『希望行、大人2枚』




※年齢操作注意
※諸々の捏造注意








「海に行かないか」

突然タミヤが呟いた。
寒さも本格的になりだした一月のある日のことだった。炬燵に潜り、面白くもないテレビ番組をぼーっと眺めながら確かにそう呟いた。余りにもくだらな過ぎて半分意識が飛びかかった僕はその言葉を理解するのに少し時間がかかったが、さっきまでテレビにあったタミヤの意識が僕の方に向いていたことにやっと気付き、何馬鹿なことを言っているんだと諭す。


「こんな寒い時期にわざわざ行く意味が分からない。海は夏に行くものだろう。第一、螢光町には海が無い」
「いや、なんかさ、冬の海っていいなって思って」


僕の反論をまるきり無視したタミヤの意識はテレビへと戻る。そこには丁度、冬の瀬戸内海特集が流れていた。瀬戸内海近郊で獲れた新鮮な海の幸をふんだんに使った海鮮丼や刺身、寿司をグルメリポーターが美味しそうに頬張っている。美味いものが食べたいだけじゃないか、現金な奴め。そう言いかける口が閉じた。


「綺麗だろうな、雪の降る海って」



あの時、タミヤに絆されなければ良かったとゼラは心底思った。何故あのタイミングではらはらと降る雪の映像がタミヤの目に映ったのだろうか。そして僕はなぜそれを綺麗だと思ったのだろう。タミヤが冬の海が綺麗だといったあの日、テレビの奥で舞う雪がタミヤの目に降り注いだ。綺麗な茶色い双眸を楽しそうに泳ぐ雪に、思わず「ああ、綺麗だ」と言ってしまってからはあっという間だった。僕の同意を得られたタミヤは予定の有無を尋ねると、じゃあ3日後の朝10時に俺ん家な、とカレンダーに大きな赤丸を描いた。嬉々として笑うその姿に、そこまで喜ぶならと絆された3日前の僕を、僕は許さない。それさえなければ自分は今でも暖かい炬燵の中で外の寒さとは無縁の1日を送っていたはずだったのに。


「こんなに雪が降るなんて聞いてないぞ」
「俺に言うなよ…仕方ないだろ、昨日から急激に天気が崩れちまったんだから」
「こんな天気じゃ、テレビで見た綺麗な海は到底望めないぞ」
「行ってみなきゃ分かんねえよ。あ、ゼラ寒くねえか?これやるよ」


寒かろうとしてきた手袋も元々冷え性気味の僕の手をあまり温めてはくれず、それを見越したかのようにカイロを渡してよこす準備の良さに理不尽にもタミヤのくせにと思う。タミヤは寒くないのかと尋ねる僕に大丈夫、と笑った。

行こうぜ、と進む先は北風と雪と寒さに溢れていた。なんとかしてタミヤの気を海から逸らして来た道を戻らせようとするも、なかなか決心は固かったらしい。足は相変わらず家とは真逆の方向を向いていて、気付けば僕たちは螢光町から一番近い駅に来ていた。海といってもてっきり螢光湾にでも行くのかとばかり思っていた僕はろくな準備もせずに家を出てきたことに焦り、聞いてないぞとタミヤに問いかける。言ってねえもんと慌てる僕を宥め、慣れた手つきで片道切符を買って僕に手渡す。代金は支払うと言ったのだが俺が勝手に連れてきたからと受け取りを拒み、即座にタミヤはポケットに手を突っ込んだ。

この辺りは電車の本数が極端に少ない。
時刻表は隙間の方が多く、電車に揺られる時間よりも待つ時間の方が遙かに長い。次の電車まであと30分近く待つしかないと待合室に避難する。


「悪いな、少し時間空くけど」
「タミヤのせいじゃないだろう」
「でもお前、待つの好きじゃないだろ?」


さも当たり前のようにタミヤは言う。
俺はよく人を待たせる側だからなー、こないだも待たせたし、今日もちょっとだけゼラの方が早かったしな。昔っからゼラには待っててもらってばっかだな。あはは、とバツが悪そうに笑いながら昔の思い出がどんどんと蘇る。
言葉の通り、昔からタミヤにはいつも待たされ続けている。貸した辞書を返してもらうのも、待ち合わせの時間にも、幾分前にした約束の返事も、いつも待つのは僕の方で当のタミヤといったら今のように整ったつり眉尻を下げて悪いと謝るばかりだ。最初こそなんてマイペースな人間なんだと思っていたが、時の流れは良くも悪くも人を変えるもので、いつの間にか「またか」と嘆息するだけでいつもの事だ、どうせ忘れてるのだろうと慣れてしまう程度にはタミヤを待つ事にだけは慣れてしまった。しかし他のことに関して待ったり待たされたりする事には昔から変わらず苛立ちを感じるのだから、慣れというものはやはり恐い。


