左様なら

その背中は静かに歩みを止めた。夕焼けが空とその背中を真っ赤に染める。人気の無い校舎裏、石川成敏は拳を握りしめ、後ろを歩く人間の方へと振り返る。何の疑いもなく呼び出しに応じてここまでついて来たその人は、これといって不安そうな表情をしているわけでもなく、かといって喧嘩が始まるのではと身構える様子も無い。本当に純粋に自分に言われたからついて来ていた、そう思えた。逆光で顔がよく見えない、相手はこちらを伺うようにそう言った。西陽のおかげだろう。石川は自分の表情が相手に見られていないことが分かると意を決し、口を開いた。

「なあニコ、ついて来いって言われたままついて来たけど、こんな何も無い校舎裏で何するんだ?」
「ああ、話があるんだ」

「タミヤ」
「なんだよ改まって…」
「別れよう」



***

ニコ、それは自分のあだ名。しかしそれは学校生活において頻繁に石川成敏を呼ぶ際に使われているものでは無い。工場地帯の一角、今は使われていない廃工場で夜な夜な活動している特定の学生の秘密組織ーー通称・光クラブーー内で石川成敏を指す時に用いられている。普段学校でニコと呼ぶ人間は大抵光クラブの人間だ。とはいってもこのニコというあだ名は光クラブでではなく、小学生の時にタミヤによって付けられたものだった。

『いつも目が怒ってるみたいだからもっと笑った方がいい』

そう言われてぎこちない笑みを浮かべたのは確か小学五年生の頃だった。慣れない複数人での下校に慣れない会話、慣れない作り笑顔と慣れない事ばかりの帰り道。ずっと友達のいなかったニコにとってその存在は眩しく、同時に自分なんかには勿体無い存在だと感じていた。誰にでも分け隔てなく振る舞い、皆の輪の中心にいるタミヤと教室の隅で一人外を眺めているような自分とでは住む世界が違う。しかしそんな殻を破ってくれたのは紛れもなくそのタミヤだった。そんなあだ名を付けられたあの日からタミヤとはもう随分と長い付き合いになる。タミヤのおかげでニコの交友関係はそれなりに良好だった。クラスの人間ともそれなりにやっていけるようになっていたし、かつての悪癖だった窃盗癖も自然と無くなっていた。自分を信じてくれた彼に申し訳ないという気持ちが少なからずあったのと、失望されたくないという思いが強かったのが功を奏したのだろう。今までの寂しさを取り戻すかのように学校生活を楽しんだ。時々バカやったりしながら笑う回数もだんだん増え、気付けばあっという間に時は過ぎていた。
そんなある日、タミヤがニコに尋ねた。

「なあニコ、ニコは俺のこと好きか?」

明日の昼食に何を食べるのかを聞くような聞き方だったので、特に深くも考えずに「ああ、好きだ」と答えた。しかし彼の「好き」の意味が違うと知ったのはそれから数日後だった。普段から一緒に行動を共にすることが多かったが、いつもより距離が近づいていた。距離というのは精神的なものではなく物理的なもので、隣を歩く時も話す時も、やけに体や顔が近く妙だと思っていた。何かあったに違いない、そう思いニコはタミヤの幼馴染であり親友でもあるカネダとダフにそれとなく聞く。わざわざ聞きに行くことでは無いのかもしれないが、タミヤの態度や感じは顕著に変わり、ニコにとっては気になることだった。しかし、彼らから返ってきたのは思っていたのとは違った答えだった。

「えええニコ、OKしたんじゃないの!?」
「OKって何を」
「タミヤ君とのお付き合いを!ニコも俺のこと好きだ、両想いだ!ってすっごい喜んでたよタミヤ君」
「はあ?俺はタミヤに自分が好きかどうか聞かれただけだぜ?」
「それが告白だったんだよ!ニコのニブちん!!」
「……じゃあまさか、あの“好き”って…」
「「恋愛感情!!」」

あの好青年が自分に好意を寄せているとは微塵も思っていなかったニコは今だにカネダとダフの言葉が信じられなかったし信じたくもなかった。そんなわけないと否定した時の二人の目といったらそれはそれは恐ろしく、有無を言わさず付き合えと言われているようだった。タミヤ君の気持ちを踏みにじらないでよ、だなんて女子みたいな念を押された自分の気持ちはこの二人にはまるで無視された。
どうやって話を切り出すべきか。いきなり

