サマータイムズコンプレックス
2020.8.31 ライチ未来ifアンソロジー
『千手先の読めない未来を』寄稿83
サマータイムズコンプレックス
「この夏は海に行ってカネダを砂に埋めて、お祭りに行って出店全部制覇して、カネダん家の庭でスイカ割りして種飛ばしして、夜は線香花火やるからね」
暑さも本番。期末試験を終えた学生たちを夏休みへと誘うような蝉の声を押し除けて頭の上から降ってきた言葉たちは、夏の代名詞ともいえる行事の数々だった。
へえ、ジャイボも夏休みは定番のコースを楽しむんだーと思ったのも束の間、今の一息に自分の名前が入っていたのを聞き逃すわけにはいかなかった。
「は、え、僕? 僕ん家?僕もなの??!」
「だから言ってんじゃん、カネダを砂に埋めてカネダん家の庭でスイカ割り……」
「いやいやいやいや、なんで? なんで僕なの??!」
「なんでって、カネダ、夏休み過ごす人いないでしょ?」
夢はいつも、手元の小さな世界に広がっていた。
A4サイズの真っ白な世界は、嫌なことを忘れさせてくれるし、そこではどんな願いも叶えられた。
鳥のように自由に空を飛ぶ夢、魚のように優雅に海を泳ぐ夢、獣のように颯爽と地を駆ける夢、友人との理想を詰め込んだ自分たちだけのロボットをつくる夢。
自由帳はまさに自分だけの世界で、そこには僕の拙い絵と沢山の夢が広がっていた。そこからはみ出すことはなかったし、その中で叶うだけで満足だった。けれど、そんな自由な世界を与えてはいけない人物もいる。
「僕さ、この夏やりたい事が沢山あるんだけど、カネダのために仕方なく絞ってあげたから。夏休み、空けといてよね」
そう得意げに話す彼の手には柔らかいフォントで「自由帳」と書かれた一冊の世界があった。瞬時に近所の文具店「いずみ」のおばあちゃんの顔が浮かび、ほんの少し恨んでしまった。
今夏の企みを微塵も顔に出さずレジに自由帳を持っていくジャイボと、そんな企みなんてつゆ知らずお会計をしてあげるおばあちゃんの様子は容易に想像がつく。おばあちゃん、売っていい相手とそうじゃない相手がこの世には存在するんだよ。
「だだ、だったら他の人誘えばいいじゃん! ほら、常川君とか!!」
「え、なんで常川君なの?むしろ無理でしょ、お勉強で忙しそうだし」
「だって常川君ずっと勉強漬けだし? 雨谷君が誘えば気分転換になるかな、と思って」
学年一の秀才・ゼラの名前を挙げたものの、ジャイボの純粋な疑問顔に慌てて無理やりな理由でごまかす。そこでなんで常川君が出てくるの、相変わらずカネダって意味分かんない、と真顔で返される。
ひとまず咄嗟の常川君を追及されずに済んでよかったものの、どうやらジャイボの夏休みに僕が参加することは確定で、拒否権はないらしい。
「だって僕、夏休みはタミヤくんとかダフとかとプール行く予定あるし? 課題だってあるから二人と図書館で勉強するから…… 」
「毎日?」
「え?」
「夏休みの間、毎日田宮と田伏とプール行って図書館で課題やるんだ? へえ、よく毎日同じことやってて飽きないね」
「そ、その他にもあるよ?お祭り行ったり、花火やったり、川に釣りに行ったり……」
「さっき田宮に夏休みの予定聞いたら、
『んー、カネダとダフとプール行ったり図書館で課題やったりかな。盆は俺もダフもじいちゃん家行くしな』
って言ってたよ?お祭りとか釣りに行くのかも聞いたけど
『課題の終わり具合次第かな。去年あんまり終わってないまま行ったら母さんにめちゃくちゃ怒られてさ、今年は終わらなかったら行けないかもしれないから。釣りも同じだな』
だって。
田伏も概ねおんなじ答えだったけど、カネダは一体予定が入ってない夏を誰と過ごすのかなあ?」