「けど、電車は嫌いじゃない」
「そうなのか?」
「ああ、自分を……」
「自分を?」


自分をここから連れ出してくれるものを待つ事はいつまででも出来る、そう言おうとしたのにどうしてか言葉が喉に引っかかった。電車が嫌いじゃないのは嘘ではない。揺られる時間は長く退屈だけれど、その時間の分だけ誰も自分を知らない所まで連れて行ってくれそうな気がするから、自分という存在をリセット出来るような気がするから、電車は嫌いじゃない。もしかしたらここではない場所に行けば新しい自分になれるかもしれない。そんな淡い希望や期待をずっと心の何処かに抱きながら、けれど僕らは毎日同じことを繰り返す日々に慣れきってしまっていた。だから僕にとって、タミヤに手渡されたこの切符は最後の希望だったのかもしれない。


「でも君は僕を待たせすぎだ」
「だから悪いって。でも、ゼラだからってのがあるんだよな」
「僕だから許されると?」
「違う違う。ゼラだったら、何となくだけど、俺のことを待っててくれそうだから」
「今から突然置いていくかもしれないぞ?」
「それは困る!」
「何故だ」
「待っててもらわなきゃ困るんだよ」


返事にならない答えに理解が追いつかないままもう一度何故と尋ねた僕の声は古びたホームに進入する轟音に掻き消された。古びた時計は待合室に入った時より半周ほど進んでいた。



▲▽▲▽▲



「で、結局俺がタマコに負けて買いに行ったってわけ」
「相当じゃんけんが弱いんだな」
「俺が弱いんじゃなくてタマコが強過ぎるの!それにあんな可愛い妹を冬空の下に一人で出すわけにいかないだろ?」
「君も一緒に行ってあげればよかったじゃないか」
「だってタマコが一人で行くって言うんだぜ?昔はお兄ちゃんお兄ちゃんってひっついてきたのに…」
「思春期で兄と一緒にいるのが恥ずかしいんじゃないのか?僕も弟にはあまり近寄られない」
「それはゼラが恐いからだろ」
「僕は恐くない」
「いや、恐いね。タマコも初めてお前がうちに来た時は怖がってた」
「その後お前がなんとかして仲良くさせようと僕を陽気なキャラに仕立て上げたせいで妹さんは僕に対して変な印象しか残らなかったじゃないか」
「でもタマコのやつ、あれから結構ゼラの事気にしてたぜ?思ったよりいい人だったねとか、次いつ来てくれるのかなとか」
「タミヤがあの変な印象の誤解を解いてくれたら考えてやらないこともないかもな」
「ま、近々また来てくれよ」
「そうだな、考えておく」


他愛ない話をする間にも、車窓の向こうを流れる景色はどんどんと変わっていく。螢光町を出た頃はどんよりとした灰色が画面一杯に広がっていたのに駅を一つ、また一つと超えていくたびにその色合いは段々と明るくなっていく。特別良い天気、というわけでもないが心なしか家を出た時より気持ちは明るくなっていた。
途中、大きな駅や車両点検で何度か停まった時にタミヤは駅の売店で何やら色々と買い込んできた。おにぎりやお茶、菓子につまみなんかもあった。まだつまみなんて歳じゃないだろうと言うと「意外と美味いんだよ」と返される。


「父さんがよく食べてるんだよ。あんまり酒は飲まないんだけどな」
「君はそのつまみをつまみ食いしてるってわけか」
「おっ、上手い」
「べ、別に洒落を言ったわけではない!!」
「怒るなよ!」


別に上手い事を言ったつもりではないのに偶然そういう風になってしまったことが妙に恥ずかしく、赤いであろう顔を誤魔化すために窓枠に肘をつく。怒ったと取ったのか、タミヤが急に黙る。別に怒ってないと呟こうとした時、やけに真剣な声音が降ってきた。さっきまで流れていたふざけた空気は音を立てずに散っていった。


「……なあ、ゼラ」
「……なんだ」
「やっぱりゼラは大人が嫌いか?」
「……」
「ゼラが大人が嫌いだってのは昔からだって分かってる。けどそれはゼラが今まで出会ってきた大人がゼラに対して酷い事をしてきたからじゃないのか?」
「……」
「確かに嫌な大人なんで世の中に腐る程いるけど、大人ってそれだけが全てじゃないと思うんだ」
「……何が言いたいんだ」
「俺は、その、大人も悪くないんじゃねえかなって。大人って存在も、大人になるっつー成長自体も」
「タミヤ」
「なあゼラ、俺たちの体の成長が罪じゃないなら、なんで大人になるまで生きるのは罪なんだ?体が成長するなら俺たちは大人になるんだ。歳もとるし、今よりもっと世の中の多くの事を知らなくちゃいけなくなる。でもそれが全部醜いことばかりじゃ…」
「なんなんだ、タミヤ。今日わざわざ僕を連れ出したのはそれが言いたかったからなのか?それだけのためにこんな寒空の中に僕を連れ出したのか?」
「それだけ……それだけか。俺は今日を凄い楽しみにしてきたんだけどな」
「あれほど楽しみにしていた日にわざわざそんな話題を持ち出してきたのは君の方だ」
「そうだよ、今日だから持ち出したんだ。今日じゃなきゃ意味がないんだ」
「さっきから話が飛躍しすぎてるぞタミヤ、一体何が言いたいんだ!?」
「………頼むゼラ、大人になってくれよ」


