拝啓、日陰のヒーロー様

※会話多め






「僕さ、ヒーローになりたかったんだ」


冷たい鉄塔を見上げるこれまた冷たい帰路の道中、カネダは自嘲気味に笑いながらそう吐き捨てた。どうして今、こんな時に、何故わざわざ僕にそんな事を吐露したのかは定かではないが、今の時点で分かるのは、こいつはどうかしているということだけだった。


事の始まりは今日の掃除の時間。規則に従って大人しく掃除をするわけがなく、清掃時間終了のチャイムが鳴るまで適当に校内をフラフラするのが日課の僕の後を追いかけ、「ジッ……雨谷くん!!」と、うっかり光クラブでの名を呼びかけたのを慌てて訂正して僕を呼び止めたカネダは上がった息を落ち着かせてから僕に本題を突きつけた。


「今日、一緒に帰らない?」


普段は人の顔を見ただけでバケモノにでも遭遇したかのようにビビってタミヤの後ろに隠れたり逃げたりするくせに、今日はやけに積極的だ。何か企んでいるんじゃないかと疑うも、根暗で気弱なカネダがそんな事思いつきやしないかと僕は二つ返事をした。イエスの返答に驚いたのか、それとも僕が素直に応じたのに驚いたのか。どちらにせよカネダにとっては相当の反応だったらしく、目を丸くして「じゃあ放課後に」と、何もないところで躓きながら元来た道へと引き返していった。別に取って食おうってわけじゃないんだからと呆れていると、程なくしてチャイムが鳴った。ガタガタと机を元の位置に戻すクラスメイトに紛れてサボりの証拠を隠滅し、終業のチャイムと同時に廊下へと雪崩れる学生の群れを見送る。その間、件のカネダはしきりに廊下の方を気にしていた。ははぁ、これはタミヤ絡みの事だなと面白そうなネタを見つけた僕は、これでしばらくはカネダの弱味で遊べると口角を上げた。







「急に何?なんで僕に言うのさ」
「ジャイボなら笑わずに聞いてくれると思ったから」


昼間におどおどと呼び止めたのが嘘のように、言葉を詰まらせることなくカネダはそう返した。いつもだったら僕と話すということ自体を避けて生きているような人間が物怖じもせず僕と会話をしている。持て余していた余裕が一瞬で吹っ飛び、驚きと同時に新鮮さと違和感を感じて僕の方が一瞬言葉に詰まってしまう。


「ぼ、僕が一番笑いそうじゃん」
「笑わないよ、ジャイボなら」
「それはどうかな、カネダのそのヒーローとかなんとかっていう話次第だよ」
「別に面白い話ではないんだけれどね」


そう切り出すと、堰を切ったように、しかしゆっくり淡々と、カネダはヒーローになりたかった少年の話をし始めた。





その少年は明るく元気で活発な子で、住んでいた場所には難あれど、家族にも友達にも恵まれ楽しい日々を過ごしていたという。彼には特に仲の良い友達が二人ほどいた。彼らは同時に幼馴染でもあり、ほとんど毎日一緒に過ごしていた。一人は怪しいものに興味があるが優しく素直、ちょっぴりおませなA。もう一人は少々天然で無自覚だが明るく正義感の強い、人気者のB。二人とも少年と同様、明るく元気で活発だった。

少年とA、Bは常に一緒にいた為、いい意味でも悪い意味でも比較されることが多かったという。身長、かけっこ、成績。ものさしは数多くあったが、その中に「立ち位置」という分かりやすい目盛りがあった。人気者で目立つ子がいい役、そうでない子は日陰の役、といったように目には見えない空気が漂い、幼いながらにそれらを読み取り汲み取りながら彼らは遊びに興じていた。

ある日、彼は幼馴染とその他の友達と遊んでいた。いつもと変わらず楽しくやっていたところ、少年とBがぶつかって怪我をしてしまった。お互い擦り傷程度で大事には至らなかったが、少年は違かった。大丈夫、と駆け寄ってくる友達。怪我は無いか、と心配してくる友達。しかしその多くの瞳に映るのはBだったという。もちろん少年のことも心配していたが、その天秤は限りなくBの方に傾いていたと後に彼は語る。その後、周囲の少年とBを見る目は徐々に変わっていった。少年が特別軽視されたりいじめられていたのではなく、突出してBに向けられる目が変化していったのだ。一方のBはというと、これまた特別なことをしたわけでも友達を買収したわけでもない。彼は無自覚のうちに、彼の人柄や人望をもってして自然に周囲の意識を自身へと向けていたらしい。少年はこの日、擦り傷では済まない大怪我を負った。

これを機に少年のBや周囲に対する意識は格段に変わっていった。何をしてもBの結果やそれに対する周囲の反応に過剰に反応するようになってしまった。初めのうちはそれらの反応がBの人柄やそこから伺える人気によるもので幼馴染として誇らしかったり羨望の眼差しを向けたりしていたが、次第にそれらが言い換えられた自分への期待値の低さであり、少年はBの引き立て役だと遠回しに言われているようでならなかったという。これだけならただの少年の勘違いややっかみで済ませられる。そんなことないと慰めることも出来る。が、そこで厄介なのがBの存在だった。