「お前、俺のこと本気で好きだったんだな」

なんてデリカシーの無い聞き方はしたくない。かといって

「あのさ、タミヤが俺のこと好きって言ったの、恋愛感情って意味だよな」

と聞くのは自惚れている気がして嫌だ。それ以前に話を聞く前と同じように接することができるのかどうかすら怪しい。テンパってぎこちなくなるか素っ気なくなるのは目に見えている。どうしたものかと考えていると、廊下の向こう側から当人が歩いてきた。想い人が自分の幼馴染によって自分の気持ちを知ったなんて想像がつくわけもなく、タミヤは普段通りにニコに話しかける。流石に黙っているのも騙しているようで悪いと思い、タミヤを廊下の端へと連れて行く。

「あ、あのさ」
「どうしたんだ?ニコ」
「数日前、俺にタミヤのことが好きかどうか聞いただろ?」
「あ、ああ、あのことか」

喜んでいたという割には照れているわけでもなく歯切れの悪いタミヤの様子を不思議に思う。しかしその理由はすぐに分かった。

「急に言われて迷惑だったよな。ニコは友達として好きって答えてくれたかもしれねえけど、俺、実はそういう意味で聞いたんじゃなかったんだ。なんていうか、ニコと一緒にいると落ち着くし飽きないし、毎日すげえ楽しいんだ。でも他の奴らと楽しそうに笑ったりしてるの見るとちょっと、いや、かなりイライラしてさ。一番初めにニコと仲良くなったのは俺なのに、皆ニコと話そうともしなかったのにって」

頬がかっと熱くなる。体中がこそばゆくて心臓がむず痒い感覚がこみ上げてきた。けれど、嬉しいことを言われているはずなのに何故か不安な気持ちになる。きっとタミヤがこちらを向いていないからだろう。伏せ目がちに自分の思いをぽつぽつと語るタミヤがどうしてか寂しそうに見えた。

「傲慢かもしれねえけどそれって多分、俺が一番ニコと仲がいいって思ってるからなんだよな。だからたまに他の奴と話してる時に無理やり会話に入ったりしてさ。じゃないと知らないうちにニコのこと好きな奴が出てきたり、いつの間にかニコが取られちまうんじゃないかって不安になって。俺のものにしたいとか束縛したいとかそういうのじゃないけどさ、ずっと一緒にいられたらいいなって…まあそれも束縛みたいなもんか。でもさ」

紡がれていた言葉が途切れた。気になってタミヤを見ると、悲しそうに笑った顔がそこにあった。

「ニコのことが好きなんだ、友情じゃなくて恋愛感情で。これだけは誰にも譲れない。例え迷惑でも気持ち悪がられても嫌われても、この気持ちに嘘は吐けないんだ」

真剣な眼差しでそう言い終えると、力が抜けたようにその目は弧を描き、へらっと笑った。タミヤの歯切れの悪さと不安になった理由が分かった。タミヤはニコに拒絶されることを前提として話していたのだ。大方、男同士でそういった関係はいけないとか、ニコに迷惑がかかるとか考えていたのだろう。ああ、やっぱりな、と納得してしまうのも長く一緒にいるからだ。ニコは一度鼻をこすると。僅かに唇を震わせるタミヤに向き直った。

「お、俺さ、別に迷惑だなんて一言も言ってねえけど?」
「……え?」
「最初はタミヤの言ったとおり、友達としてって意味だと思った。けど別に俺だってタミヤのこと嫌いなわけじゃねえし、一緒にいてそれなりに楽しいし」
「ニコ……」
「それに、お前は俺の世界を変えてくれた。それだけで十分嬉しかった。今の俺がいるのはお前のお陰だ、ありがとうタミヤ」
「いや、礼を言われるようなことはしてねえよ」
「そんなことねえよ。友達もろくにいなかった俺を救ってくれた奴を、その、嫌いになるわけねえだろ…」
「……え?」
「だから、俺も好きだっつってんの!お前のこと!!」

その直後、目を輝かせたタミヤが人目を憚らずニコに抱きつき、そこから流れるようにパンチを食らったのは言うまでもない。ちなみに翌日、ニコは教室の影から全てを見守っていたとカネダとダフから報告を受けた。タミヤ君を泣かせたら僕らが許さないからね、とまたもや女子みたいな念を押されたことをタミヤに話すと可笑しそうに笑う。くしゃっとしたその顔が今でも頭をよぎる。

