狐は微睡む頬を摘まむ





n回目のタミカネの日





窓を開けると、初夏が静かに入ってくる。
鈴虫の求愛、蛙の威嚇、音もなく降り終わった雨の匂いが次々と部屋を通り抜けていく。
暑すぎず寒すぎもせず心地の良い季節のまどろみはなにものにも変え難い。既にお風呂は入り終わり、あとはこのまま重力に従い瞼を下ろせばゴールだというのに。


「今週提出の書類、もう完成した?」
「あ、まだだわ。そのうちやるか」


まだ日にちがあると高を括っていた三日前のことだった。
いつも提出物が締め切り寸前魔を案じた幼馴染が声をかけてくれるも、多分「なんとかなる」精神を発揮したのだろう、その結果がこの純白の書類だ。何をやっていたんだ三日間の俺。
すぐさま手元で休んでいたスマホを起動させる。見なくても手が覚えている幼馴染へのメッセージ送信画面に割と早い段階で慣れたフリック入力で手短に焦りを伝える。

「助けて」

付き合いが長いと短い文脈でも何を伝えたいか手に取るようにわかるらしい。カネダは自分が書いた書類や資料を持参して家まで飛んできてくれた。同じく付き合いの長い近場用のサンダルはそろそろ買い替えをお勧めされそうなくらいくたびれているけど、丁寧に揃えて家に上がるのは今でも変わらない。相変わらず折れそうな足で勝手知ったる部屋の壁際、うちに来た時の定位置にズリズリと腰を落ち着けては全てを悟ったように机の上に紙を広げる。


「さすがだな」
「生まれた時から一緒だもん、どんなことだって分かるよ」
「あの三文字でここまで読み解かれちゃ、カネダと離れられないな」
「いやいやいや、タミヤ君にはいつも助けられてるし、僕にできることなんてこれくらいしかないから……」


いやいや、夜の九時に無茶なメッセージを送って応えてくれる方が凄いぞ、と自分の不甲斐なさに頭を掻きながら正面に座る。揺れるカーテンに名残惜しさを感じながら真っ白な書類と向き合うこと数時間、気力はとうに底を突いていた。一度切らした集中力を戻すことより瞼を閉じることの方がとても簡単で、駆けつけてくれた幼馴染に申し訳なさを感じつつも、俺の体は欲望に忠実だった。聴き慣れた心地の良い声はもはや子守唄の域で、起こされないのをいいことに甘やかされた眠気は腕枕へと姿を変えた。
呆れられているのは百も承知だし、明日は休みだから泊まっていけよと声にならない声で吐き出す。涼しい部屋と体温が相殺され、ほんのりと頬がくすぐったい。………くすぐったい?


「どうしたカネダ」
「ごごごごごごごめん!!!タミヤ君がすごい、気持ちよさそうに寝てたから……あの、つい出来心で…………」


慌てるカネダの左手はいわゆるキツネの形をしていて、それが俺の左頬をくすぐっていた。弁明に必死な顔は昔と変わらなくて、固まったままの手のキツネがどうにも愛おしくて、俺はその鼻先にキスをした。程よい眠気で心地が良かったとか、恥じらうカネダが妙に可愛かったとか、他にも理由は色々あったんだろうけど……まあ、夏の夜の心地よさに免じてつままれたカネダの顔は見なかったことにしよう。




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