それいつから聞こえるんだ?」
「えっと、この間僕が光クラブの床で寝てて二人が迎えに来てくれた後ぐらいからかな?」

あの日からだった、歩くたびに足音がずれて聞こえるようになったのは。自分の足音はきちんと聞こえているのに、更にそれに加えて一人分、余計に聞こえるようになったのは。最初はすれ違った人のものか、聞き違いかと思って特に気にはしていなかった。しかし一人で歩いている時にもその足音がするものだから、怖くなって思わず二人に聞いてしまった。けれど、結局その足音は二人のものではなかった。

「んー、じゃあ他の人なのかな?」

普段一緒にいる二人では無いのだからその可能性は低いけど、万が一、ということもあるかもしれない。淡い期待を抱いて雷蔵、デンタク、ヤコブの元へと行く。しかしここでも、返ってくる答えは同じだった。

「私じゃないわよ?大体、カネダと一緒にいるのなんて光クラブの時くらいしかないじゃない」
「疲れているんじゃないですか?疲労が原因で幻聴や幻覚が起こることはよくありますよ。今日は早く帰ってゆっくり寝るのをオススメします」
「俺じゃないぜー?タミヤかダフじゃないのか?」

この三人でもないとすると、自分がよく接する人間は限られてくる。しかしどうもその人の元へと向かうのは気が進まない。絶対どうかしてると思われて氷のような眼差しを向けられるに違いない。その様子を想像するだけで身震いをしてしまう。

「そんな訳の分からないことにうつつを抜かしている暇があるなら、部品の一つでもまともに作ってきたらどうだ、カネダ……なんて言われるんだろうな」
「ほう、それは僕にか?」
「そうそう、ゼラに……って、ゼラ!」
「ここでの僕は常川だ、カネダ」
「ごっ、ごめん……」

よりによってゼラの方から現れるとは思わず盛大に驚いてしまったものの、相変わらず足音は一つ多かった。恐らくゼラではないと心の何処かで確信はしていたけれど、一応尋ねてみる。やはりゼラでもなかった。そうすると最後の一人は必然的にあの人になるわけで、こればかりはゼラの元へ行くより足も気も進まない。一人で行ったところで何をされるか分かったもんじゃないし、かといってタミヤ君やダフを巻き込むわけにもいかない。ジャイボもあり得ないだろうなと思っていたが、ふと一つの可能性が浮かび上がる。

「もしかして、ジャイボが僕をからかうために隠れて後をつけたりしてたのかも」

ジャイボなら僕の嫌がることや怖がることを嬉々としてやりかねない。最後の望みをまさかジャイボに託すとは思いもしなかったが、背に腹は変えられない。意を決してジャイボの元へ向かおうとするも、そもそも何処にいるか分からない。慌ててゼラを呼び止めて事情を話すと、図書室に呼び出してくれることになった。

「で、そんなことでわざわざ呼び出したわけ?」
「…はい」
「で?その余計な足音がカネダに嫌がらせをする僕のものだと思ったわけ?」
「……はい」
「馬っっ鹿じゃないの!」
「ひっ!ご、ごめんって……」
「僕がカネダに嫌がらせするためにわざわざ後なんかつけると思ってんの?そんな面倒なことしないし!せいぜい下駄箱かカバンにカエルの×××とかバッタの×××とか詰め込むくらいしかしないから!」
「うげっ、やめてよね?」
「やらないし!!例えだよ!あーあ、ゼラに呼び出されたから何かと思ってワクワクしたのに損した。今度なんか奢ってよね!」

怒涛の弾丸をひとしきり僕に浴びせ、ふんと鼻を鳴らしながらドスドスと音を立て出口へと向かう。その寸前、ドアの前でピタッと止まり、もしかしたら、とジャイボはニヤリと怪しげな笑みを浮かべ、こちらに振り向く。