なんと、ここまで先回りをされていたとは。他にもバイトやら家の手伝いやら言い訳を考えてみたけれど、どの理由も綺麗に論破されてぐうのねも出なかった。
「先約」という最後の抵抗も虚しく、僕の夏休みの予定があらかたバレてしまった。
「ま、毎日雨谷君と過ごすわけじゃないよね……?」
「んー、僕にも予定があるから夏休み全日ではないけど」
「ないけど?」
「頑張って絞って十個」
「十個もあるの?!」
「本当は百個以上あったけど三十個に絞ってあげたんだよ」
「三十個……」
「でも流石に毎日カネダといるのも大変だから、我慢してそのうち十個にしてあげた」
「だからなんで僕なの!」
「どうせ遊ぶ相手がいなかったら漫画読んだりゲームしたりして課題も終わらせず部屋でぐうたらして終わってたんでしょ? 丁度いいじゃん。僕がカネダの夏休みを埋めてあげるよ」
終業式までに読んでおいてね、逃げたらタダじゃおかないから、と死刑宣告と自由帳を残し、軽やかに自分の席に着くその後ろ姿は死刑執行人そのものだった。
ヒソヒソと周りの席から哀れみの声が聞こえる。
生まれ変わってもジャイボの奇行は健在で、やっぱりここでも『奇人変人の雨谷』で通っていた。
僕だって好きで絡まれてるわけじゃないと叫びたい気持ちをぐっと堪えて自由帳を睨む。
タイトルを『デ〇ノート』に書き換えたほうがいいんじゃなかろうかと恐る恐るページをめくり、僕は今年の夏休みに静かに別れを告げた。
「いやー、それは大変だったな」
「だから僕たちの夏休みの予定なんか聞きにきたんだ」
「もう少し前から予定立てとけばよかった……」
「まさかこんな事になってるなんて。悪かったな、カネダ」
「嘘でももうちょっと予定入れてるフリしとけばよかったね」
「ううん、二人は悪くないよ」
「しかし、よりによってカネダがジャイボと同じクラスなんてな」
「ほんと、なんの因果なんだろうね」
「僕が聞きたいよ……」
僕、そしてタミヤくんとダフは16年前、同じ年に幼馴染みとして生まれ変わった。
あの時と変わらず三人並んだ写真は今でも家の居間に飾られている。
三人とも容姿や家族構成など、以前と何一つ変わっていなかった。(ダフの眼帯も相変わらず健在だった)
偶然か必然か、僕らは三人とも前世の記憶があり、お互いの情報を共有しながら現在まで何事もなく過ごせていた。
途中、ゼラとジャイボ以外の光クラブのメンバー全員と出会った。
雷蔵とデンタクは記憶があり、再会した時は思わず皆で抱き合った。
ニコとヤコブは記憶が無かったけど、無いなりに穏やかに過ごしているようだった。
ニコに至っては右目が然るべき場所にあった。本当はあって当然なのに、なんだか両目の揃ったニコはかえって違和感があったけど、それは僕らが生まれ変わった証拠なのだと改めて感じた。
「ま、光クラブの記憶もない感じだったから、ジャイボとしてじゃなく『同級生の雨谷』だと思って付きあってみれば?」
「そうだな、案外途中で飽きて解放してくれっかもしれねえぞ?」
「もう、二人とも他人事だと思って!」
「まあまあ、流石にこの時代なら殺されないだろうし」
「心身共に疲労で殺されるよ」
「俺らとの予定もあるし、なんか困ったら助けてやっから」
「十個だったら四日に一つのペースだしね!」
フォローのつもりだったダフの一言は、夏休み期間のうち四日に一日はジャイボと過ごさなければならない僕にとどめを刺した。
■ ■ ■
終業式が終わった。
四十日分の課題と課題のリストを前に騒ぐクラスメイトを他所目に、僕は終わらせる日数の逆算をしていた。
まる十日間はジャイボに取られるとして、タミヤくんとダフと遊ぶ日もあるから大体二十日でこの量を終わらせるしかない。
とりあえずスケジュールを固めないと、と手帳に挟んだ四つ折りのルーズリーフを広げた。
