宝石箱に埋まる白


こほん、と空咳をした。喉に何か引っかかったような違和感を感じたからだ。それでも何かが奥に残るような気持ち悪さに我慢出来ず、強めの咳をした。そしたら、花が落ちた。どこから落ちてきたんだろうと周りを見渡せど、そこは自分の部屋であって屋外ではないので花の出処は分からなかった。別段花を飾るような趣味も無かったのでその花は簡素な俺の部屋には不自然な色合いを添えた。どうせタマコが摘んできた花が咳の振動か何かで落ちてきたんだろう、なんて思いながらその日は終わった。しかし、翌日も、その翌日も喉の奥に異物が引っかかる違和感は続き、最悪なことにその状態は一週間近く続いた。流石に声が出しにくくなり、そのことを母親に言ったら念のためということで医者に連れて行ってもらった。が、帰る時に処方されたのは風邪薬だった。この時期は季節の変わり目だからね、なんて呑気に言われてもお医者様がそう言うのならばきっとそうなのだろう。そう信じて布団に横になったら急に咳き込んで、気付いたら枕元には2輪の花が落ちていた。これには流石に驚いた。二段ベッドの上の段、それ以上の高さから花が降ってくるわけが無い。そしてその時やっと、この花は“自分が吐き出したもの”だということに気付いた。自分で出した答えなのに急に怖くなって、その日は夕飯を食べずに寝た。翌朝、珍しくクマを引っさげて学校へ行った。大丈夫か?なんて心配されてあぁ、と答える。体内から花が出てきて眠れなかった、なんて馬鹿げてるだろ?だからそう返事をした。それを聞いて俺の幼馴染の金田りくが驚いたのは昼休みのことだった。


「タミヤ君、それ、花吐き病かもしれない…」
「花吐き病?」
「う、うん、そういうの聞いたことあるんだ…」
「なんだそれ?なんでなるんだ?」
「わっ、分からない…」
「治す方法は?」
「それも分からない…」
「そっか…でも病気ってことは治る可能性もあるんだよな?ありがとな、カネダ」
「う、うん…」


“花吐き病”。その名前だけ分かればあとは図書館でなんとか調べられるな。とは思うものの、大して頭がいいわけでもない俺が医学書を読み漁ったところでまずは出てくる専門用語の漢字から調べる為に辞書を引っ張り出してこないといけなくなるので前途多難な今後を想像しただけでもぞっとした。そもそも光クラブの活動だってあるわけで、調べるのに時間を費やしていたら毎回玉座下の檻行きになる。それだけは勘弁してほしいと悩んでいると、答えは意外と簡単に出た。いるじゃねぇか、光クラブには天才が。


「それで僕のところに来たのか」
「ゼラなら何か知ってると思って」
「生憎だが、僕はその病名は聞いたことがない。そして僕は今は常川だ」
「あ、悪い」
「まあいい。それどころか、そんな病気があることを今初めて知ったぞ?」
「まじかよ…」
「一応家に帰ってからも調べてみるが…酷いのか?」
「こう、喉に異物が引っかかって、苦しくなる。咳き込むとぼろぼろ零れてくる」
「ぼろぼろって、そんなに沢山なのか?」
「最初は1,2個だったんだけど、今は5〜6個位出てくる。量は日に日に増えてってるな」
「そんなに出てくるのか?医者はなんて?」
「風邪薬処方された」
「それは信じられないな…分かった、僕も詳しく調べてみよう」
「悪いな」
「光クラブの活動に支障が出たら困るからだ」
「ははっ、ありがとう」


そうしてゼラにも協力してもらった結果、花吐き病の正式名称は「嘔吐中枢花被性疾患」、原因は片想いを拗らせて苦しくなることによるもの、完治する為には両思いになる以外に方法はない、ということが分かった。なんとも言い難い奇病にかかったもんだ。俺には好きな女子なんかいないし、キャーキャー言われるのも鬱陶しい。以前黄色い声を上げられてうぜーとつぶやいたところ、ゼラから憎しみを込めた目を向けられたことがある。仕方ねえだろ、興味無いものは無い。つまり、俺は一生完治しないわけで、これからもこの花吐き病と付き合っていくわけだ。この場合、肩を落としたり絶望するのが正しいのだろうけど、俺は意外と苦には感じなかった。きっと、カネダがいたからだろう。