それが半年前のことだった。それから今日まで、まるで自分の人生では考えられなかったことを沢山経験した。手を繋ぐ、人前で抱きしめられる、一緒に買い物に行く、ちょっと二人で遠出して知らない町へ旅をする。普通なら男同士ではしないであろうこともした。空き教室でのキス、一つの布団で身を寄せ合っての就寝、そして何度重ねたか分からない身体。ニコが達するとタミヤは決まって額に唇を落とした。最初はタミヤの性癖なのかとあまり気持ちよくは思っていなかった。しかし、荒い息が収まらず上下させる肩を落ち着かせるようにされたそれは優しく、安堵していつの間にか眠ってしまうことも少なくなかった。王子のキスで目覚める姫とは対照的にその口づけによって安心して眠れるニコにとって、いつしかそれは心地よいものへと変わっていった。

罪悪感はあった。もちろんタミヤは優しかった。嫌がることはしないし、多少なりとも我儘は聞いてくれた。他の奴らより自分のことを理解してくれていたし、なにより一緒にいてとても楽しかった。タミヤは毎日素敵な景色を見せてくれた。この煙にまみれた黒い町で彼と過ごす時間はニコにとって色鮮やかなものだった。知らないことを知り、嬉しい言葉を浴び、日を追うごとに世界が広がる。時には顔から火が出るほど恥ずかしいことや口を聞かないこともあったが、それでも楽しいことの方が圧倒的に多かった。幸いにも、周りには付き合っていることはばれておらず、とても仲の良いクラスメイトだと思われていた。今までの人生でこれほど幸せだと思えたのは初めてだとニコは感じる。しかし幸せだと感じるたび、ふと自分を客観的にみてしまう。そして現実に引き戻される。
どれだけ好き合っていようと、結局自分達は男なのだ。鏡を何度見ても、神様にどれほど願っても、性別が変わるわけじゃない。普通の恋人なら当たり前に出来ることが自分達には障壁になる。「好き」の一言でも言おうものならばたちまち好奇の目に晒される。あいつらは男色だ、なんて言われた暁には自分も、そしてタミヤも肩身の狭い思いをすることは目に見えている。自分のこの骨張った手が小さく柔らかいものだったならば、この唸り声のような低い声が高く優しいものだったならば、自分の生まれ持った性が男でなかったならばーー自分が女だったら良かったのに。幾度となく布団の中で抱き、声に出し、無理だと知っているにも関わらず願っては絶望した。そうやって頭を抱えている時に限ってタミヤのあの穏やかで安心する声を思い出す。「ありがとう」「ごめんな」「好きだ」「ニコ」

「馬鹿野郎……」

タミヤに声をかけられるたび、触れられるたび、見つめられるたびにその絶望は大きくなり、ついにニコの中でぷつんと張り詰めていた糸が切れた。もうダメだ、男同士で付き合っているなんて知れたらあいつが傷つく。あいつの築き上げてきた地位や信頼や人望が全て台無しになってしまう。それだけはしたくない。自分を救い、世界を変えてくれた人の一生を台無しにしたくない。午前二時、その決意は固かった。



***

「何言ってんだよニコ、冗談だよな?」
「冗談なんかじゃない」
「はは、今日ってエイプリルフールだっけか?」
「タミヤ」
「分かった、サプライズだろ?なんかあるの」
「タミヤ!!!」

その声はびりびりと校舎裏に響いた。肩を震わせるニコに、タミヤは本気で怒っているのだと悟った。息を静かに吸って吐くと、ニコはタミヤを見据える。

「お前が俺に好きだって言ったこと、覚えてるか?最初は友達としてって意味だと思ったけどお前は違かった。その後に俺も好きって言ったけど……」
「ニコ……」

眉尻を下げるタミヤに唇を噛みしめる。悲しい時や寂しい時によく彼が見せる表情で、いつもニコはこの顔に絆されていた。しかし今の彼にはそれに揺らぐような意志は無かった。昨日の夜、何度も繰り返し口にした言葉。決して自分の気持ちが揺るがないよう、はっきりと。