「連れて歩いちゃってんじゃない?この世のものじゃないなにかとか、さ?」

僕の背後を指差して楽しそうにきゃはっと笑うと、僕に不安を押し付けたまま図書室を後にした。今まで実在するものの音だとばかり思っていただけに、ジャイボのその可能性は考えたことも無かった。だからそれを示された瞬間、背筋が凍りついた。その手の話が苦手な僕は必死に後ろを振り向いたり自分の身体につく何かを払ったりした。大丈夫、きっとジャイボはふざけて言っただけだ。僕が怖いものが苦手なのを知ってるくせに、いつも僕のことをからかうんだから。
そんなものいるわけがない、そう言い聞かせながら無意識のうちに首に手を当てる。首筋にちくりとした痛みを感じたような気がした。


その帰りはひどく背後が気になった。頻繁に後ろを気にする僕に見兼ねたのか、二人が何をしているのかと尋ねてくる。光クラブの全員に尋ねたこと、足音の正体はそのうちの誰でもなかったこと、そしてジャイボに言われたこと。今日あったことの全てをタミヤ君とダフに話す。

「ジャイボの悪ふざけだろ?気にすんなよ」
「そうだよ、からかわれてるんだよ」

そう慰めてはくれたものの、こればかりはきっと体験している人間にしか分からないと思った。二人は気にならないのだろうか、そもそも聞こえているのだろうか。トンと踏み出すと少し遅れてトンと鳴り、ザッと足を引きずると少し遅れてザッと鳴るこの音を。

「そうかなあ」
「そうだよ、ジャイボに言われたからって気にしすぎだよ」
「ああ。カネダは少し神経質なところあっからな。なんかあったら相談しろよ?いつでも聞くから」
「僕も聞くよ」
「二人ともありがとう」

少しは安心したけれど、やっぱり僕にしか聞こえないのだろう。その後も鳴り止むことはなく、足音は家まで着いてきた。正体不明の連れにほんの少しだけ怯えながら布団にすっぽりと潜り込み、ギュッと目を瞑って早く明日になれと祈り続ける。その回数は減ることは無く、気付けば数週間が経っていた。その間に発見したことといえば、家の中にいる時は足音がついて来ない、ということくらいだった。



***


『はい、同じクラスではありませんでした。けれどよく教室に来て後ろの方で……気味が悪かったですよ』



「はあ……」
「最近すげえ疲れてんな、大丈夫か?」
「前より隈も増えてるし…例の足音?」
「うん、あれからずっと付いて来てて……」
「何か被害とかあるのか?」
「それが……」
「言ってよカネダ。少しは吐き出した方がいいよ?」
「う、うん。大したことじゃないんだけど…夢を見るんだ」
「夢?」
「しかも毎日同じ夢なんだ」

かれこれ二ヶ月以上、僕は同じ夢を見ていた。涙を流しながら血を吐き、手を後ろに組みながら一人の男子学生がずっとこっちを見ている不気味な夢。別に彼に襲われるわけでも話しかけられるわけでもない。けれど、その人は何処かで見覚えのあるような姿形をしていて、どうにも目が離せなかった。怖いもの見たさとはよく言うけれど、どうやらそれは本当のようみたいで、怖いと分かっているのに目を逸らすことができず、毎回夢の中でその姿をまじまじと見ては毎回既視感があることに気付く。けれど、大体それが何かを思い出せないまま目を覚ますことの繰り返しだった。毎晩そうしていたせいか、ろくに眠れず毎朝ひどく疲れ切って目を覚ましていた。余程顔に出ていたのか、それとも溜息が露骨だったのか。幼馴染に余計な心配をかけてしまい申し訳なく思う。

「二ヶ月も同じ夢か……それは流石にきついな」
「何か内容に変化があればいいんだけどね。何か無いの?」
「変化は特に……」
「そうか。俺らに何か出来ればいいんだけど…」
「ううん、こうして聞いてくれるだけで聞いてくれるだけで気が楽になるよ、ありがとう」
「あまりにも酷いようだったら病院行きなよ?」
「うん、そうするよ」