「そ、そんな病気だったんだ…」
「ああ。でも俺は完治しないだろうし、気長に付き合ってくわ」
「……タミヤ君!」
「ん?なんだ?」
「今日、タミヤ君家行ってもいい?その、は、花が見たくて…」
「ああ、いいぜ!」


そう言った放課後、カネダは俺の部屋に来て目を見開いていた。それもそのはずだろう、そこには大きめのダンボールいっぱいに色んな花が詰まっていたんだから。名前の知ってるものから見たことの無いものまで溢れたそれは、さながら宝石箱のようだと言った。その言葉に少し救われて、カネダがいてよかったと心から思った。


「最初の頃しか親に言ってなくて、隠してだいぶ経ってるからもう結構溜まってるんだよな」
「えっ、なんで言わないの?」
「言ったら余計な心配かけるだろ?それに、変に気遣わせんのも悪いし。だからこれは俺とカネダだけの内緒、な?」
「う、うん!あ、タミヤ君…」
「ん?なんだ?」
「こ、この花、少し貰ってもいいかな?」
「え、別にいいけど…俺の吐いたやつなんかでいいのか?」
「うん、これがいいんだ」
「お前、植物とか動物好きだもんな。こんなんでよかったらいくらでもいいぜ、またうちに来た時に持ってけよ」
「うん、ありがとう…」


その日は花を吐くようになってから初めて気持ち良く眠れた。ずっと一人で抱えていた重石が少し減って気持ちが軽くなったからか、息苦しいこともなかった。治ったか?なんて軽く思ってみたけれど、その考えはすぐに消えた。きっとそれは浮かれた一時の勘違いかもしれない。もしかしたら明日になったら花に埋れて死んでいるかもしれない。人知れず、一人でそっと……そう思うと言いようもなく虚しくなってきた。ああ、なんなんだろうな、なんで俺なんだよ、ちくしょう。

とはいったものの、あの日から花を吐く量が減った。頻度は多いけど、一回に吐く量が前に比べて格段に減った。カネダも相変わらず頻繁に俺の部屋に来ては花を持って帰った。たんぽぽ、薔薇、チューリップ、ユリと定番のものから見たこともない、名前も知らない珍しい花まで袋に少しずつ選び入れるその顔はとても優しいものだった。もし治ったら、そしたらこの秘密の時間が終わってしまうと思うと治らなくてもいいかな、なんて考えてしまう。俺も大概に現金な奴だ。そんなことをぼんやり思いながら今日もカネダと別れる。袋いっぱいに夕日の橙や空の水色、あいつの肌みたいな澄んだ白を沢山詰め込んで嬉しそうに遠のく後ろ姿がやけに印象的だった。

しばらくそんな日が続いたある日、カネダの家で遊ぶ機会があった。花吐き病になってからも学校と光クラブ以外に出かけていなかったから久々に来たカネダの家がすごく懐かしいものに思えた。上がって、と言われて通されたカネダの部屋は様々な色に溢れていた。いつかカネダが言った宝石箱のようだ、という言葉を思い出した。水を張った皿に浮かべられた色とりどりの花は日の光が水に反射してキラキラと輝いていた。その色は壁や天井にも付き、今じゃむしろカネダの部屋の方が宝石箱になっていた。


「こんなに溜まったのか、凄いな」
「僕、色々と集めるのが好きだからすぐ溜まっちゃったよ。凄いんだこの花、あんまり頻繁に水を取り替えなくても枯れないんだよ。それにこの花はすごくいい匂いがするしね…あっ、この花は夜になると開くんだよ!」


