連続して三人もの娘が生まれた僕の両親は、次こそはもう娘ではなくこの家の跡取りとなり得る息子が欲しいと思ったのだそうだ。だから今度こそは男児であれと願われながら僕は生まれた。残念ながら、僕は女として生まれてしまったのだけれど。

「アルカ、あんたが女だろうと別に何も不都合なんてありゃしないよ」

 そう言ってくれたのは一番上の姉のベラ。彼女は彼女が敬愛する人と純血以外はどうでもいいようだったから、僕の性別もどうだっていいのだろう。

「あら、私はアルカが女の子でよかったけれどね。だって男の子として生まれていたら、私達はアルカをこんなに可愛がれなかったでしょう?」

 僕の短い髪を梳いてくれているのは二番目の姉のアン。彼女は自分達のお下がりの服が僕に似合うか見繕うのが好きだ。

「でもお父様もお母様もがっかりしていたわ。……ああ、もちろんアルカが悪いわけでは全然ないのよ、悲しまないでね」

 家族の中で最も僕が女であったことを嬉しがってくれたのは一番歳が近いシシー。ほんのふたつだけ歳が上の彼女はまるで同じ日に生まれた双子のように、光があるところに影があるように、いつも一緒にあった。光と影であると表現したのは、シシーの髪型は光に照らされて輝くブロンドであるのに対して僕の髪は夜の闇に容易に紛れることができることができるからだ。家名を体現したかのようなこの色味のない髪を、存外に僕は気に入っている。
 僕の姉三人は僕を可愛がってくれているが、彼らの期待に反して女として生まれてきた僕に対して両親はほんの少しだけ残念がって、けれども厳しく当たることはなかった。三人の姉と同じように平等に愛して、慈しんで育ててくれた。

 僕の生家は純血の一族の分家なのだけれど、なにせ僕が生まれた瞬間には本家にすらまだ男児が生まれていなかったのだ。分家といえど唯一のものだった僕の家族、いや血縁者達に僕は期待されていたらしい。顔を合わせるたびにいい歳をした大人が子供に向かって「また女か、期待外れだ」なんて言うことはもう両の手の指の数ではおさまらなくて、両親も姉達もその非礼な者達に怒ってくれてはいたが僕自身は慣れすぎてもうなにも感じなくなってしまった。だって、男に生まれることができなかったからと彼らが口うるさく言ったところで僕に何ができるのか。何も変わりやしないのだ、ならば気にするだけ無駄なのだとようやく割り切ることができたのは、奇しくも本家へ嫁いだ伯母のヴァルブルガが懐妊したとの報告がきたのとほぼ同時であった。
 伯母は自身の弟の家族だというのに、それでも僕たちを下に見ているようであったから、あの僕や父と同じ色の目がどうにも苦手だ。彼女がなかなか身籠ることができず、親族の老人たちにちくちくと嫌味を言われていたことも知っている。僕に向かって失望しただのなんだのと言った者どもと同じ人だったからだ。
 けれど伯母はきっと、弟の子供がみな女ばかりであったことにほんの少し安心感を抱いていたのだと思う。子を産めぬ身体であるかもしれないと夜な夜な髪が抜け落ちるのも構わず頭を掻きむしるほどに追い詰められていた伯母の唯一救いになるだろうことは、歳の近い血縁者、すなわち自身の弟の家族にも嫡男となりうる人間が生まれないことだ。もしも本家に嫡男が生まれなければ他の女をあてがい、それでも子が産めぬなら分家の子供を引き取る。この古くから存在しているブラック家という血筋であれば、同じ家の名を持たずとも拉致にも似た手段で他の純血の一族から男を奪いとらないとも限らない。この家はそういうものであると、まだ幼少の頃の僕ですら理解していた。だからこそ本家の嫡子、それも待望の男児が生まれたことを他の家の者は心から祝ったことだろう。僕の両親も、脱力感とともにほっと息を吐き出していた。

