さらば愛しき独裁者

「じゃあね」「また明日」

あちらこちらで飛び交う言の葉がまた突き刺さる。“また明日”ーーそれは明日が当然のようにあると思っているからこそ自然に出る言葉。家に帰り、ご飯やお風呂を済ませ、明日の支度を整えて布団に入り夢に落ちる。そしてまだ拭えない眠気に抗って開いた目には朝日が映るのだろう。目が覚めるのが当たり前な世界に身を置く人達の言葉。そんな何気無い会話が聞こえるたびに言いようのない感情が胸いっぱいに広がり頭を侵食する。侵食され満たされた脳は私にいつも同じ光景を見せる。
忘れもしないあの日、一晩にして7人の少年が鮮やかに命を散らした。誰も立ち入らない廃工場で人知れず人生を終えた彼らは後に何者かの通報により発見され、残虐非道な事件としてぽつぽつとメディアに取り上げられた。集団少年殺害事件、冷徹な惨殺遺体、頭部や腹部の激しい損傷、廃工場で一体何がーーーそのセンセーショナルな見出しや文面はこのくたびれた町に衝撃を与え、一夜で町中の注目を集めた。翌日から紙面や画面は廃工場の地下でひっそりと息をしていたあの秘密基地で持ちきりだった。
息子を亡くし悲しみに暮れる両親もいれば呆然とする母親もいる。まさか自分の息子が。俄かに信じ難い状況に直面した時、人は言葉ばかりか涙も出ないとはいうがそれは本当みたいで、画面越しに見るかつて言葉を交わした少年らの親達はマスコミにマイクを向けられてもインタビューに応えられるどころか話せる状態ではなく、警察や医者になされるがままに誘導され画面から遠のいて行くのを私は他人事のように見ていた。その鼻には朝食に用意された目玉焼の香ばしい匂いが広がる。

数日前、私は今話題の少年達に監禁されていた。睡眠薬を仕込まれたマスクを被せての誘拐なんてなかなか考えられた方法だと思った。連れてくる最中に騒がれたら面倒だし、男子中学生とはいえ複数人の少年に囲まれることは結構な恐怖心があるからだ。連れて来られた廃工場は中学生の秘密基地と呼ぶにはあまりに厳かだった。途中から戻った意識も警告に変換され「今は起きるな」という直感に従った私は眠らされたふりをしたまま冷たい椅子に座らされた。硬い鉄の椅子は体を強張らせ、なかなか座り心地のいいものとは言えなかった。手首に光る手錠は私を逃すまいといつも鈍く輝いていたし、手錠に映る簡素な電球はヒロインのように私を照らしていたものだから、廃工場の台座はまるでステージだった。でも案外、そんな観客のいない劇場は世間知らずな令嬢の集うお嬢様学校なんかよりはよっぽど刺激的で退屈しなかったな、なんて我ながら呑気に懐かしんでいた。そんなことを考えつつプチトマトを皿の上で遊ばせているとニュースキャスターの意味深な声音が私をまた言いようのない感情で満たす。画面にはブルーシートで覆われた劇場と、同じくブルーシートをかけられた私の王子様が映し出された。

「また、少年らの遺体の側には黒く焼け焦げたロボットのようなものの残骸が発見され、そのうち片目からは人間の眼球と同じ成分が検出されたと検察は発表しました。これを受けて警察はロボットの片目部分に使用されていたのは人間の眼球であった可能性が高いとみて調査を進めています。」

あの日、命を散らしたのは少年達だけではなかった。あの廃工場に私を連れてきて、私と一番最初に言葉を交わし、私を自由にし、私とオルガンの音色を美しいと言い、鎮魂歌の音を悲しいと言い、私の隣に横たわり、私と踊り、私を最期まで守ってくれた王子様は業火に包まれ息絶えた。途中で少年達のリーダーと思わしき人物に洗脳されて何人かを殺めてしまったけれど、最期は立派な人間だった。彼に人の心を埋め込んでくれた誰かが私の言葉を理解させてくれたのだろう、人間になりたいのならばむやみに人を殺めるな、と。もう一つ、その人に感謝したいのは彼に「美しい」という感情を教えてくれたことだ。かつて彼は私私を連れてきた理由を「美しいから」だと言った。私の容姿が美しいかったかどうかは分かりかねるが、そのおかげで彼は私を選び、私は彼に選ばれ出会うことが出来た。もう彼には二度と会えないけれど、彼から貰った言葉や気持ち、一緒に明かした夜は決して忘れない。人間のように汚い感情に塗れ、己の私利私欲に溺れ、自分の損得感情だけで態度を変える、そんなことのない純粋な彼に惹かれた事を誇りに思うと同時に失った悲しみが唐突に押し寄せた。さようなら、その言葉をもってきっぱり忘れたはずの光景は幾度となくブラウン管の向こうから呼び起こされる。