「やっぱり、俺の好きとお前の好きは違かったんだ」

そう言い切ると、ニコはタミヤが言いかけた言葉を待たずに全力で駆け出した。追いかけられているかは分からなかったが、タミヤの方が足が速いので今追いつかれていなければ追ってはきていないということだろう。そう自分で分析したにも関わらず、一瞬未練たらしく残念な気持ちになった。そんな自分に腹を立てて周りも見ずに走っていたら、何かが飛び出してきて足元にぶつかった。ぎゃっと悲鳴を上げたそれが倒れた所を見ると黒いランドセルが足元にあった。なんでランドセルが、と思ったのも束の間、いきなりそれは動き出した。

「う、動いた!?」

もぞ、と動いたのはランドセル本体ではなく、そのランドセルを背負った男の子だった。走っていたニコにぶつかったのだから相当な衝撃を受けたにも関わらず、その少年はすくっと立ち上がった。飛び出してきたとはいえ、一応ぶつかったのはこちらなので様子を伺う。

「おい大丈夫か?って、大丈夫なわけないか、結構派手に転んだしな。所々擦りむいてるじゃねえか。傷口からばい菌が入るといけねえから近くの水道で……なっ」

ぶつかって転んだ割にはやけに大人しいと思ったら、少年はじっとニコを見つめていた。そしてそのままぽろぽろと涙を流しだした。

「だ、大丈夫か!?痛かったか?どこかぶつけたか?あああとにかくどっか座れるとこ探さねえと……」

泣いている小学生に焦る自分の今の姿は、周りから見たら紛れもなく不審者だろう。しかしこんな時にそんな悠長なことはいっていられない。兄弟がおらずこういった時の対処法を知らなかったニコはとりあえず落ち着かせようと近くの公園のベンチに男の子を連れて行き、湿らせたハンカチで腕や足の傷口の泥を拭き取った。幸いかすり傷程度の怪我で血も少ししたら収まったのでふう、と一息ついて少年の横に座った。

「いきなりぶつかってごめんな。痛かっただろ?」
「大丈夫、俺も急に飛び出してごめんなさい」
「いや、俺もよく見ずに走ってたからな、悪かった」

いつの間にか少年は泣き止み、しっかりと話ができていた。もっと心配するべきなのだろうけど、自分と年の離れた相手と話すことに慣れていなく、会話はそこで途切れてしまう。何か気の利いたことを……こんな時、タミヤだったらどんな話をするのだろう。無意識にそんなことを考えてしまい、急いで頭から離そうとする。なんだって自分はいつも事あるごとにその顔を思い浮かべてしまうのか。こんなに未練たらしい人間だったとは思ってもみなかった、と落胆していると少年が口を開いた。

「お兄ちゃんはどうして走ってたの?」
「ああ、ちょっと嫌なことがあってな」
「嫌なことって?」
「と、友達と喧嘩しちゃったんだ…」
「ふうん、そっか、俺もなんだ」
「そうなのか?」

うん、と返事をすると少年は俯きながら小さな手をきゅっと握りしめ、少しずつ話し始めた。

「俺、仲の良い親友がいたんだ。そいつ、元々よくない噂があってさ。でもそんなの誰かが言い始めたことで本当かどうか分からないだろ?俺はそいつの事良い奴だって思ってたんだ、真面目で少し不器用なだけだって」
「ああ」
「実際に話してみたらやっぱり良い奴だったんだ。仲良くなって、それから一緒に遊んだり帰ったりして楽しく過ごしてたんだ。けど、そいつがちょっと変な奴に興味持っちゃってさ」
「そうなのか」
「うん。その辺な奴、なんかおかしくて。頭は良いんだけど何考えてるか分からないことが多くて、正直怖かったんだ」

まるで昔の自分達のようだとニコは思った。数年前の光景が甦り、何人かの顔が頭に浮かんでくる。そういえばこの少年も、そのうちの一人に何処と無く似ている気がした。

「そいつが変な方に行っちゃうのが嫌で、俺、何回もやめろって言ったんだ。でも全然俺の言うことなんか聞いてくれなくて…そいつ、その変な奴の方が俺より正しい、変な奴は絶対だって言うんだ。だからムカついちゃって……」
「なんかしたのか?」
「思わず、『お前なんか好きじゃない、親友なんかじゃない、大っ嫌いだ!!』って言っちゃったんだ」
「なっ……」