前途多難な夏休みの幕開け数日前、ジャイボが手書きのカレンダーを突きつけてきた。
どうやら予定がある日は書き込めという事らしい。
いっそのこと全部埋めてやろうかと思ったけど僕にはアリバイがない。
先日言われた通り、タミヤくんたちとの予定がない日は確実に家にいるのだ。
下手な嘘をついて家まで押しかけられたらたまったものじゃない、と泣く泣く正直に予定を書いた。
今頃貴重な十日間が煮たり焼いたりされているかと思うと正直悔しい。
けれどその悔しさは自分の休みを犠牲にしたジャイボに対するものなのか、ジャイボに何も言い返せず要求を飲み込んでしまった自分に対するものなのか、はたまたどちらもごちゃ混ぜにした悔しさなのか、明確に結論を出せないまま筆圧高めの字で埋めた予定表をジャイボに返した。
「はい」
予定表が返ってきたのは終業式の日の朝だった。
四つ折りにされたそれを開くと、思ったより過密なスケジュールでは無かった。が、あらかじめ聞いていた『やりたい事』を実行する日と先約の予定が入って
いる日以外、つまり元々何の予定も無いはずの日になにやら黒い点が打たれている。
しかもほぼ全ての日に、だ。嫌な予感がした。
「あ、雨谷さん、この黒い点は……」
「ああ、それは課題を終わらせる日」
「カダイヲオワラセルヒ?」
ちょっと何を言っているのか分からなくて、片言のおうむ返しをしてしまう。
「楽しい予定ばかり詰め込んで課題が終わらなくて、それを僕に付き合ったから、なんて言い訳されたらいい迷惑だからね。遊ぶからには面倒な事は先に片付けるよ」
迷惑?! だったら元から僕を誘わなくてもいいのでは?! と言えるはずもなく、確かに振り回されて疲れて課題が後回しになるのは困る。
最終日や休み明けに悲惨な思いをするのはこちらとしても避けたいところだったので、渋々承諾する。
「あ、課題はカネダん家でやるから宜しくね」
「え、初耳なんだけど」
「カネダん家でやりたい事もあるって言ったでしょ。ついでに課題の進捗も管理できるし、サボってないか監視もできるし一石二鳥じゃん」
「いやいやいやいや、そんな急に無理だって!家族の都合もあるし……ほら、雨谷君だって家族で出かけたりとかもするだろうし!」
「うちの診療所は内科と小児科で夏休み突入と同時に患者が増えるから出かけてる暇なんてないよ」
「い、家の手伝いとかは……」
「高校生が医療行為なんてしたら捕まるんだけど。もしかして、カネダってバカ?」
えーっ、過去に同級生に麻酔打って眠らせたり人に規定量以上の筋弛緩剤打って殺したりした人が言う台詞ですか?!
記憶が無かった事は幸いだったけど、違う意味でここまで苦労するなんて思わなかった。
クラクラする頭を押さえる僕に
「熱中症? ほんとカネダって根暗だよね。終業式中に倒れないでよね」
と聞き覚えのあるフレーズを残して他人事のように体育館へ向かう。
熱中症の方がどれだけマシか。
ホームルームが終わったら速攻帰って家族に口裏を合わせてもらおう。
熱が籠る体育館で、式の終了から家族に説明するまでを何度もシミュレーションした
。
帰ったらお昼の支度をしているお母さんとばあちゃんに事情を説明しよう。
そしてなんとか予定を立ててジャイボを追い返してもらう。
追い返してもらったら一息つくために麦茶を飲もう、それまでの辛抱だ。
「はい、雨谷君、暑い中ご苦労様」
「すみません、お昼まで頂いてしまって」
「いえいえ、こちらこそ助かるわ。りくと一緒に課題を進めてくれるなんて」
「僕の方から金田君にお願いしたんです、一人だと怠けちゃうから一緒にやって欲しいって」
長い長い校長先生と担任の「浮かれすぎないように」という忠告とやけに遅く感じた秒針から解放されて、僕らは夏休みへと突入した。
といっても、僕の場合はこれから正式に突入するために突破すべき関門がいくつかあった。
流れるように荷物を鞄にまとめ、先に帰ると幼馴染2人に告げ、クラスでも下から数えた方が早い足の速さを限界まで高めて家路を駆ける。
流石に自転車に乗り込んでしまえばジャイボも追いつくまいと教室を一番乗りで出るときに後ろをチラッと見る。
急ぐ様子もなく普段通りに帰り支度をする少年に内心勝ち誇り、これであの我儘に振り回される日が少し減ると思わずにやけてしまう。
引き笑いの癖がついて横に広がる口をきゅっと結んで、事故が起きない程度のスピードで自転車を漕いだ。
「あら?おかえりなさい、早かったわね。お昼は冷麦でいい?」
「おや、おかえり、りく。暑かったろう、麦茶でも飲んで落ち着きなさんな」
家に帰ると予想通りお母さんとばあちゃんがお昼の支度をしていた。
予想より早かったのか、少し驚いたような出迎えだった。
氷の入ったコップを手渡すばあちゃんの言葉に甘えて麦茶をもらう前に、くだんの件を説明する。
息切れしているのと焦りもあってか途切れ途切れにしか言葉に出せなかったけど、とにかく夏休みに何かしらの予定を立てて欲しい事、予定があってジャイボの誘いを断りやすくして欲しい事を一息に話した。
きょとんとした顔で話を聞く二人に伝わったかどうか定かではない。
とりあえずシミュレーション通りに説明が終わったから、これから来るであろうジャイボを追い返してから飲むための麦茶を注ごうとして、あれ?と食卓を見る。
そこには四人分の用意がされていた。
「あれ、今日お父さん帰ってくるの?」
「お父さんは夜まで帰って来ないわよ」
「じゃあなんで四人分用意してあるの?」
「あんた、何言ってるの?それは……」
ピンポーン
答えのタイミングでチャイムが鳴った。
網戸になっている引戸玄関がカラカラと開く。昼時にお客さんか、暑いのに大変だな、なんて思いながら麦茶を注ぐ。
「あらやだ。やっぱりりく、先に帰ってきちゃったのね、ごめんなさいね」
不意に呼ばれた名前にどきっとする。今日は誰とも帰る約束をしていない。
蝉の声が煩くて、お母さんと話している玄関先の相手が誰だか分からない。
もしかして、何か忘れ物でもしたのをタミヤくんかダフが届けにでも来てくれたのかな?
いや、今日は何が何でもミスをしてはいけないと机の中もロッカーの中も全部カバンに詰め込んできたはずだ。
間違いなく忘れ物はしていない。だったら?
なんだか嫌な予感がして、注いだままの麦茶とコップを持ったまま恐る恐る廊下に顔を出す。
「いえいえ、僕の支度が遅くて。それに一旦家に寄ってきたので少し遅くなってしまいました。あ、それと、これ。少しですが、お世話になりますので」
客人は紐の括り付けられた子綺麗な箱と艶やかな大玉のスイカを玄関先にゆっくりと下ろした。
「まあ、立派なスイカ!後で部屋に持っていくからね、さあ、上がって頂戴」
お邪魔します、と茶色い革靴を揃えて上がる客人は、僕と目が合うとにっこりと笑う。
「お邪魔します、カネダさん」
氷がコップのふちをなぞり、カランと鳴った。
■ ■ ■
もう何杯目か分からない麦茶を飲み干し、空いたコップを再び満たす。
かなりの量を飲んだはずなのに、喉は乾くし部屋は暑い。
日中ひどく陽の入る勉強部屋には立派なエアコンが備わっている。小さい頃に遊びに熱が入りすぎて熱中症になった僕に両親が買ってくれたものだった。
夏は決まって冷房の効いた部屋で適度に課題をやりながら趣味に興じるのが最高の贅沢だった過去の自分が今の僕を見たらどう思うだろう。
寝ながらアイスを食べるでもなく、枕元に読みかけの単行本を広げるでもなく、夏休み前日から客人用の折り畳みテーブルに広げた課題に取り組んでいるのだ。
目の前にジャイボがいる中で。
ちらりと向かいに座るジャイボは課題と一緒に例の自由帳を広げていた。
終わらせるのか始めるのか分からない手元は忙しなく動いている。
「僕ばっか見てないで、課題終わらせなよ」
「みっ、見てないよ!」
慌てて目線をノートに戻すけれど、膨れたお腹と午後一時の心地よさは微睡み直行コースだった。
じんわりと上がる体温と冷房のなんとも言えない絶妙なバランスは昼寝を義務付けているようだった。
「雨谷君、ちょっとだけ昼寝してもいいですか」
「そんなこと言ってたら夕方まで寝るんじゃない?」
「十五分だけ」
「ま、僕は構わないけどね、永遠に眠ってても」
「やっぱり前言撤回」
トントンとノートを軽く突く音に一気に血の気が引いた。
数十分前、僕とジャイボは賭けをした。
一時間後に終えた課題の量が少ない方が多い方の言うことを一つ聞く。
そうでもしないと終わらせないでしょ?とサラッと提案する目は爛々としていて、よくもまあそんなポンポンと(僕にとって)デスゲームを思いつくのかと感心する。
どうにか「この夏休みにジャイボに付き合う日を減らす」という希望を叶えるために必死で目をこじ開けるけど、この十数年間で培ってきた性格はそう簡単に治るわけもなく。
眠い時は潔く寝るという健康優良児っぷりを発揮して、見事にジャイボの携帯による午後二時の爆音アラームで己の敗北を知った。
「はい、僕の勝ち。何聞いてもらおうかな」
勢いよく意識を現実へと戻された横で例のデ○ノートを広げ、小刻みにシャーペンを振っている。
さながら処刑道具を推考しているような、真剣で、かつ嬉々とした表情をこらえるように寄せた眉間の皺を見やる。
ジャイボもこんな人間らしい表情をするんだ、とか、本当は光クラブの記憶を持っているんじゃないか、とかいろいろ考えてみた。
記憶を持っているけどまた僕を苛めるために何も知らないふりをして近づいているという、我ながら恐ろしい仮説を立ててみたけど、今のところ確認する手立てはない。
そう判断した僕の意識は元の場所へと静かに戻っていき、察しの通り、午後三時までの一時間も僕は完敗し、見事にジャイボに二点を先取されてしまった。
「で、しっかり十五分以上の昼寝を決めた感想は?」
「お、おかげさまでぐっすり眠れました……」
「僕もカネダのおかげで課題ははかどったし、言うこと二つ聞いてもらえるから頑張ってよかった〜」
これみよがしに真っ白な僕の課題と順調に進んだ自分の課題を並べて不敵な笑みを浮かべる。
昼寝のおかげで冴え渡った頭が、夏休みの支配権がジャイボにあることを思い出させる。
「約束通り、二つ言うこと聞いてもらうからね。まずは……」
蝉が楽しい夏休みを祝うように鳴き叫ぶ。
僕らは今、ジリジリと陽の当たる縁側で冷えたスイカに齧りついている。時折、ぷぷっと種を飛ばしてはどっちが遠くまで飛んだか競い合う。
ちょうど午後三時というのもあったかもしれない。ばあちゃんの僕らを呼ぶ声がおやつの時間を知らせる。
部屋を出る前、今行く、と返事をした僕に続いてジャイボは、
「スイカとそうめんが食べたい」
と言った。
何かもっと酷いことをさせられるんじゃなかろうかと怯えていた僕は呆気にとられた。
「スイカとそうめん?」
「うん。ちょうど僕が持ってきたスイカがあるから、縁側で食べる。それが一つ目の言うこと」
「そ、そんなのでいいなら」
「やった!あ、カネダん家って庭で種飛ばししても怒られない?」
「怒られないと思うよ? 僕も毎年飛ばしてるし、種は放っといても腐らないからってばあちゃんが言ってるから」
「じゃあ早く種飛ばしするよ! 夜はそうめんね!」
「夜……って、夕飯食べていくの?!」
「もうカネダのお母さんの承諾得てるもん!」
そう言って無邪気に階段を下りていく姿は心なしか楽しそうだった。