Bは自分が人気者である自覚や慕われているという感覚、少年が自分に様々な思いを抱いているのに気付く敏感さ、そういったものが恐らく無かった。無自覚に人を寄せつけ、無自覚に人を羨望させ、無自覚に憧れを抱かせる。もちろんそこにはBの故意も周囲からの批評も無い。ただの一少年の考察だ。それ故にこの行き場の無い感情は余計に厄介さと複雑さを増していく。Bは自分より人気だ。しかしそれはBが意図的に周囲を操作したり少年を貶めたりして作り上げたものではない。それどころか逆に自然に出来上がっていったことにより与えられた「日向」という役なのだ。少年はBが憎らしくも嫌いでもない。むしろ周囲の友達と同じく憧れの対象であり、彼も羨望の眼差しを向けていた一人だった。しかしそれは同じく「明るく元気で活発」な舞台に立っていた頃の少年の話である。陰日向という言葉があるが、日向があればその明るさを引き立てる影もあるのだとこの時少年は知ってしまった。そしていつしか少年は日向の眩しさに目が眩み、その光を遮るように片目を覆い、





「上を向くことが出来ず下ばかりを向いて歩くようになりましたとさ」


おしまい、と締めくくられた一人の少年の物語に、たった一人の観客は言葉を見つけられなかった。同情ではなく、自分の知らないカネダに驚いて、弄ることも笑うことさえも忘れて聞き入ってしまった。なんとかいつもの僕の調子を取り戻そうとするも、隣で昔話を無事に語り終え、今まで見たこともない晴れ晴れとした表情をするカネダに僕の方が取って食われそうだった。なんとか平静を装うため、今目の前にいるのはいつものカネダじゃない、かつてのヒーローになりたかった少年なんだと思い込むようにした。


「へえ、昔は明るかったんだ。今からじゃ想像もできないね」
「こう見えてね。だけど日陰に居続けて今じゃ見事に根暗だよ」
「きゃは、それで鬱屈の瞳の完成ってわけね」
「うん。でも片目を覆ったことで日向が更に輝きを増して見えるようになったからそれは収穫かな」
「随分殊勝な役者だこと」
「お褒めに与かり光栄です」
「うわー、わざとらしい」


紳士の真似事のように片手を前に、片手を背に回して恭しくお辞儀をしたカネダはやっぱりいつもと180°違っていて新鮮だった。怖がりも、物怖じもせずまるで今までの根暗さが演技かのように普通に話すカネダはこんな感じなのかと面白くもあった。けれどどうも今までのカネダが僕にとって初めてのカネダでそれが当たり前だと思っていたわけだから、どこかこの“かつての”カネダに胸の奥の方で違和感が燻っていた。


「ね、やっぱり笑わないで聞いてくれた」
「あまりにも唐突すぎたんだよ。今とのギャップ激しすぎて笑うどころじゃなかった」
「ふふ、ジャイボに話してよかった」
「ていうかやっぱり分かんないんだけど、僕なら笑わなそうっていう理由が」
「ああ、だってジャイボも、」


「狂わされた側の人間だと思ったから」


僕は、自分で言うのもなんだけど、美しい容姿の持ち主だと思う。今まで僕より美しいと思ったのはゼラくらいしかいないし、カネダなんて話にもならないと思った。けれど、僕を自分と同じだと言い切るその表情は恐ろしく妖艶だった。そして、とてつもなく美しいと思ってしまった。直ぐにその表情は崩れて僕の意識もパチンと弾けたけど、その余韻は強く、残像としていつまでもフラッシュバックのように蘇ってくる。カネダなんかにあり得ないと思ったけれど、一瞬、一瞬だけ、不覚にも心臓が飛び跳ねてしまった。落ち着け、これはかつてのカネダであって本当のカネダは根暗で陰気臭くて、とにかくこんなんじゃないんだ、なんて必死で言い訳を並べるも、どうしたのというカネダの声でハッと我に返る。


「僕が狂わされた?」
「ゼラにね」
「それを言うならカネダだってタミヤに狂わされてるじゃん」
「せっかくなんだからそこは敢えて友人Bにしておいてよ」
「伏せたところでバレバレだから、元ヒーロー志望の少年くん」
「あはは、確かに。でも今日話せてすっきりしたよ、もうそろそろ終わりにしようと思ってたから」
「何を?」
「ヒーローに憧れ続けるのを」
「なに、ヒーローは二人もいらないって諦めるの?このご時世、戦隊ものなんて色違いが5人も6人もいる時代なのに」
「違うよ、ヒーローは僕が勝手に言ってるだけだから…」


チリ、と違和感が再び熱を帯びた。僕がかつてのカネダだと思い込ませてきたこのカネダに感じていた違和だ。最初はぼんやりと燻っていたそれが、だんだんと大きな塊へとなっていく。