ありがとう、そう言っていつものように三人並んで登校する。けれど、二人にはまだ言っていないことがあった。気付かれないように後ろを振り向く。そこには後ろに伸びる三人分の影があった。普通の人ならば気付かないであろう、何の変哲もない影。けれど、注意してよく見るとその君の悪さが分かる。
影が、ずれているのだ。
この事に気付いたのは、同じ夢を見始めた頃だった。最初は足音に怯えて後ろを気にしながら歩いていた。背後に誰かいるわけでもなく、その時視界に入るのは自分の影くらいだった。しかしだんだんとその影の違和感に気付く。自分のもののはずなのに、自分の動きとそれの動きはわずかに合っていなかった。まじまじと観察すればするほど、そのずれは気のせいではなく確かなものになっていく。歩こうが走ろうが飛ぼうが、どうしてもほんの少しだけずれるのだ。こればかりは相談するわけにもいかなかった。
自分の影がずれる。ただでさえ人には聞こえない足音が聞こえて気持ちの悪い夢をみているのに、更に影がずれるなんて言い出したらきっとタミヤ君もダフも僕を気持ち悪く思うに違いない。それだけはどうしても嫌だった。二人に気付かれる前にこればかりは自分でなんとかするしかない。そう決意し、僕は徐々に二人との距離を置くようになった。朝も帰りもなるべく一人で学校に行き来するようにし、光クラブでも光の当たらない場所で作業をするようになった。誰も僕が影を隠しているなんて思うはずもなく、僕はこの影をどうするか、ただそれだけをゆっくりと考えていた。

そんなある日、いつものようにあの夢を見た。代わり映えしない男子学生。相変わらず涙を流して血を吐いていた。けれど唯一違っていたのは、背中に手を回していなかったことだった。どうしたのだろうと思っていると、僕の足元を指差す。そこには目が覚めている時に僕を悩ませ続ける影があった。

「夢の中までついてくるの…」

影が自分の後をついてくるのは当たり前なのだけれど、今の状況に置かれているとその影が自分のものではない感覚で、どうしても付きまとわれているようにしか思えなかった。すると、今まで一度も口を開かなかった彼がゆっくりと口を開いた。

「それ、僕の影なんだ」
「わっ……えっ、そうなの?」
「うん。少しずれて動くでしょ?君の真似をして動いていたから、どうしても少しだけずれちゃうんだ」


初めて彼が言葉を発したことに驚きつつ、その言葉を信じて自分の足を動かしてみた。小さく右足を出す。すると薄い影が少し遅れて右足を出す。今度は左足を大きく踏み出してみるが、例によって少し遅れて左足を大きく踏み出す。本当は気持ち悪がるところだが、この時の僕にとってこの影は唯一の救いだった。

「そうか、この影は君のものだったのか」
「そうなんだ。驚かせてごめんね、気持ち悪かったでしょ?」
「う、うん、少しね。じゃあ、あの足音も?」
「うん、その足音も僕の」
「なんだ、そうだったのか…」
「今まで喋れなくて、なんとか気付いてもらおうと頑張って音を出していたんだけれど、逆に怖がらせちゃってたね」
「ちょっと怖かったけど、君のだって分かったからもう怖くないよ」
「そっか、よかった」

そう言って彼は静かに微笑んだ。
霧が晴れた気分だった。その影の正体が分かり、ずれの理由を知ってからは後ろを気にすることもなく、足音に怯えることも無くなった。僕が後ろを振り向く回数が格段に減ったからか、タミヤ君とダフもこの件に関しては解決したのだと思ってくれたようで、僕らの中でこの話が出ることはほとんど無くなった。
それからというものの、僕は度々夢の中の彼と会話をするようになった。自分のこと、学校のこと、親友のこと。驚くことに彼は僕と似たような境遇にあった。似た者同士会話が弾み、色々な話をした。時には込み入った話もした。どうして彼は血を吐き涙を流しているのか、どうしていつも背中に手を回していたのか。失礼な事を聞いているとは思ったけれど、彼はいいよ、とぽつぽつと語り始めた。

「僕ね、君と同じくらいの時に死んだんだ」


「ある組織に入っていてね。組織っていっても同級生の集まりみたいなものだったんだけど。元々は僕と幼馴染だけの秘密基地だった場所にだんだん人が集まってきたんだ。最初はロボットを作るっていう話が出て、僕らは単純にそれで遊ぶんだと思ってた。けれど、その発案者は全く違った。そのロボット、いや、マシンを使って少女を誘拐するつもりだったんだ」
「ゆ、誘拐?」
「そう。でも別に乱暴したりいたずらしたりするわけじゃなくて、永遠の若さと世界征服を可能にするためだったんだけどね」
「世界征服って……その発案者はリーダーなの?」
「……リーダーなんかじゃないよ」