どこかで聞き覚えのある言葉だった。さっき聞いたような、幼い頃に聞いたような、いつ聞いたのかは思い出せなかった。しかしその言葉や声ははっきりと胸に突き刺さっていた。ニコは少年の方へと振り向くと、その肩を強く掴んだ。

「その言葉は本気か?」
「え、い、いや、嘘だけど……」
「いくらなんでも吐いていい嘘と悪い嘘があるぞ。人を不幸にする嘘なんか吐かない方がマシだ!」
「それが俺を不幸にしてる嘘だって、いつ気付いてくれるの?」

少年の目がニコの目を捉える。先程隣で話していた少年とは思えない雰囲気だった。自分が彼を叱った筈なのに、その真っ黒な瞳に責められているような気分だった。見開いた双眸に映る自分は何か心当たりのあるような、見透かされたような顔をしていた。お兄ちゃん痛いよ、という言葉で我に返り、慌てて掴んだ肩を離す。ごめんと再び謝ると、少年の雰囲気は話していた時のものになっていた。

「お兄ちゃん、さっきからずっと謝ってばっかだぜ」
「そ、そうか?」
「うん。なんかずっと悪いなって顔してる。それに」
「それに?」
「その友達に嘘吐いてるんだろ?」
「……はは、お前すごいな。実は……」

痛い所を突かれた。一瞬誤魔化そうと思ったが、じっと見据えられては嘘は吐けない。吐いたとしても見透かされそうだった。こんな初対面の、しかも数十分前に会ったばかりの少年になにを身の上話をしているのかと自分でも思ったが、不思議と恥ずかしいとは思わなかった。付き合ってることなど多少は濁した部分はあるが、その他はほとんどありのままに話す。時折何かを考えるかのようにうーんと唸る少年は、やはりどこか面影があるように思えた。柔らかそうな髪や形の良い鼻筋、少し垂れた目に長い睫毛は本当にそっくりで、話しながら思わずじっと見つめてしまっていた。横で小さな手にぺしぺしと叩かれるまでニコはそのことに気付かなかった。

「あんまりジロジロ見るなよ、恥ずかしいだろ」
「悪いな、お前がその友達にそっくりでさ」
「え、まさかその友達って小学生なのか?」
「違う、俺と同い年だ…ってちょっと後ずさるな!!」
「嘘だよ嘘!お兄ちゃん面白いな!!」

くしゃっと笑うその顔にどうしても先刻に別れた人物の顔が重なる。少年と話すたびにその人と話しているかのような錯覚に陥ってしまう。自分では無意識のうちにそんな表情をしていたのだろう、少年がニコの顔を覗き込む。

「お兄ちゃん、辛いのか?どこか痛いのか?」
「い、いや、大丈夫だけど…なんで…」
「だってお兄ちゃん、泣きそうな顔してるぜ?」
「俺が……?」

再び、真っ黒な双眸がニコを捉える。しかしその目はさっきの責めるような雰囲気は無く、心配するかのような優しいものだった。

「ああ。後悔してるんじゃないの?その友達に好きじゃない、って言ったの」
「後悔、か。してないって言ったら嘘になるな」
「じゃあ謝ればいいんだよ。好きじゃないって言ってごめんって」
「いや、謝らなくていいんだ」
「なんで?」
「好きじゃないのは本当だから」

そう、タミヤと自分の好きは違う。あっちの好きは恋愛感情の意味の好きで、こっちは友情の意味の好きだ。同じ好きでも含む意味合いが違うから、自分の言ったことは正しい。言ってしまってタミヤを傷つけてしまったのは悪いとは思うが、これではっきりと自分の思いが伝わったのだから謝ったらそれを撤回することになる。だから謝ってしまっては意味が無いのだ。そう説明し終えると、少年はきっぱりとニコに言い放った。

「お兄ちゃんの嘘吐き」
「え?」
「お兄ちゃんは自分を守りたかっただけじゃないか」
「俺が?」
「その友達のためとかいって、本当は自分が周りの人から変な目で見られたくないから好きじゃないって言ったんだろ?」
「それは……」
「お兄ちゃんに好きって言ってもらえて、友達だってすごく嬉しかったと思う。なのにお兄ちゃんはそれを裏切ったんだ」
「俺が、タミヤを……」