 それはさておき、物心ついた頃から僕は男の装いを好んでいた。きっかけはベラが昔着ていたという男物の服を姉達に言われるがまま身につけて、それが思いのほか僕の中でしっくりときたことだ。別に母が僕に買ってくれる優美なドレス達に不満があったわけではない。ただ、男の服を身に纏った僕自身が映る鏡を見て「こちらの方が自分らしい」と感じただけだ。それからというもの、生家の屋敷の中ではずっとそうだった。両親も姉達も思うところはあっただろうけれど、それでも僕にその格好をやめろと言うことはなく、許容してくれていた。だから当然のように学校でも、制服があるにも関わらずいつもスラックスとシャツを着ていたし、友人もそれを咎めることはなかった。むしろ皆、特に女子生徒達からは初対面でもなぜか好意的に接せられるものだから僕はさらに他人の目を気にすることなき男の服を着るようになり、今に至るわけだ。からかいの言葉を浴びたこともあったけれど、小言ばかり言うだけの血のつながりのある大人達の方がよほど醜悪だったから別に気にはならない。
 そんなわけで、たくさんの人の期待と様々な意味を伴った喜びの声に包まれて生まれてきたシリウスを初めて見たのはかなり遅く、僕がホグワーツ二年目のクリスマス休暇、ブラックの本家でようやく行われた嫡男のお披露目の場であった。なんでも、ヴァルブルガがシリウスに近づこうとする者全てを追い払って、それはそれは大切に育てていたらしい。来年にホグワーツ入学を控える、この年にしてようやく公式の場に見せようと思ったのだとか。それまでは血縁である僕の両親は対面していたのだが、当主であるオリオンの姉のルクレティアは面会が叶わなかったらしい。……今でこそルクレティアは他の家に嫁いでいったが、本家の長女であったルクレティアと分家の長女であったヴァルブルガの仲が良いわけもなかっただろうということは想像に難くない。その隔絶もあり、今まで両親以外の人間は本家に立ち入ることができなかったのだろう。
 初めて見たシリウスは澱んだ瞳をしていて、そこには何も映っていなかった。彼の両親に言われるがままに人と挨拶をし、笑っているように見えるけれどそれは貼り付けたかのようにワンパターン。感情を見せないのはこの純血の貴族社会を渡っていくためには必要不可欠だが、シリウスは感情を見せないのではなく押し殺しているようにしか見えなかった。けれど、両親も姉達もシリウスは嫡男として申し分ない立派な姿だとしか言わないのだから、彼の死んだような目については何も言えなかった。
 それは置いておいて、シリウスの姿と同じくらいに驚くべきは彼の弟、レギュラスの存在であった。なにせ、誰も彼の存在を知らなかったのだ。意図的に広めなかったのだろうということも容易に理解できる。後に両親にも尋ねたが、やはり両親もあえてレギュラスのことを伏せていたらしい。緊張よりも絶望に似た感情に覆い尽くされているシリウスとは違い、この場に立とうとしながらもがちがちに緊張しているレギュラスの方がよほど嫡男らしい姿であると、心のすみで思ってしまった。絶対に誰にも言えないけれど。
 だから、つい声をかけてしまったのだ。

「僕はブラック家分家の四女、アルカだ。初めまして、レギュラス」

 この場はシリウスとレギュラス二人のお披露目であるというのにシリウスばかりを連れ回している彼の両親に置いていかれたらしいレギュラスへとそっと手を差し出した。彼はきょとんとした表情を浮かべていたが、やがて恐る恐るといった様子でおずおずと差し出された手を握り返してくる。初めまして、と呟くような小さい声。その柔らかな感触に、彼が本家筋とはいえまだ子供なのだということを実感した。聞けば僕より四つも年下なのだから、当然なのだけれど。

「……アルカ、君はシリウスではなくて僕に話しかけてよかったの」
「話しかけない方がよかった?」
「別に……けれど、僕よりもシリウスに話しかけたが君のために良いと思っただけだ」
「どうして? だって僕はシリウスではなく君の方が気になってしまったのだもの」