僕の問いがまずかったのか、彼は俯いて両手を強く握った。慌てて謝ると、悔しそうな、恨めしそうな表情で話の続きをしてくれた。

「元々、小学生の頃に僕と幼馴染二人の三人で秘密基地をつくって遊んでた。リーダーはその幼馴染のうちの一人だったんだ。そしたらその発案者が偶然秘密基地を見つけてやってきた。はじめは何てことないただの同級生だったんだけど、頭が良かったそいつはだんだん秘密基地を支配し始めるようになって……」
「いつの間にかそいつが支配者になってたんだ?」
「支配者っていうより、リーダーより上の人間だから、その組織の中では帝王って立ち位置にいたんだけどね、確かに支配者だった。そいつはその組織を世界征服が出来るくらい大きくしたいって言い出した。僕らもそれをかっこいいって思ってたんだ」
「楽しそうだね」
「うん。でね、その帝王は永遠の少年でいることや美しさに対する思い…というか執念が人一倍あって、その象徴として美しい少女を捕獲することを望んでいた。マシンはそのために作られたんだ。
認めたくないけど、帝王の影響力は凄かった。その指示に従っていれば絶対にうまくいくって思ってた。けれど、だんだんおかしくなってきたんだ」
「何か起こったの?」

彼は首に手を当てる。その仕草に既視感を覚えた。それは以前、僕がジャイボと話をした時にしたことと全く同じだった。

「帝王に入れ知恵をする奴が出てきてね。そいつが巧みに帝王を操って組織を支配し始めたんだ。周りの人間は皆そっちの指示に従って、僕らは反逆者になった。帝王の命令は絶対だ、忠誠を誓え、って」
「そんなの無茶苦茶だよ」
「僕らは薬品を打たれて意識が朦朧とした中、そいつを帝王だと、組織のトップだと認めざるを得なかった。そうしてその秘密組織は完全にそいつのものになったんだ」
「そんな…それから?」
「はじめのうちはそいつの指示に従って部品作りとか活動をしてたよ。けれど、ルールが定められるようになったり、行動が制限されるようになった。無茶な要求をしてきた時もあったよ。眼球が欲しい、人間の右目が、って」
「に、人間の目玉!」
「そう。僕らのほとんどは無理だって言った。でもその中にいたんだ、帝王に自分の右目を差し出すって言った奴が」
「え、そんな人がいたの?」
「帝王に忠誠を誓っていた人がいてね。そいつは自分が帝王の一番だって右目を自らくり抜いた。今でも思い出すたび右目が痛くなるよ。僕の目をくり抜いたわけじゃないんだけど」

まるでSFの世界のようだった。秘密基地が秘密組織に、ロボットがマシンに。楽しかった遊び場が支配されていった彼はどんな気持ちでその活動に参加していたのだろうか。僕だったら絶対に逃げ出したくなるに違いない。

「帝王はメンバーの心を捉える天才だった。僕らも洗脳されていたんだ。そして何も見えていなかった。自分たちの邪魔をする奴は皆消してしまうし、それが正義だと思っているくらいにはね」
「消すって?」
「言葉通りの意味だよ。マシンを作っている最中、秘密基地を覗いてしまった同級生と先生がいたんだ。僕らはその二人を殺した。蚊を殺すようにね。僕らはそれが正しいと信じていた。自分たちのしていることを知ってしまったそいつらが悪いんだ、って」

あまりにも当然のように出てきたその台詞に言葉を失う。マシンを作っているのを見られただけで彼らは人を殺してしまったのだ。彼は平然を装っていたけれど、手は小刻みに震えていた。