そう嬉しそうな笑みを浮かべて楽しげに話すカネダにこっちも頬を緩ませながら鮮やかな部屋を見回す。赤、橙、ピンク、紫、白、珍しいものでは水色や薄い緑色のものもある。色になんか気をつけて見ていなかったから、我ながらカラフルなものを吐いていたんだな、と思った。それと同時に何か違和感を感じた。本当に、本当に一瞬だけど、あれ、となってまたすぐに分からなくなってしまった。けれど確かに何かを感じた。何だろうと考えているとどうしたの、とカネダの声がした。その声で結局また分からなくなってしまったので追うのをやめた。その日はそれで終わった。けれど帰ってからも悶々とした気分は抜け切らず布団に潜ってからも気になり続け、いつの間にか朝が来ていた。何か重要なことを忘れてしまったような虚無感に襲われながら、それでもあの時感じた違和感は頭の片隅に残ったまま月日は経ち、季節が変わった。

冷たい風が頬を刺し、手や首元を服に埋めておかないとすぐに真っ赤になって痛くなるからこの季節は苦手だ。白から赤、自分で思った言葉でふと思い出した。ここ数日、カネダが光クラブに来ない。ゼラは同じクラスだから色々と休む理由なんかを聞いてるみたいだけど、「カネダ今日も来ないね」とダフが言ってるってことはクラスが違う俺やダフには何も言ってないってことになる。学校で見かけることも少ないし、うちに電話もかかってきてない、けれどちゃんと学校には来てるらしい。一度、カネダん家に電話をかけた時は叔母さんが出て、「家にいる時はほとんどずっと寝てるのよ、ご飯は少し食べれるんだけどね。学校には行けるって言うから行かせてるんだけど。博君、何か知らないかしら?」なんて言ってたけど何も知りません、としか言えなかった。なんだよ、幼馴染なんだから何かしら言ってくれたっていいだろ。会おうとしても会えない自分と何も話してくれないカネダにふて腐れる俺を見兼ねてかゼラが話しかけてきた。


「不機嫌だな」
「当たり前だろ、俺たちずっと一緒だったのに、こんな事今まで無かったのに」
「ちゃんと学校には来てるぞ」
「俺は見てない」
「クラスが違うからだろう、現に僕はちゃんとカネダの姿を確認している」
「くそ……何か変わったこととかねえか?」
「風邪が長引いて活動に支障をきたすから暫く休ませてくれ、と言ってたがそれだけだ。……あ、」
「なんだ?」
「風邪にしてはやけに蒼白な顔をしていたな。元から色白な方だとは思ってたが、日に日に衰弱しているような…」
「ありがとなゼラ」
「おい、タミヤ!」


数日前、白、衰弱。
その単語が頭の中でぐるぐると駆け巡る。数日前、それは光クラブに顔を出さなくなったのとうちに花を取りに来なくなったのと同じ時期だった。白、そう、俺があの時感じた違和感は白だったんだ。カネダの部屋に行った時、色とりどりの花に圧倒されてすぐには気付かなかった、白い花があまりにも少なすぎた。多少はあった、けれどその量がカネダが持ち帰った白い花のそれとあまりにも違いすぎた。そして妙な胸騒ぎがした。衰弱したのはきっと風邪をこじらせたからじゃないと。真っ白なカネダの顔が脳裏をよぎる。出せる限りの力を出してカネダの家へ向かう。途中、息苦しくなって咳き込み花を吐き落とす。でもそんなの気にしている暇など無く、なりふり構わず走り続ける。何度も通ったはずの道のりが今では迷路のように感じる。バカカネダ、何考えてんだよ。


「ユリってちょっとクセのある匂いだな」
「ユリってアルカロイドっていう有機化合物を発するんだって。麻薬とか幻覚薬に使われてて、生物には有毒なんだって」
「綺麗な花には毒がある、ってやつか?」
「うん。だからユリを………………なんだって…」
「うわ、なんかゼラとかが好きそうだな」
「あはは、でも確かに……いよね」


