世界を手に入れられなかった君へ


※年齢操作
※死ネタ
※医療知識捏造




その日はあいにくの雨だった。ただでさえ工場から吐き出される黒い煙で空が黒いのにそれに相まって雨雲が立ち込めるもんだから、余計に暗く寒かったのを覚えてる。隣町でもこれだけ認識出来るのだから、そこに住んでる僕らはとても汚い空気を吸って生きてきたんだと思うとぞっとした。冷たい雨が窓を打ちつけ震わせる憂鬱な午後に、その患者は運ばれてきた。


「先生、急患です!!」
「容体は??」
「重い心臓病を患っており、今すぐ移植手術を行わないと手遅れになります」
「ドナーは??」
「既に見つかっており、本人と家族の同意も得られてます」
「分かった、オペの準備を」


父親の跡を継ぎ、雨谷医院の院長になった僕は、医大で培ったコネを全力で駆使し医療設備を完璧に揃えてもらって開業医として働いている。ただ、医院が螢光町という患者にとって環境の良くない場所にあるから、入院が必要な大きな手術は基本的に隣町の総合病院で行っている。向こうの方が設備も環境も利便性もいいから仕方ない。僕がこっちに来てる時はまだ現役の父親が担当医として医院に立っている。なんだかんだいって昔からの患者は父親のお得意様ばかりだから僕が相手するよりはマシだけど。


ドナーもレシピエントも27歳。ドナーは脳死したが本人も家族も臓器提供の意思表示を“同意”にしていたから話は早かった。脳死してしまっても、息子の臓器で人が助かるなら、それで役に立てるのなら、と待合室で涙ながらに話をした母親を見てドナーは幸せな家庭に生まれたな、と思った。僕の家は愛なんてなかった。今は一応それなりにはやってるけど、小さい頃の温かい思い出なんて無い。忘れてるだけかもしれないけど。そんなことを考えながら準備室に入り、レシピエントのカルテを見て絶句した。そこに載っていた写真と情報は、いつか僕が愛した人のものだった。でも心臓病は患ってなかったはずだ。酒も煙草もやらない超のつく真面目な優等生だったのに、人生何が起こるか分からない。僕はオペ室に入って麻酔を打たれる前のレシピエントに会った。


「お、前に……手術……されるなんて……思って、なかっ……」
「僕が健康な体にしてあげるから、心配せずにちょっとだけ眠っててね」
「変なもん……混ぜ……るなよ……」
「やだなぁ、もうそれが許される立場じゃないよ。治ったら、何処か行こうね」
「あぁ………に行こう……」
「うん、約束ね」


平静を装った、内心は心臓が脈打つ音が丸聞こえなんじゃないかというくらい緊張と驚きが混ざった感情で彼との会話を終え、僕は執刀した。十数時間後、無事に手術は成功し、その旨をドナーとレシピエント両方の家族に報告して今日は仮眠室に泊まることにした。急な拒絶反応が出て容体が急変した時に即座に対応できなかったら困るし、何よりも患者が大事な人だから。容体が安定することを祈りながら、手術が成功した安堵感を抱いてその日は眠った。

次の日の朝、容体を確認するためにレシピエントの病室に行った。そばに居た家族も少しだけ意識が戻った息子と話をしたらしく、深々と頭を下げて病室を出て行った。彼は昔と変わらない、白くて端正な顔立ちで眠っていた。今のところ拒絶反応は出ていなそうなので、一旦診察室に戻ろうとした時、彼は起きた。


「せ……」
「あ、起きた??無事手術は成功したよ。あとは色々移植後の検査とかしなきゃいけないから、1ヶ月は入院してもらうかな……」
「あ……りがとうございます……雨谷先生」


移植世界の中では、心臓移植を行うと趣味嗜好がドナーのものになるという説が唱えられていた。そんなもの、唯心論じゃないかなんてどこか傍観者的な考えをしていたけれど、白い病室の白いベッドの上で、これまた白い肌を持った僕の愛した人はいなくなっていた。昔なら取り乱して執刀医をボコボコにしていただろう。泣き喚いて自殺も図っただろう。どうしようもなくて、途方にくれてただろう。けれど、まずその執刀医が僕だ。自分を殴ろうにもどうにもいかない。そういった説があるくらいだから実際に起こってもどうということはないとどこか他人事だった。例え、それが愛した人の身に起こったことだとしても。けど