「まさか殺すとは思わなかったんだ。けれど、あの場ではそれが正解だと錯覚してた。感覚が完全に麻痺してたんだ」
「それからどうしたの?」
「その二人は工業用のゴミ捨て場に捨てられた。同級生の方には昔いじめられていたから、自業自得だって思い込むことにした。先生の方は、先生が覗くからいけないんだって自分に言い聞かせた。何度もそいつらが悪いんだって。それから計画は順調に進んで、マシンは無事に完成した。そして帝王はマシンに美しい少女の捕獲を命じた。永遠の若さと世界征服のために」
「少女は捕獲できたの?」
「うん。最初は大変だったよ。変なおばさんやおじさん、全然美しくない少女を連れてきちゃったりしてさ。でもある日、物凄い美少女を連れてきたんだ。僕らはその子を崇めるよう言われた。その子の他にも捕らわれていた子達がいたんだけど、その子を上回るほど綺麗な子はいなかった」
「すごく綺麗な子だったんだろうね」
「うん、とても綺麗な子だった。でも、ずっと眠っていて何も口にしなかったんだ。少し心配だったけど、それでもその子に触れることは許されなかったから何もできないままだったんだけどね。
その時までは帝王にも組織にも特に疑問を持たずに活動してきたんだ」
「その時まで?」

ひとしきり話し終えると、彼は唇をぎゅっと噛みしめる。いつも口元から滴る血が、その時はやけに鮮やかに見えた。

「帝王は捕らえられていた他の少女に食べ物を一切与えなかったんだ。その美少女には与えていたんだけど、他の子は薬を使って眠らせていてさ。幼馴染のリーダーが帝王に聞いてたんだ、他の子にも食事を与えないと死んでしまうって。そしたら帝王は当たり前のように言った。『死んだら死んだで仕方がないじゃないか』って」
「え!」
「僕は何も言えなかった。リーダーはおかしいって思ったのか、帝王のいない間に他の子にも食べ物をあげたんだ。こんなの間違ってる、って。そのあと僕の前に現れたのは、パチンコを持たされたリーダーと縛られたもう一人の幼馴染だった。二人は他の子を逃がし、もう一人の幼馴染は少女に触れてしまった罪で。リーダーは逃がしたのは自分たちじゃないって言ってた。僕もそれを信じたかったけれど、やっぱり何も言えなかった。帝王は幼馴染に処刑を宣告した」
「そんな、それだけで…」
「帝王の言うことは絶対なんだ、誰も逆らえなかった。処刑はリーダーが命じられた。出来るわけないっていったけどやるしかなかった」
「どうして?」
「そのリーダーの妹が人質にされてたんだ」
「そ、それで?」
「幼馴染は植物状態になったよ、リーダーの手によって。でも幼馴染の顔は穏やかだった。リーダーにやられるならいいって。僕…何も出来なかった……幼馴染だったのに、ずっと一緒だったのに………」

頬に筋をつける程度だった涙がぼろぼろと零れる。目の前で幼馴染が幼馴染の手にかけられるところを見てしまうなんて僕なら考えられない。彼はぐすっと鼻を啜り目をこする。腫らした目と赤い鼻から辛さが伝わる。もう一度鼻を啜ると、彼は話を再開した。

「それから二人は戻ってこなかった。撃たれた幼馴染はずっと病院なのは分かってた。リーダーの方は、きっとこの組織のおかしさに気付いてあえて戻らなかったんだと思う。でも僕にはそんな行動力は無いから、黙って従うことしか出来なかった。
この頃から帝王は疑心暗鬼になっていた。何が原因かは分からなかったんだけど、元々裏切るということに異常なほど敏感で、常に神経を尖らせているような人だったんだ。リーダーの次は誰が自分を裏切るんだ、ってずっと僕らを疑っていた。そして、事件は起こった」

そう言うと、彼は背中に手を回す。いつも僕が彼を見かける時の姿だった。

「ある日、僕はマシンによって殺されたんだ」


***


『何かに怯えてるようでした。何かから逃げているような、取り憑かれているような……』




その後のことはよく覚えていない。今までの出来事が夢なのか現実なのか、区別が付かなく曖昧になっていた。目を開くとそこには自分の部屋の天井が広がり、時計を見ると午前十一時を回っていた。

「完全に遅刻だ…」

この日はもう諦めて学校を休んだ。ばあちゃんには頭が痛いと嘘を吐き、深々と布団に潜る。再び目を閉じた途端、今まで寝ていたはずなのにまたすぐに夢の中へと落ちていった。いつもなら彼がいつもと同じ姿で僕の前に現れるはずなのだが、今日はどうしてかとある廃工場にいた。床には大きな黒い星が描かれ、大きな玉座と台座はひどく印象的だった。

