シリウスの灯る空

あいつが突発的なのは今に始まった事ではないが、それに慣れてしまった俺も大概だなと吐いた溜息が白く色を変え、宙に消えた。冬も真っ只中の二月、午前も0時を回った真っ暗な工場地帯で俺は一人小刻みに震えていた。いくら着込んでいるからとはいえ、肌を刺す寒さは少しも和らいでいないし当分和らぐ気配もなかった。立春をこの時期に決めた奴は出てこい、ついでに呼び出した奴も早く来い。そう漏らしたくなる程度には寒いこの日のこの時間を指定した張本人は未だにその集合場所に現れない。かれこれ30分は待っている俺の身にもなって欲しいと襟元を目一杯あげていると、コツンコツンと等間隔の足音が重装備と共に暗闇から近付いてきた。

「遅い」
「ごめんごめん、上着探すのに手間取っちゃって。あとお腹減ったからおにぎり食べてきちゃった」
「ちょっ、俺遅れたら何されるかわかんねえから急いで来たんだぜ!?」
「えっ、タミヤどんだけ楽しみだったの?」
「楽しみより恐怖の方があった」
「ん〜何も持って来てないからな…あ、飴入ってた、あげるよ」
「悪りいな、ってハッカかよ」
「だって僕ハッカ嫌いなんだもん、スースーするし。文句言うなら返して!」
「いやいやいや貴重な食料なのでありがたく頂きます」

30分の代償が飴玉一つなんて絶対割に合わないとは思いつつも口に出そうもんならたちまち解剖されかねない、黙って飴玉と一緒に飲み込んでしまおう。口に入れた瞬間、口の中までもが冬になった、ちくしょう。

「んなことより今日はなんでこの寒い季節のこの時間にわざわざ俺を呼び出したんだ?寒すぎて凍死するかと思ったじゃねえか」
「きゃはっ、神経図太いタミヤがこれくらいの寒さで死ぬわけないじゃん、ばっかじゃないの?」
「…帰る」
「はいはいごめんって、僕が悪かったですー。じゃ、行こっか?」
「行こっかって…」

珍しく素直に謝った(棒読みだったのはこの際見なかったふりをしよう)かと思ったらいきなりずんずんと進み出す姿を見て、考えるだけ無駄か、と思考を諦めその背中を追った。目的と目的地を尋ねようにもあいつの顔はマフラーに埋まっているし、俺も呼吸をする度に突き刺す寒さには抗えず、真夜中の螢光町に2人分の足音を響かせながらただ黙々と歩いた。重装備とは言ったもののマフラーに手袋、紺色のダッフルコートに身を包んだいかにも学生らしい格好で、それは腹が立つ程似合っていた。はたして、急いでひっつかんできたマフラーだけの俺と並んでもいいものなのか。答えがあるようで無いような疑問をずっと考えているうちに隣から声がした。ようやく着いたらしい。そこは俺の家から少し離れた空き地だった。高台で町を見下ろせる、一面の芝生と大きな一本の木が印象的だった。

「だだっ広い空き地だな」
「いいとこでしょ、僕のお気に入りの場所なんだ」
「へえ…結構町が見えるのな」
「近くで見ると汚くても、遠くから見ると意外と綺麗だよね。この時間なのにまだぽつぽつ明かりが灯ってる」

等間隔に並んだ明かりは電灯で、疎らに光るのは民家の明かり、ひときわ強く目立つのは工場の防犯灯だろう。同じ明かりでも様々な色や光の強さが町に広がっていた。

「綺麗だな」
「タミヤでもこの綺麗さが分かるんだ」
「俺だって綺麗なものは綺麗だって言うわ」
「きゃはっ、嘘だよ。でもここに連れてきたのはこれが目的じゃ無いんだ」
「これを見せたかったからじゃないのか?」

そう問うと、ジャイボは仰向けに寝そべった。普段はなかなか見られない大の字のジャイボに倣い、俺も隣に寝そべる。

「うわっ……」

そこには一面の星空があった。紺碧の空に大きさや明るさが異なった星が、宝石を散りばめたように広がっていた。この町でこんな綺麗なものが見れるのかと思わず感嘆する。あちこちで瞬く星はどれも素晴らしく綺麗だったが、その中でも一際明るい星があった。