話の筋が折れすぎていて意味が分からず、今度は本当に腹が立ってきた。大人になってくれ?なんで僕がタミヤにそんなこと言われなきゃならないんだ。それになんでわざわざこんな寒い日に遠出しなければならないんだ。だいたい冬の海なんて寒いだけで僕には何のメリットも無い。そもそも行きたかったのはタミヤだけじゃないか!なんでこんなことになったんだろうと思い返せど思い当たるのはあの時タミヤを綺麗だと思ってカレンダーに印をつけた手を止められなかったことぐらいで。渡された切符が今では地獄への半券にしか見えなくなってきた。だがここで突き返したところで殆ど無一文状態の僕にはどうすることも出来ない。とはいえ、このままタミヤの後ろをへこへこついていくのも気が引ける。けれど躊躇無く進む電車の行き着く先は全く知らない土地なばかりでなく、それどころか僕はあろうことか行き先すら告げられずのうのうと言われるがままについてきてしまった側なのでどっちに転ぼうと八方塞がりだった。僕としたことが、相手をタミヤだと甘く見ていた。なす術もなく、それでも最後の抵抗として車窓から目を離さずにいたらタミヤが荷物をまとめ始めた。まさか僕をここに置いていくつもりなのだろうか?そんな無責任なことはさせるかと立ち上がろうとするタミヤの服の裾をぐいと掴む。僕があまりに必死だったのか、驚きと疑問を混ぜたような顔で奴は外を指差す。雪はいつの間にか止んでいた。


「着いたぞ?」



▼△▼△▼



眼前に広がったのは想像以上の絶景だった。螢光湾ともテレビとも比較しては申し訳ないような海があった。眼前に広がったそれに図らずも息を飲む。どうだとまるで自分の庭とでも言わんばかりに誇らしげなタミヤを横目に、さっきまでの苛立ちも吹き飛んだ僕は自分でも珍しいと思う程素直に綺麗だと口に出していた。
それからしばらく海の周りを散歩した。小腹が空いたので休憩処で軽くと思ったけどやっぱり海の幸を使ったメニューには抗えず結局定食屋に寄ったり、普段なら絶対入らなそうな雑貨が並ぶ土産物屋に男二人はしゃぎながら入ったり、路地裏で見つけた猫をタミヤ、ゼラなんて呼び合ってふざけたりしていたらどこからか夕焼け小焼けが流れてきた。


「もう五時か」
「いつの間にそんなに経ってたのか」
「昼前には着いたから、かれこれ五時間近くは遊んだな」
「もう少し……楽しかったか?」
「ああ、久し振りに沢山笑ったよ」
「そうか、ならよかった。じゃあゼラ」


行こうか、そう言って僕らは駅まで戻ってきた。「海口」と書かれた、来た時に出た市街地側とは反対側の出口から出ると、そこには電車から降りてきた時とはまた別の顔をした海が広がっていた。


「タマコが生まれる前に父さんと母さんと一回だけ来たんだ」
「夕方も綺麗だ」
「そう言ってもらえてよかった」


にかっと笑い、タミヤは水際へと近づいていく。雲の切れ目からちらちらと橙色が射し込んでいる。スカートの裾のように広がる光に包まれた水面に反射する光を受けたその姿は、まるでたった今海から生まれてきたかのような美しさだった。


「来いよ、ゼラ」
「あ、ああ」
「今日はありがとな、付き合ってもらって」
「僕の方こそ楽しませてもらったよ、ありがとう」
「本当よかったよ、お前電車の中で怒り出すんだもん」
「あれはタミヤがはっきりしないからだろう。なんだったんだ、大人になってくれって。君の方こそもう少し大人になるべきなんじゃないのか?」
「俺はもう大人だ」
「はあ?何を言って……」
「はっきりすればいいんだな?」


そう言うと、タミヤは腕に光る白い時計に目を落とす。いつになく真剣な眼差しで眉間にしわを寄せながら文字盤を凝視する。きゅっと唇を噛み締め、何をするかと思えど何も行動を起こさず、僕は何度目か分からないタミヤ恒例の待ちぼうけを食らった。慣れたはずなのに今日は何故か待つことがままならず、黙ったまま視線を逸らさないタミヤにとうとう痺れを切らしてしまった。