「じゃあなに、日向が眩しすぎたからとても言うつもり?」
「ヒーローには日向が似合うんだよ。それに、日陰のヒーローなんて聞いたことないし……」

チリ

「なにそれ、日向日陰って、カネダが勝手に日陰に逃げただけじゃん」
「だって、タミヤ君は人気者で、僕なんかと違って明るくて優しくて、皆のヒーローだけど、僕は、人気者じゃないし、格好良くもスポーツができるわけでもないし……」

チリ…チリチリ……

「だから自分なんかじゃヒーローになれない?」
「僕は日陰にいる根暗な引き立て役の方が似合うから……」

ジッ、ジリジリ、ジジッ

「あのさあ、」




「カネダがヒーローになれないなんて、誰が言ったわけ?」




もう我慢ならなかった。ヒーローに憧れた少年が日向の眩しさをまざまざと見せつけられたことも、あまりの眩しさに日陰に隠れてしまったことも、その眩しさに目を潰して下を向いてしまったことも、寒い陰の下でひっそりとその夢を捨て、枯れ果ててしまおうとしていることも。胸の奥で燻っていた違和感が一気に爆発し、僕は舞台上に乗り込んだ。


「さっきっから聞いてたら随分な言い様じゃん。カネダに彼の何が分かるのさ!彼はヒーローになりたかったんだよ!!なのに勝手にタミヤが眩しいだの人気者だの日向だのって理由をつけて、誰かに言われたわけでもないのに自分はヒーローに向いてないって決めつけて……これじゃあ片目を覆われた彼が報われないじゃん……勝手に少年を殺さないでよ……!!」


やってしまった。
今の自分を鏡で見たらきっと酷い有様だと思う。言いたい事を一頻り言って肩で息をしながら、今日何度目かの我に返る。目からはいつの間にか溢れ出した涙、思った以上に固く握られ爪の食い込んだ掌、目の前には茫然と目を見開くカネダ。本格的にやってしまった。普段のしゃあしゃあとしている様子からは想像できない程に熱心に文句を言われ怒鳴られた挙句、勝手に泣かれてるとは思ってもみなかったであろうカネダは散々だろう。恥ずかしさと多少の申し訳なさで暫く顔をあげられなかった僕は何も言ってこないカネダを不審に思い、腹を括ってその方を向く。被害者はさっきと変わらぬ表情で静かに涙を流していた。


「ちょ、泣かないでよカネダ、僕が悪かったって」
「ちが、これは、そうじゃなくて」


僕の言葉を皮切りにカネダは泣いた。あまりに泣き続けるもんだから、いつの間にか僕の涙はすっかり乾いていた。暫く背中をさすり、嗚咽がすんすんと鼻をすする音に変わった頃、日は傾き、気温は少しずつ下がっていた。


「僕さ、やっぱりもうヒーローに憧れるのを辞めるよ」
「まだそんなこと…」
「違うよ、今度はちゃんと自分の意思。日向が眩しいとか自分が引き立て役になれればいいとかそういう自己犠牲的な考えじゃない。僕自身が好きでここにいるんだ」
「うん、ならよし」
「それに……ジャイボにも救われたしね」
「さっきの話?もうやめてよね、あれは無かったことにして」
「ううん、そうじゃなくて。ジャイボは周りとは違かったなって。タミヤくんに傾倒しなかったなって。多分、ジャイボは僕とタミヤくんが転んだら、僕の方に足を向けてくれると思うんだ」
「……いや、どっちの方にも駈け寄らないし、むしろ転んだカネダもタミヤも無視すると思うけど」
「ううん、きっと僕の方に来てくれると思う。……多分」


自分で言い出したことのくせに確信も出来ないし確証も持てない歯切れの悪さを見て、僕は先ほど涙を流していたのが嘘かのように笑った。笑わないでよ、と抗議していたカネダも、僕のそれにつられて次第に笑顔になっていった。


「あーあ、格好悪いところ見られちゃった」
「それはいつもの事」
「酷いなあ」
「それに僕の方が格好悪かったし」
「あんなジャイボ、初めて見た」
「もうきっと二度と見られないよ、よかったじゃん」
「よ、良かったのかなあ?」
「他の奴らにはこんなところ死んでも見せられないもん」
「確かに。僕もタミヤくんやダフにだって見せられないなあ」
「……たまにならいいよ」
「え?」
「だーかーらー、たまになら一緒に日陰にいてやってもいいって言ってんの!!何回も言わせないでよ!!」


突然の僕の素直さに面食らったのか、カネダはえっ、でも、はっ、と一人芝居のようになっていた。やっぱり面白いなと眺めていたらさっきまでこさえていた恥ずかしさも収まり、まだ混乱するカネダに自然と手を差し出していた。


「ほら、帰るよ」
「う、うん」


とあるところに転んで怪我をした少年がいました。彼はその傷の痛みのあまり日陰でこの世界を覆う様に瞳を隠し、俯き凍えていました。しかしある日、少年は柔らかな橙色の光に包まれ、突然乗り込んできた観客に手を引かれて舞台から連れ出されてしまいました。追っ手はいません。これからはゆっくりと、目が潰れない程度に日向ぼっこを楽しむことでしょう。さっきまで肌寒かった帰路は、溢れた体温と観客の温もりで少しだけ暖かくなっていましたとさ。




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