唐突にカネダとの会話が思い浮かぶ。なんでこんな時に肝心なところが思い出せねえんだよ。何かを言っているカネダの顔がボヤける。ガッと乱暴に開け放ったドアが大きな音を立てていることにも、お邪魔しますを言わなかったことにも悪いと思っている場合じゃ無かった。階段を1段飛ばしで登り、開け放った部屋にカネダの姿は無かった。おかしい。家にいる時は大抵寝ていると言った叔母さんの言葉を思い出した。何処だ、何処にいるんだ。色とりどりの花がゆらゆらと水に浮かぶ。赤、橙、ピンク、紫、白。白、白、白。圧倒的に足りない白を部屋の隅々まで探す。机の下、布団の下、引き出しの中、何処にもない。噎せて整えていない呼吸と共に花が零れる。ぼろぼろと、いつにも増して大量の花がカネダの部屋の床を埋める。ひとしきり吐き終えて少し涙目になりながらふと目線を部屋の端にやる。そこにはさっきまで必死に探していたのに見つからなかった色が広がっていた。部屋の片隅、ほんの少しだけ開いた押入れの隙間から白が零れていた。

前にゼラが薔薇の処刑の話をしていた時、ユリでも良いと話していたのを思い出した。ユリからはアルカロイドという物質が発せられるので、ユリを敷き詰めて締め切った部屋で一晩眠ったら緩やかに死ねるという最も美しい自殺方法だと。ぼんやりとしていたカネダの映像と言葉が合致した。四方に広がる花弁、独特の匂い、一番美しい自殺方法。開いた襖の向こうには床一面に敷き詰められたユリの上に横たわるカネダの姿があった。クセのある匂いが全身を包んだ。恐らく数日前から押入れの中に少しずつ篭っていたのであろう、衰弱し切ったカネダは目も虚ろで辛うじて途切れ途切れに話せる程度だった。


「カネダ、カネダ!!!」
「ァ……ミヤ…ん」
「馬鹿野郎!!何やってるんだよ!!」
「見つ……かっ、ちゃっ……た」
「なんで、なんでこんなことしてんだよ」
「タミ…君、片想…だから、花吐、き病、に……なった…でしょ?タ…ヤ君に…きな、子が、いたの、僕……知らな……た。も…タミヤ君、と…結ばれ…いんだ……て思ったら、辛くな、って、タミ……の吐いた花、で、死…たらな、て………」
「ば、バカカネダ…何で、聞かえねんだよ、俺はお前の事が……」
「……ふふ……良か、っ………」


最後の力を振り絞って微笑んだ目から、つーっと一筋の水が伝った。だらんと垂れた手は既に冷たく、笑ったままの穏やかな、ユリのように白い顔を俺に向けながら、カネダは呼吸を止めた。大声をあげて泣き喚く俺の声に気付いたカネダの家族が救急車を呼び、そこから葬式が終わるまではあっという間だった。この町に似合わない気味が悪いほど白い建物から、この町に似合わない気味が悪いほど白い煙が上った。空を覆う黒い煙に紛れるように、細く白いそれは暗い空に飲み込まれて行った。

棺に手向けられたユリや白色の花の山を思い出す。皆が学ランの黒に映えるようにと白を手向ける中、俺は今まで自分が吐いてきた花を籠いっぱいに詰め、あいつのの頭の周りに敷き詰めた。一人で人知れず白に埋れて消え入るように向こうに行ってしまったカネダが、俺が向こうに行くまで宝石箱のような鮮やかな世界に居れるように。

こほん、と空咳をした。慣れた手つきで喉に引っかかったものを取り出す。量はあいつが行っちまってから日に日に多くなっていく。水を張った皿に浮かべ、ゆらゆらと揺れるそれはあいつの肌のように白かった。


「ちゃんと好きって言えなかったな」


今日も俺は花を吐く。白黒の町で、鮮やかな色を。




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