「あれ、ここって…」

何処かで見覚えのある光景に記憶を辿る。そうだ、ここは以前自分が眠っていた廃工場だ。幼馴染と秘密基地をつくり、ひかりクラブと名付け、どんどんと人が増え、皆でマシンを作った廃工場だ。少女を捕獲して、永遠の少年でいようと、世界征服を目論み、高々とライチ酒を掲げた……

「あ…ああ………」

記憶が映像となって流れ出す。ぐるぐると僕の周りを行き交う黒い学帽と学生服の中に自分の姿があった。浜里と萩尾先生が殺されている。ライチが完成する。少女一号が連れて来られる。タミヤ君がダフに向けてパチンコを放つ。ゼラが裏切り者を探す。断片的な場面が次々と目の前を通過し、とあるシーンで映像が止まる。僕がジャイボに取り押さえられてゼラの前につまみ出されるところだった。折れたキングを差し出すゼラ。僕は何も言葉を発さない。大量の汗を流し痙攣していた僕はその場にうずくまる。ゼラの審判が下る。

「ライチ!カネダを処刑せよ!」

黒く大きな鉄の塊が僕を掴む。海老反りにされ、足と胸は腰を中心に折り曲げられた僕は真っ二つに折られた。体が半分になっていく間、あの時朦朧とした意識で聞こえなかった叫ぶゼラの言葉が今はっきりと耳に届く。
タミヤ君とダフと創った光クラブ、そこから二人がいなくなって自分を憎んだのだろう、反抗の芽は根こそぎ摘み取る。違う、僕じゃない、僕はキングを折ってなんかいない、違うんだゼラ!
致死量の筋弛緩剤を撃たれた僕にそれを伝える術などあるはずもなく、タミヤ君とダフのいない光クラブで僕は死んだ。目の前で自分が死ぬのを見るのは変な気分だった。そして、その表情と姿にとある人物の姿が重なる。夢の中にいつも出てくる男子学生。いつも涙を流し血を吐いていた。そういえば、彼はいつも背中に手を回していた。あれは手を後ろに組んでいたのではなく、背中を押さえていたのだとしたら…。

「そうか、彼は僕だったんだね」
「やっと気付いてくれたね」

いつの間にか光クラブは消え、いつもの夢の中にいた。彼はもう背中を押さえていなかった。

「僕はあっちの光クラブでライチに処刑されたカネダ。君はジャイボの筋弛緩剤から逃れて生き残り、違う道を歩んだ光クラブのカネダ」
「そうだったんだ」
「どうしても伝えたかったんだ。またあの悲劇を繰り返して欲しく無かったから。君の世界にまた光クラブが存在するのならば、もう皆が死ぬのは嫌だから」
「気付いてあげられなくてごめんね」
「ううん、こうして伝えられたからいいんだ」

「ありがとう、こうして僕に出会ってくれて」
「ありがとう、こうして僕を見つけてくれて」


こうして、悪夢だと思っていた夢によって僕は救われた。その後もあっちの光クラブのようになってしまわないようにと彼は沢山アドバイスをくれた。たまに冗談も交えながら、僕は彼と毎日を楽しく過ごした。僕の世界は至って平和でとても楽しく、ずれる影も、遅れる足音も、今となっては愛おしささえ感じていた。

「ありがとう、もう一人の僕」


***

「で、K少年は?」
「ついさっき隔離病棟で眠ったところです」
「様子はどうだ、相変わらずか?」
「ひどいものですよ。話には同じ名前が何度も出て来て…余程トラウマだったんでしょうね」
「可哀想に」
「本当ですよ。きっと今の状態で真実を告げたら、きっと彼は更に発狂してしまいます」
「もう少し様子を見よう。取り調べの方はどうだったんだ?」
「はい、それが、彼に対して事情を知っていて、そのことについて話を聞いた子達の発言が全て同じようなもので……」



数日前、町の小さな病院にK少年が運ばれた。(一応、プライバシー保護のために本名は伏せておく。)
診断結果は統合失調症。囚われたように見えない何かと会話をしたり一人で笑ったり怒ったりし始めることが多く、先日急に倒れてしまった。最初は貧血かと思った養護主任は保健室で休ませていたそうなのだが、目を覚ました途端しきりに何かを叫び始めたそうだ。
事情を聞くにも直接少年から話を聞けるような精神状態ではなかった。かといって彼の交友関係からして関係のある友人たちから話を聞くことは叶わず、ひとまずは同じ中学校の同級生に話を聞くことにした。K少年に関して何か変わったことは無かったか?いつもと違う、様子がおかしいことは無かったか?些細なことでもいいので何かあったら教えて欲しい。そう尋ねると、大抵の同級生はこう答えた。

「K?いつもTとDと一緒だったけど、それ以外の奴と絡んでるところはほとんど見たことがない」
「あの三人は幼馴染でずっと一緒だったからな」
「Kは根暗で、昔からいじめられてたし、特に目立つようなことはしていなかった」

引っ込み思案で消極的。いつも幼馴染のTとDと一緒にいるという他に、これといったことは耳には入ってこなかった。
同級生からの話では有益な情報は見込めない、そう諦めかけていた時、数人の学生が重い口を開いてくれた。しかし、話を聞いている限りでは特におかしいと思う点は無かった。

「それだけ?何もおかしなところは無いと思うんだけど」


めぼしい情報が入ってこないことに少しばかり苛立ち、思わずそう彼らに聞いてしまった。しかし、それが間違いだった。ある生徒は目を見開き、またある生徒はぞっとしたように、皆一様に同じ言葉を発した。

「何もおかしくない?だって」

『誰もいない教室でずっと』
『何かに向かってずっと』
『市橋や山田、須田の名前を呼びながら会話をしてたんですよ?』
『廊下や図書室で常川や雨谷の名前を自分で言っておきながら驚いたり急に体を払い始めたりしたんですよ?』
『頻繁に後ろを振り返っては何かに話しかけていたんです、』


『『『『一人で』』』』



この間、偶然精神状態が安定しているK少年と話す機会があった。普段の彼はとても優しく、穏やかな少年だった。話してみると思ったより会話が弾んだ。家族のこと、学校のこと、そして大切な親友のこと。しかしそんな彼に残酷な真実を告げるにはあまりに荷が重かった。


「K少年の容体はどうだ?」
「はい、心身共に安定しています。穏やかで、とても落ち着いています」
「今なら例のアレ、言えるんじゃないか?」
「言えるわけないですよ!言ってしまったらまた不安定な状態に戻ってしまいます」
「だけどな、いつかは言わねばならないんだぞ?」
「……このまま、黙っていてはいけないでしょうか」
「何を言っているんだ、それは隠蔽だぞ!」
「分かってます!分かってますけど、あまりにも辛いじゃないですか…大切な親友がもうとっくに死んでいただなんて、自分があの悲惨な事件の唯一の生き残りだったなんて……」
「いつかは知ることだ」
「でも今は、そっとしておいてあげても構わないでしょうか?」
「……好きにしろ。けど、時間が経つほど彼につける傷が大きくなるのも覚えておけよ」
「はい、ありがとうございます」



今でもよくK少年の元へ足を運ぶ。相変わらず退院は出来ていないけれど、彼と話すことは楽しかった。しかし、今でも肝心の真実は話せずにいる。心の何処かで言ってはいけないと歯止めをかけてしまい、この穏やかな少年を傷つけたくないと思っているからだろう。
時々、寝ている時に面会に行ってしまうことがあった。タイミングが悪く、出直そうとするたびに同じ光景を目にする。眠っている少年がいつも寝言で同じ名前を繰り返し呼んでいる。うっすらと頬に筋が見える。泣いていたのだろう、目尻に光るものが見えた。きっと、彼はもう知っているのかもしれない。彼が呼ぶその名前がもう二度と届かないことを。それでもまた三人で笑いあいたいと、涙が枯れるまで呼び続けるのだろう。少年は今日もその影を追う。二人に置いていかれないよう、自らの影と共に。


「タミヤ君、ダフ、まって……」





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