言葉が刃になって突き刺さる。告白された時は男同士ということや人の目を気にしているタミヤに呆れていたが、今はニコ自身、自分に呆れていた。気にしていたのは紛れもなくニコの方だった。男同士で何が悪い、そう思い込むことによって人の目を気にしないようにしていたのはニコ自身だった。距離が近いと思い離れるのも、手に触れた時すぐに引いて周りを気にしていたのも、何かを断るのもタミヤじゃない、全て自分だったじゃないか。傷つけてしまうから、そう言い訳をしたのは自分が傷つきたくないから。自分の好きは恋愛感情ではない、だから周りの目が気になるのは恋愛感情を持ってるタミヤのせいだ。そうやって無意識のうちに自己防衛をすることによってタミヤを傷つけていたことにようやく気付いた。


「俺、その友達に謝る。で、ちゃんと好きだって伝えるよ」
「本当?ありがとう!!」
「なんでお前がそんなに喜ぶんだよ」
「ん?俺の気持ちがちゃんと伝わったんだなって思ってさ!」
「ああ、伝わった。ありがとな、」

その少年の頭を撫で、無意識にタミヤの名前を呼ぶ。すると、くしゃっと笑って来た道へと駆け出す。公園と道の境目まで行くと、くるっとこちらに振り向いた。

「俺も謝る!お兄ちゃんも上手くいくといいな!」
「おう、ありがとな!」
「それとー!!」
「なんだー??」
「お兄ちゃんの笑顔好きだぜ!もっとニコニコ笑えよ!!」
「……っ!!」

ぐっと親指を立ててそう叫び切ると、またこちらに背を向け走り出す。ちょうど西の方へ駆けていったせいか、夕陽の中へとその姿は消えていった。

「最後の最後になんて爆弾を落としていきやがったんだ…」

そう呟き、ニコは顔の赤さと熱さをあの橙色のせいにした。明日朝一番にタミヤに謝ろう、そして自分の本当の気持ちも告げよう。午後六時、その決意は揺るがなかった。



***

翌日、戦地に赴く兵士のような面持ちでニコは教室へと入った。向かうは敵城、教室の最後列にして一番奥にあるタミヤの席だ。そこにはいつものように185センチメートルの長身がその存在感を放ちながら鎮座していた。

「よ、ようタ、タミヤ」

あからさまに緊張しながらニコは声をかける。昨日の今日で別れを告げ、好きじゃないと言い捨てた相手に話しかけるなんて常軌を逸しているかもしれない。けれど、昨日約束を交わしたのだ。小さな親指が幸運を祈ってくれている、そう信じて返答を待つ。しかし返事は返ってこない。それもそうだ、いきなり自分を振った相手が翌朝になって何事も無かったかのように声をかけてきたならばニコだって怒るだろう。虫がよすぎる上に我儘すぎる。だがそんなのは重々分かっている。身勝手なのは承知の上でニコはひたすら返事を待つ。すると返ってきたのは返事ではなく、親指を立てたサインだった。昨日見たばかりのその形に驚く間も無く、タミヤはワイシャツの袖口をべろっと捲った。そこから出た腕には、ほとんど目立たないが薄っすらと細い傷が付いていた。

「この傷さ、小五の時に付いたんだ」
「うん」
「友達と喧嘩して酷いこと言っちまってさ。どうしようもなくなって走ってた時に、横から飛び出してきたお兄さんと衝突したんだ」
「ああ」
「俺、派手に転んだんだけど不思議と痛みが無くて。でもお兄さんの顔見た瞬間に涙が溢れちまったんだ」
「なんでだ?」
「多分、その喧嘩した友達に似てたからだと思う。俺、そいつのことすげえ好きだったんだ」
「そっか」
「でさ、そのお兄さんも友達と喧嘩してたんだって。でも自分は間違ってないって言い張ってさ」
「そいつはとんだ大馬鹿者だな」
「そうかもな。でもその人、別れ際には友達に謝るって言ってたんだ。あと、ちゃんと好きって伝えるって」
「嘘吐いてごめんな、って?」
「そう」
「好きじゃないなんて言って」
「本当だよ……」
「本当は大好きだって」
「うん…」
「その二人は仲直り出来たのかな?」
「きっと出来たよ、だってちゃんと気持ちが伝わったんだから」





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -