千歳茶は薔薇に眠る

※社会人パロ
※年齢操作


れみさんに感謝の気持ちを込めて。








何度ディスプレイの時計を確認しただろう。
今日は残業出来ないと3日も前から伝えてあったのに、それにも関わらずデスクには付箋、メモ、置き手紙の嵐だった。


「○○社の△△さんに折り返しお願いします」
「□□課の◇◇さんが会議の日程についてお話ししたいそうです。本日中にお返事が欲しいとのことでした。」
「部長が机上の資料の手直しをお願いしたいとのことでした。宜しくお願いします」


周りを見渡せど、返事が欲しいと伝言を残した先へ内線外線を回せど、目的の人はいなかった。近くの人は皆、口を揃えて


「もう御帰りになりましたよ」


と受話器の向こうで真実を告げた。
誰だ、今日中に返事が欲しいって残した奴は。そもそも今日は直帰のはずだった。個人の番号を知らなかったために、こうして自分のデスクまで戻って来た。お前の返事のために、わざわざ!!!


会社の備品ではなさそうな可愛らしい付箋にこぢんまりとした字で書かれた用件は、無性に腹立たしかった。合わない大きさのメモに書ききれなくなってしりつぼみの伝言は更に苛立ちを加速させた。備品として供給されているならもう少し頭を使えと言いたくなるけれど、受けた人物も、かけてきた人物も決して悪くない。ただ、自分の虫の居所がたまたま悪かった。それだけだ。込み上げてきた感情をゆっくりと水底へと鎮めていく。もう社会人なのに、直帰出来ずに連絡が取れなかったくらいで癇癪を起こしてはいけない。まばらではあるが、オフィスにはまだ人影がある。粗暴な振る舞いをしたら目立ってしまう。今日は金曜日で、一応カレンダー通りに休みの会社だ。週末に面倒ごとはごめんだった。



「まーじか……」



今日はもう帰ろう。
机の上のメモ類を綺麗に片付け、デスクの上をまっさらにし、周辺機器を落とした時。来週一番に片付けようと一番上に置いた資料。それにも付箋が貼ってあったことに気づいていなかった。そこには赤文字の羅列、羅列、羅列。ここをこうして欲しい。ここはこうするともっといい。ここはわかりにくいから省いて違う資料を付け足したほうがいい。そういった、こちらとしては非常にありがたい指摘が十数箇所。紛れもなく直属の上司の字だった。真面目にやってる人間へのバックアップは大きく手厚いと入社の時に聞いていたけれど、ここまでとは思わなかった。重なる付箋に深々とお辞儀をして、その資料を床に叩きつけた。手直しは来週月曜の昼までだった。とてもではないけど、今から始めたら日付を超える仕事だった。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」





時刻が間も無く次の日付を迎える頃だった。
取引先で意気投合した相手とプライベートで飲みに行った帰り、勤務先の明かりがついているのが見えた。休日前にご苦労なことだ。仕事が終わらなかったか、はたまた人の少ないオフィスの方が捗るのだろうか。どちらにしても自ら貴重なオフを仕事に充てることはまずない自分にとって、それはスルーしても差し支えない景色だった。しなかったのは、その明るいフロアが自分の部署と同じ高さにあったからだった。


「なんでこんな時間に……」


定時以降は会社に留まらないと決めているのにジャケットに常に入れている名刺と身分証のおかげですんなりと建物に入れた体が、なんの迷いもなくエレベーターに乗り込み、慣れた手つきで5階を押す。
このフロアには自分の所属も合わせて9つの課が看板を立てている。会社の中心部署なだけあって個々人のスペースが広く取られたデスク群はいつ見ても壮観なものだったが、繁忙期ともなるとそれぞれに壁と見間違えんばかりの書類や書籍が連なる。
珍しく残業をする人間の姿が見えない中、いつもは平原のようにまっさらで綺麗な机に堅固な壁を築き、その城門で倒れている一人の兵士がいた。その頬には、うっすらと線が入っている。


「ジャイボ、おい、ジャイボ。大丈夫か?」
「………ん、あ、え……ゼラ………???」


寝ぼけているのか疲れているのか、合わない焦点がかっちりと僕の目に合うと、途端にジャイボはポロポロと涙を流した。”とめどなく”でも、”流れ落ちる”でもなく、雨粒のような滴がポタポタと垂れ落ち、スーツに染みを作っていく。


「どうした、具合でも悪いのか??!」


長い付き合いの中で泣いたところをほとんど見たことがない、社会人で安物でも一級品のように着こなすジャイボが、仕事で苛立っても愚痴はこぼせど弱音など吐かなかったジャイボが、僕と喧嘩をしても決して涙を見せることがなかったジャイボが泣いているという事実になぜか心配よりも安堵が勝った。