このセンセーショナルな事件は少年らの内の一人の家から押収されたノートの書き込み等から「光クラブ事件」と呼ばれた。その少年の部屋からは数々の資料が押収された。組み立てられた機械や數十種類にも及ぶ機械部品、本棚を埋める世界史関連の書籍(中には拷問集や処刑集といった類のものもあったらしい)、落としたのだろうと思わしき歪んだ鳥籠、これだけでも男子中学生の部屋としては奇怪なものだが、最も取り沙汰されたのは部屋一面を埋める黒い星の落書きだった。形は微妙に違えども全て一様に描かれ同一の方向から塗られており筆跡鑑定の結果、これらを描いたと思われる少年は頭が切れ、主導的立場にいるような人間だろうと報道された。私はそこに「神経質で予定が狂うと驚くほど苛立ちを募らせ、保身のためならば仲間をも裏切る」という特徴も付け足すべきだと思った。ゼラーーそう呼ばれた少年達のリーダーは歪んでいた。少女を捕獲し、永遠の少年になることを渇望し、自らを帝王と呼んだその少年はいつも目の焦点があっていなかった。指示を出す時、言葉を交わす時、メンバーの美少年と情事を重ねる時、顔は相手の方向を向いているのに目だけは別の何かを見ていた。
時々、彼は一人で秘密基地に残っていた。何も話さず一人私の足元で膝を抱え顔をうずめたり、チェスの盤上に並べられた駒をぶつぶつ言いながら動かし続けたり、かと思えばいつの間にか静かに寝息を立てていることもあった。それまで幾度かそんな機会があったが、彼は決して私に言葉を発することは無かった。私を秘密基地と同化させていたのかもしれない、それほどまでに彼にとって“少女”という存在は必要不可欠だったのかもしれない。そう考えると何がそこまでして彼を“少女”というものに執着させたのか気になってしまった。が、私は依然眠ったふりをし続けていたのでいきなり目を開いてことの真相を聞くわけにもいかず、痒いところに手が届かない気持ちで幾日かを過ごしていた。それから少し経った頃、命を散らす数日前、相変わらず眠ったふりを続ける私に向かって彼は突然語り出した。

「本当は起きているんだろう?少女一号。こんなところに連れて来られて不服かもしれないが僕らには…いや、僕には君が必要なんだ」

忘れかけた頃に痒みが急にぶり返した。普段の秘密基地に谺する威厳に満ちた声はしまわれ、そこには私と同じ、一人の中学生がいた。ここからは僕の独り言だから気にするな、そう言って、昨日見たテレビ番組の感想を話すかのように(ゼラ)は語り始めた。

「昔、小学4年生の頃、占い師のおじさんに言われたことがあるんだ。『君にはヒトラーにも無かった黒い星がついている。君は30才で世界を手に入れる、または14才で死ぬ』ってね。可笑しいだろう?見ず知らずの胡散臭い奴に呼び止められたかと思えばいきなり極端な未来を突きつけられたんだ。最初は馬鹿げていると気にも止めなかった。けれど何日経ってもおじさんの言葉が頭から離れなかった。色々考えてみたよ。30才で世界を手に入れるとしたら20才に選挙権を得て、25才に選挙に立候補。あまりにも非現実的だった。ならば非合法なやり方なのかもしれないけれど、凡人の僕にとってそれは当たりくじをちらつかせられたようなもので、何としてでも叶えたいと思った。けれどもう一つの言葉もずっと引っかかっていた。14才で死ぬ、こっちの方が僕にとっては重要だったし可能性も世界を手に入れるよりは格段にあって怖かった。この町なら死因なんてなんだってある。事故、殺人、大気汚染による肺ガン。いつ何があってもおかしくない人生ならば、死ぬことに怯えて何もかも諦めるより、必死に生き抜いて世界を手に入れようとするほうが後悔しないと思うんだ。だから今日まで死に触れないように当たりくじまで辿り着くことだけを考えて生きてきた。馬鹿げていると笑っていたことに心の何処かで縋りついていたんだ。いつの間にか僕はこれを実現させなければならないとある種の使命感を背負ってた」

驚いた。てっきり我儘の為だけに多くの人を巻き込んで夢を叶えようとしていると思っていたのに、その思惑の背景には底知れない恐怖との葛藤があったのだから。思い付きで始めたわけではないその計画の緻密さに脱帽すると同時にやはり彼は歪んでいる、そう思った。数年前のことなのに遥か昔のことを懐かしむような口振りで彼は語り続けた。その間ずっと私に背中を向けていた為、表情までは読み取れなかったがきっと穏やかなものだったのではないかと今では思う。

「そしてもう一つ、おじさんはこう言ったんだ。『全ての鍵は一人の少女が握っている』ってね。今までずっとその言葉の意味を図り兼ねていた。少女が僕を救ってくれるのか、少女が光クラブを壊すのか、それとも少女と共に世界を手にするのか。真意は分からなかったが僕はライチが少女を連れてくるのを今か今かと待ち望んでいた。最初は酷かったさ、泥酔したおじさんや香水臭いおばさん、中には薬局の店頭に置かれた人形なんかもあった。ライチには難し過ぎたんだ。僕らは人間だから“美しい”という感覚を共有することはそう難しくはない、しかしライチ、機械には感情どころか美の概念すらなかった。これを教えるのに数日はかかったよ。何が“美しい”のか、何をもって“美しい"というのか、人の感覚を機械に覚えさせるなんて前代未聞だから僕やデンタクでさえも頭を悩ませた。けれど、そのデンタクがライチにある情報をインプットしてくれた。『自分は人間だ』とね。そしてライチは君を連れて来た。本当に僕の理想の少女だった。君を見た瞬間に緊張の糸が切れて今まで経験したことのない安堵感が押し寄せた。これで僕の未来は盤石だ、14才で命を終えることはないんだ!世界を手にすることよりも生きれることが純粋に嬉しかった。死ぬことが怖かったわけじゃない。この町に生きていても到底明るい未来なんて望めないし、それこそ行く末は分かり切っていた。汚れた大人たちのように疲弊し切ってその命を削っていくことなんて。もっと恐れたのは、そんな風に町に縛られ広がるはずの未来が消えていくことだ。生きることは辛い、嫌なことや苦しいことなんて当たり前のようにそこいらに転がっているし、辛いことは人生につきものさ。でもそれを乗り越えない人間に明日なんかない。この螢光町で諦めてしまった人間は一生黒い煙に包まれて廃工場に囚われる、諦めたと同時に死んでしまうんだ。そんな死にかけた僕の元に君が現れてどれほど救われたことか。少女一号、君が眠っていると信じているよ。長い独り言に付き合わせてしまって悪かったね、こんな僕を光クラブで見せるわけにはいかなかったから観客が君だけで良かったよ。もう暫く光クラブの群像劇にお付き合い頂きたい」

心に溜めていたものを綺麗さっぱり吐き出せて身も心も軽くなったのか、座っていた台座に後ろ手をつき軽やかに立ち上がった彼はくるっと回り此方を向いた。細身の体に少しばかり余った学ランの裾が申し訳程度にはためく。すん、と鼻を啜り、改まって私と向き合うと舞台役者さながらに仰々しくお辞儀をした。独壇場のカーテンコールに喝采は起こらなかったが、その表情はとても晴れ晴れとしていた。薄く開いた目に映った右手は大事そうに心臓に添えられていたのを今でも覚えている。

そして、役者は死んだ。生きることに希望を見出した矢先だった。水没してゆく秘密基地で汚い世界で汚れた半身を隠すように沈め息絶え、14才という短い生涯に幕を下ろした。残されたヒロインは幕引きの鎮魂歌を奏で、劇場を後にした。どうか生まれ変わったら、穏やかで明るい未来が彼らを待っていますように。地下に広がる汚れた狭い世界が世に出たのは翌日のことだった。両親はさぞ驚いただろう、失踪した娘が僅かな切り傷だけで何事もなかったかのように帰宅したことに。監禁されていたことも、光クラブのことも言わなかった。マスコミもこの事件と私の失踪を関係付けたのか、色々と質問されたが一貫して「関係ありません」と答え続けた。真実は私一人だけが知っていればいい。ライチは人を殺していない、殺したのは癇癪を起こした役者なのだから。ふと皿に目を落とす。目玉焼とプチトマトはぐちゃぐちゃに潰れて混ざり合っていた。




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