「なんなんだ君は!急に海に行きたいだの綺麗だの、人が同意すれば了承と取ってこっちの都合も聞かずに勝手に予定を取り決めて、待ち合わせには遅刻するわ自分だって寒いくせに人にカイロをよこすわ切符を買うわ、行き先も告げずに来た電車に乗り込ませたかと思えば大人になれだのなんだのって……僕の意見は無視か!!」
「ぜ、ゼラ…?」
「昔っからそうだ!底抜けに明るくてみんなから慕われて頼られて、友達なんていなかった僕にまで声をかけて、いつの間にか隣にはずっと君がいて心配してくるわ世話を焼いてくるわ。何かあったら相談しろよ、なんでも話せよって言ってるくせに大事なことは何一つ話さないで一人で抱え込んで、自分も困ってるくせにそんなの微塵も見せないで。そのくせ人が困ってたら我先に手を差し伸べて……他にももっと友達はいただろう!!なんで僕なんかに構ったんだ!!いっつも待たされてばっかりで、構ったくせに、待たせたくせに、なんで自分は一人で行こうとするんだよ!!」


だめだ、止まらない。
堰を切ったように今まで積もっていた思いが爆発した。後半に至ってはただの文句になってしまった。心のどこかでは冷静に客観的に分析してる僕がいるのに、感情的なもう一人の僕の方はタミヤに向かって鬱憤を晴らしていた。感情的になったあまり言葉と同時に涙や鼻水も一緒に出ていたけど周りを気にする余裕など無かった。嗚咽交じりに溜めてた思いを吐き出す僕の背中をぽんぽんと叩きながら、言葉が嗚咽に変わるまでタミヤは何も言わなかった。
涙も枯れて落ち着いた頃には既に薄暮を過ぎていた。紺青の空からはちらほら雪が舞っていて、海の周りの遊歩道はライトアップされ始める。先ほど激情していた自分の姿が照らされなくてよかったと心底安堵しながら息を吐く。まだ遠くが明るい海に僕の白が飲み込まれていく。手を伸ばして掴もうとするも気化した息は僕の指をすり抜けて消えていった。寒さをか、それとも恥ずかしさを紛らわすためか。すまなかった、それに続いて自然と言葉が口から溢れ落ちていく。


「昔から待ってばかりだった。
弟を産むために入院する母親と見舞いに行く父親の帰りを待って、家族皆で暮らせる日を待って、夢が叶うのを待って、気が熟すのを待って。けれどどれも来なかった。いくら待っても。だから僕は待つのをやめた。けどお前は来てくれた。遅れても、必ず僕の隣に来てくれた。だから僕はタミヤのことなら待ってもいいかなと思ったんだ。でも君も来なかった。君は僕を置いていくんだ。一緒に歩こうとしたらいつの間にか遥か先を歩いてた。後ろを振り返っても前を見つめても誰もいないのなら、僕は一人でいた方が良かった。誰も待たず、誰にも手を引かれず、自分一人だけの方がどれだけ楽だったか。けど、それが悲しく寂しいことだって教えてくれたのも気付かせてくれたのもタミヤ、君だった。僕は怖かったんだ。君が来ないのも、君に置いてかれるのも」


一つ、また一つと言葉が溢れていき、その間もずっとタミヤは泣く子をあやすように背中をぽんぽんと叩き続けた。人生十数年を生きてきた中できっと今日が一番素直な日かもしれない。鼻をすすって息を吐くと、また気化した白がふわりと昇っていく。ああ、そうか。きっと、


「僕は怖かったんだ、独りになるのが」


掻き消すように手を伸ばすと、一回り以上大きな手が僕の手に重なってくる。じんわりと温かさが広がり、また泣き出しそうになる。


「もうさせねえよ、独りになんか」


そう言うと、タミヤはまた腕時計に目を落とす。ちょっと過ぎたな、なんて言って僕の手を引き寄せる。掴まれたままの左手に雪とは違う冷たさを感じた。


「ゼラは俺と一緒に大人になってくんだからな」


大人になるのが怖かった。独りになるのが怖かった。自分もあんなに汚れたものになり果ててしまうのだろうかと、なって寂しさを抱えながら生きていくしかないのだろうかと怯え否定し続けてきた。そんなところに一人の少年が現れた。いつも人を待たせ続けるけれど、必ず来てくれる少年が。その人は独りぼっちだった僕を連れ出してくれた。その時に貰った希望の片道切符は、今も手帳に大事に挟んである。


「ゼラ、結婚しよう」


奇しくも今日は、僕の18歳の誕生日だった。




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