「僕、しっかりしなきゃって。社会人になったし、ゼラだって頑張ってる。他の奴らだって頑張ってるんだから僕だってやらなきゃって、昔みたいに我儘言ってゼラを困らせないようにしようって頑張ってみたんだ。でも、全然前が見えないんだ。積み重なった資料や付箋で視界が覆われていって、これをどうにかしなきゃゼラには会えない、こなさないとどんどん置いていかれちゃうって、僕はもう社会人だから、ぐっと堪えて我慢しなきゃいけないんだって」


吐露する間も涙は止まらない。
顔を歪めることも、眉間にしわを寄せることも、力んで涙を止めようとすることもせず、淡々と思いを言葉に変えながら一定間隔で落ちていく涙。感情を置き去りにして話し続けるその様子はどうにも無機質なのに、あのジャイボが涙を流せるということにとてつもない安堵感を覚えた。
ひとしきり我慢のバケツをひっくり返した後、見たこともない弱々しい表情で「ごめんねゼラ、今日は帰れそうにないや」と呟く様子に、もしや、と思い声をかける。


「ジャイボ、もしかして僕のメモ書きを読んでないのか?」
「メモ書き……ゼラの?どこに………」


総務課からの支給品。大量注文の安価な企画品。
単色で柄のない事務用品の付箋は、視界にも入らない同僚たちの置き書きの中でキラキラと小さな光を放ち始めた。えっ、気づかなかったよ、こんな大事なメモを見逃すなんて、そうごまかしながら笑おうとして、口の端は上がらなかった。


【2段目の引き出し、右奥の箱の中】


書き手を表すような細くまとまった端正な字。
他の人にわからないよう、書類でカモフラージュした綺麗な装丁の小さな菓子箱の中。入社時からゼラしか知らない、秘密の箱の中。レトロなバラ模様が描かれた宝箱の中にはもう一つ箱が入っている。柔らかなその手触りは初めて触るも、知識だけはあった。けれど、イメージとは違う珍しい色だった。緑と茶色を混ぜたような、落ち着いた色。グレーまではいかないのかな、でも凄く綺麗だと思った。


「ずるいよ、僕が先に言おうと思ったのに」
「それは残念だったな。この日のために僕はもうずっと前から、なんて伝えるか考えてあったからな」


オフィスに何十台もある量産型の時計が規則正しく時を刻み、色素の薄い唇が得意げに優しい弧を描く。二つの針が1つに重なった。


「ジャイボ、生まれてきてくれてありがとう。

ここまで何事もなく生きてくれてありがとう。

僕を見つけて、出会ってくれてありがとう。

いつも僕の側にいてくれてありがとう。

弱い僕を支えてくれて、ありがとう。

これまで、僕の手を引いてくれてありがとう。

沢山迷惑をかけてきたし、沢山我儘も言ってきた。我慢できなくて癇癪を起こしたこともあったけど、お前だけはずっと離れないでいてくれた。

これからは僕がお前の手を引いて、隣を歩かせてくれないか?」



涙で視界がぼやける。
ああ、僕は泣いてもいいんだ。辛い時は辛いって言っても大丈夫なんだ。今頃になってじんわりと目が熱くなる。
本当は予約した店で精一杯気取ってバラの花束を渡して僕が守ってあげるって言いたかったのに、歳を取ると弱くなるって本当だな。
でもその弱さをお互い支えられる相手に巡り会えたなら、それほど幸せなことはない。けれど、


「今度からはもっと分かりやすくしてよね!他の奴らなんかに埋もれないように!!」
「大丈夫だろ、もう印もつけてあるから埋もれないし、埋もれさせない、誰にも取られない」


控えめに蛍光灯の光を受ける指輪の銀色を眺めながらつい口を尖らせてしまう。涙を見せた僕に対して余裕のこの態度、同い年なのに精神年齢の高さを見せつけられたようで少し悔しい。


「そういうこと恥ずかしげもなくさらっと言えるようになっちゃったのも大人になった証拠だよ…ね……」


どうやら、体は嘘をつけないらしい。
すまし顔の彼の耳は、しっとりと赤く染まっていた。そうとは露知らず、返事は?と尋ねてくる僕の帝王様、あとで真っ赤だったよって教えてあげよう。仕方がないから、特別に無機質な付箋に乗っかったゼラからのメッセージに3色ボールペンの赤色で返事を書いてあげる。


【僕が幸せにしてあげる!!】




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