「あの星、どの星よりも明るいな」
「あれはおおいぬ座のシリウスだよ。一等星よりも明るくて、冬の夜空の中でも全天で一番明るい恒星なんだ」
「詳しいな」
「授業でやったし。まあ、星は好きなんだけど」

意外な一面を知った。理科が好きなのは生物への異常な興味や執着、その扱い方からしてなんとなくそうかなと思っていたけど、生物以外も好きだったのは初めて知った。その他にも、シリウスと共に冬の大三角形を作るこいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスなど、次々と星の名前やら知識やら雑学が止まらないジャイボに感心しながら横目でその姿を見る。大きく深いその目には、満点の星空が映っていた。まるでジャイボの目が宝石になったみたいで、思わずじっと見つめてしまう。それに気付いたのか気付いていないのかは分からなかったが、ひとしきり話し終えるとジャイボは身を起こす。

「タミヤ知ってる?」
「ん、なんだ?」
「その星が一番明るく光る時、何処かで人が死ぬんだって」

初耳だった。ジャイボは諸説あるんだけどね、と続ける。

「流れ星が流れるのは人の魂が散るからだとか、星が消滅する時は爆発して今までで一番明るく光るからだとかね」
「そうなのか」
「僕さ、それはきっとシリウスがあるからだと思うんだ」
「おおいぬ座のか?」
「うん。シリウスはどの星よりも明るくていつも白くギラギラと輝いているから、焼き焦がすものって意味があるんだ。どの星もシリウスの明るさには勝てない。だからせめて最期の時には自分の持ちうる力を全部使って、一番明るい姿で消えよう、それが由来してるんじゃないかって」

再びジャイボは仰向けに倒れる。芝生がその姿を包み込む。真っ直ぐ空に向かって手を伸ばす。星が掴めればなあ、なんて言う表情はいつものジャイボからは想像出来ない、少し寂しそうなものだった。間が持たず、どうしてかと聞き返す。ぱた、と腕を下ろすと星空を見つめたままぽつりと呟く。

「誰かが死ぬのを止められるかもしれないから」

人知れず、静かに光っては消えていく星のように何処かで誰かが同じように死を迎える、誰にも知られぬまま。無数にある星の中から特定の人間の死に関連する星を選び取って爆発させないよう大切に育てる、そんな無謀な話をきっとこいつは本気でしたいと思っている。ジャイボならやりかねない、あまりにも非現実的なのに、どうしてかジャイボなら実現させてしまいそうに思えるのはなぜだろう。無理だろうと返すと、そんなのやってみなきゃ分からないと更に返される。その時は是非拝見したいものだ、そう言うとタミヤには見せてやらないと舌を出される。でも、今日の天体観測で興味が湧いた。星のこと、人の死と星の関係性のこと、そして、少年ジャイボが星を掴むことは可能なのかということに。きっと意外とあっさりとやってのけてしまうのだろう。その時は隣で見ていたい。願わくば、

「その星が俺のだといいな」
「どれがタミヤかなんて分かるわけないじゃん」
「ジャイボなら見つけてくれるだろ?」
「どうだろうね」
「そこは見つけてくれよ」
「どうしよっかな。ま、見つけられなくても大丈夫だけどね」
「どうして?」

その返事は返ってこなかった。寒い、帰ろう。その一言だけ言い放って帰路に着く。そういや今まで後ろからジャイボを見たことがなかった。ふわっと揺れる柔らかそうな髪に重ね着をしていても華奢な体は、改めて見ると本当に同級生なのか不思議に思う。電灯の明かりも疎らな道を星明かりに照らされ歩く姿は、少し目を逸らしたら闇に連れて行かれそうだった。ふいに手を伸ばそうとするとその背中が振り向いた。俺の横に並ぶと、伸ばしかけた手を握る。その手は氷のように冷たく、反対に俺の手は火が出るのではと思う程熱かった。

「なんでタミヤの星を見つけられなくても大丈夫だと思う?」
「どうしてだ?」

その告白はあまりにも綺麗で、あまりにも宇宙規模で、思わず笑ってしまう。本気だよ、と言う宝石の瞳は俺を捉える。星ではなく、腕を掴んで。


「タミヤは僕が殺してあげるから」









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