その後、なんとか昼寝の分の課題は取り戻し、夕飯にそうめんをすすったジャイボを近くまで送る道中、そういえば、と尋ねる。
「もう一つの言うことって聞いたっけ?」
ああ、と鞄を漁るのを見て、自ら墓穴を掘ってしまったことに気付く。
ジャイボのいう『やりたい事』の数を三倍にされるとかだったらどうしよう、考えるだけでさっきのそうめんを戻しそう、と気持ち悪くなっていると、あったあったとデ〇ノートを取り出し、両手でなにやら箇条書きがされているページを僕に見せる。
陽の高い夕空の下、ほんのり橙色のページには『今年の夏にやりたい事』と題が打ってある。どうやら前に見たものを清書したらしい。
その箇条書きのうちの一つ、
『麦茶・スイカ・そうめんを飲んで食べる』
が赤線で消されていた。
三つとも、今日うちで食べたものだった。
「よく、夏休みはプールに行ったりお祭りに行ったりするじゃん?」
「うん、そうだね」
「僕さ、今までそういう夏を過ごしたことがなかったんだよね」
「……え、もしかして雨谷くんって、虫採りしたり帰省したり、皆と集まって終わらない課題を進めたりしたことないの?!」
本気で驚く僕に口を尖らせながらも、なぜか反論してこない。ここで
「無いよ、悪い?! カネダに言われると腹立つんだけど!」
くらい返ってくると思ってたけど、隣で真剣にノートを見せるジャイボにこれ以上は言えなかった。
「知ってると思うけど、うち両親が医者でさ。長期休みはほとんどなかったから夏休みとかになると大概一人で過ごしてたわけ。
最初は全然気にしてなかったけど、なんだかんだ周りがそういう夏らしいことを経験してるのが羨ましくなってきてさ。
なんでカネダに声かけようと思ったかは自分でも不思議なんだけど、カネダなら一緒に夏を過ごしてくれそうな気がして」
これはジャイボだ、騙されるな僕! 仮に記憶がなかったとしても本質はジャイボのままなんだ。もう既に夏休みを乗っ取られ始めているんだぞ!
そう頭の中では分かっているのに、なぜか無下にできない。どうも目の前にいるのは純粋に『ただの雨谷典瑞』で、あの残忍なジャイボの人格は前世に置いてきたようにも見える。
何も言葉を返せない気まずさに耐えかねて、話題をずっと手にしているノートへと移した。
「これは?」
「これがもう一つのお願い」
言うことからお願いへとすり替わっているのも気にならないほど、ジャイボはまた真剣な表情をした。
「僕と、正しい夏を過ごしてほしいんだ」
あのジャイボが僕に頼みごとをしている。彼は定番の夏を過ごしたことがない。正しい夏、正しい夏ってなんだ? そもそもジャイボが僕にお願いするって相当のことじゃないのか? やっぱりこっちは純粋な雨谷典瑞なのではないか?
まとまらない頭で何を言っているのか整理しようとしても、うまい返しが出来ない。
そもそもお願い以前に、ぼくの夏休みの一部は既にジャイボの手の上にある。今更拒否したところで言うことを変えられたらおしまいだ。
どうせジャイボじゃないなら、とやけくそで返事をする。
「うん、分かった」
ピコン
僕が返事をした瞬間、どこからか電子音が鳴った。ジャイボがノートを片手で持つと、もう片方の手からはスマホが出てきた。
画面はレコーダー機能。たった今、録音を止めたところだった。
ジャイボが赤い再生ボタンを押すと、正しい夏のくだりから僕の了承の返事までが再生される。
錆びついた首をもちあげると、そこにはスマホを軽く振りながら満面の笑みを浮かべる死刑執行人がいた。
「言質取ったからね? 今年の夏はよろしく、カネダ」
前言撤回。
どうやら雨谷典瑞はそう簡単にジャイボを前世に置いてきたりなどしていなかったようだ。
はみだした世界を目の前に掲げられた僕は、貴重な夏休みに二度目の別れを告げた。