「人格が変わるなんて、そんなことあるわけ??」



それからしばらく検査入院をしてもらい、彼は退院した。その頃はまだ、彼だった。しかし月日を重ねるごとに、彼が彼では無くなっていた。時折ドナーの性格が出る、なんてレベルじゃ無かった。ドナーの記憶を引き継いだレシピエント。彼の姿をしてるのに中身は彼じゃない。ほとんど彼の人格は無くなっていた。月に2〜3回カウンセリングも兼ねて彼と会って、今まで見て聞いたことや行った場所、思い出などを共有しようと何度も試みた。かつての彼の呼び名で呼んでみたり、光クラブのことも話した。彼がリーダーだったこと、僕と彼がお互い好き同士で愛し合っていたこと、世間的にはタブーとされているような行為も行なっていたこと。とにかく、何か一つでも引っかかってくれたら。その願いも虚しく、彼は決まって


「ごめんなさい、よく覚えてないんです」


と困った顔で僕に謝るだけだった。カウンセリング自体はドナーの性格が社交的だったせいかすぐに馴染み会話も弾んだ。時折リハビリとして文字を書いたり歩き回ったりもした。それでも、僕はまだ彼の面影が残るこの人を真っ直ぐには見られなかった。もう居なくなっちゃった人を引き戻そうとするのは神への冒涜なのかな。いつか僕が彼を苦しめたからその贖罪なのかな。二度と彼には会えない気しかしなくて心が折れそうだった。けれど約束したんだ、治ったら一緒に行こうって。



そうして3年が過ぎた。
僕も30歳になって病院の中堅になった。相変わらず記憶は戻らないけど、彼とのカウンセリングは楽しみにしていた。最初は家族も戸惑っていたけれど、新しい彼として受け入れられたみたい。子が変われば親も変わるのかな。そんなことを考えながら今日の診察を全てこなし、後はこの後の予定だけだった。すると曇り空がいつの間にか雨雲に覆われ、あっという間に外は暗くなりすぐに雨が降り出した。まるで彼が運ばれてきた3年前のあの日のようだと懐かしんでいたら急患の知らせが入ってきた。これも前と同じだなと思い、オペの準備を始めた。患者は30歳、歩行途中に視界不良によって車線を外れた乗用車に跳ねられて意識不明の重体だという。こんな雨の時にこういった事故はよく起こりがちだ。けど患者は重体なので迅速に施術しないと命に関わる。準備が整ったのでオペ室に入って患者を待つ。そして運ばれてきてまた絶句した。奇しくもこの日は彼と会う予定の日だった。


「なんで………」
「先生、至急手術の準備を!!」
「なんでこの人が……」
「先生………」
「……………う」
「か、患者が何か!!」
「……に……こう……」
「記憶が……絶対助けるよ」



3年前に交わした約束を、記憶が上乗せされたはずなのにまだ覚えていた彼の言葉に涙を流しそうになった。絶対助けてやる、助けて一緒に行くんだと心に誓って僕は再びメスをとった。


その誓いも虚しく2時間後、彼は息を引き取った。肋骨は複雑骨折し、臓器は大半が破裂損傷、血液が脳に溜まり、手術をせずとも助からなかった。それでも彼が最期に約束を覚えていてくれただけで満足だった。家族に最期を迎えた旨を伝え、手続きを済ませて結局帰れたのは2日後の朝だった。その日は流石に院長も休みをくれたので、僕は螢光町の海に向かった。黒ずんでいて入ることは愚か、生き物すら住めないのではなかろうかというほど汚れていた海に僕らは来た。その日は珍しく工場の煙が少なく、雲の隙間から少しだけ青空が覗いていた。




「ねぇ、君はなんで海に行こうなんて言ったんだろうね??こんなに汚れてるし、遊べないし、全然楽しくないよ??」


遺影、というわけではないけど、カルテの写真を持ってきて、決して底が透けて見えない螢光湾の水面を彼に見せる。天国から汚い水面を見せるな、なんて怒ってるかな、そんなことないか………




「な、なんだ……すっごい怒ってるじゃん………うっ……うわぁぁぁ……ぜっ、ゼラぁぁぁぁぁあっ……!!」











14歳で死なずに健全に、少しだけタブーを犯しながら中学高校を終えた。世界征服は果たせなかったけれど自らの野望のために大学へ進学し、それを果たそうと努力していた。ひと段落ついて高々と上げた手には黒い星はなく、赤く滴る血を携えて僕のところに運ばれてきた君は、30歳になっても世界は手に入れられなかったね。




「それでもね、君は完全に僕の世界を征服してたんだよ、廃墟の帝王・ゼラ」




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