 そう言えば、僕の言葉を聞いたレギュラスは一瞬呆けたように目を丸くしてからふいっと顔を背けてしまった。何か気に障ることを言ってしまっただろうか。

「……変な人だ、君は」

 ぽつりとこぼしたそれは僕に聞かせるための言葉ではなく、独り言だったのかもしれない。自分に構う人間を変人だと言う彼はもしかしたら、シリウス以上に孤独であったのではないだろうか。少なくとも僕には、そんな風に見える。
 それが、レギュラスとの出会いだった。



 澱み切っていたあの目に輝きが灯ったその姿を見てしまったから、僕はシリウスに何も言うことはできなかった。
 ホグワーツに入学してからのシリウスはまるで水を得たマーピープルのように生き生きとしていて、外から見ているだけの僕ですら歪んだ関係だと感じていたあの本家から彼は逃げたかったのだと理解した。そもそも組分けの時にあのくすんだ瞳に光がさしていたことに気づく間に彼はグリフィンドールへと組み分けされていた。シシーも僕も、呆然としている間に。
 きっとシリウスは彼にとっての希望を見つけたのだと気づいたのは、グリフィンドールの席で一際仲の良さそうな数人を見つけたから。まだ入学したばかりだというのにその姿はもう何年もの付き合いがある友のようで、それを見て理解してしまったのだ。ああ、シリウスはあの家からやっと逃げられたのだと。
 ざわめきが伝播するスリザリンのテーブル、ちらりちらりと視線を向けて様子をうかがっているレイブンクローとハッフルパフ。そして全力でシリウスの入寮を祝うグリフィンドール。こんなにも異なる反応を見せているのがどこかおかしくて少しだけ笑いたくなってしまったけれど、笑ったら隣にいるシシーに問いつめられることもわかっていたから何も言わないでいた。
 翌日にはふくろう便はパンクした。親へ送る報告の手紙、それからいち早くそれを出していた生徒への親からの返事の手紙。あるいは、ホグワーツのふくろうが全てで払ってしまってまだ手紙が出せていないにもかかわらずどこから聞きつけたのか親の方から先に手紙が届いたという生徒もいるかもしれない。自分は何ひとつ悪いことなどしていないのに驚愕の声が吠えメールとなって飛び交うスリザリンのテーブルは地獄の有り様で、それを面白そうに見ながらシリウスのことを楽しげに語るジェームズ達の姿もまた、地獄絵図の一端だった。あの恐ろしい伯母の吠えメールも気にしないシリウスは、まるで怖いものなど何ひとつないかのようにただ余裕の笑みを浮かべていた。
 僕の両親ももちろん手紙こそ送ってきたけれど、シリウスのことよりも他所の家の者がこそこそと嗅ぎ回っている被害の対応に忙しいという内容の方がずっと多くて、吠えメールなどという品のない手紙を送ってこないことにシシーと安堵していた。けれどもその手紙の中のほんの一文だけが、僕の中にずっと留まり続けている。
 ──シリウスの一件からヴァルブルガは嵐のように荒れていて、その被害をオリオンとレギュラスが被っているのだと。
 ブラック家、ひいては純血主義そのものに逆らったシリウスとは真逆で、レギュラスは真面目であるがゆえに余計なものを背負ってしまう、そんな人間だ。あの伯母にきつく当たられてしまうだなんて僕は絶対に耐えられないだろうし、だからこそレギュラスのことが心配でならない。

「あら、お父様に手紙を出すの? きっとお父様はずいぶん前に存じていると思うけれど」

 首をかしげるシシーには濁して、僕はペンを取ってレギュラスへの手紙を綴った。

『次の長期休暇、すなわちクリスマス休暇に話せないかな?』




 送った手紙に返信はこなかったけれど、その後で一方的に日時や場所を指定して送りつけた手紙に記された場所に向かうとレギュラスはいた。彼と会うのはこれが二回目だというのに、どうしてか以前よりも疲れ果てて、そして絶望しているように見えた。

「これでは、呼び出したのは僕なのになぜか逆に思えるね」
「……」

 僕を見ているようで見ていない。どこか遠くを見つめ続けるレギュラスはしばらくの間だんまりを決め込んでいたけれど、やがてぽつりぽつりと話し始めた。

「……アルカ。シリウスは、どうして手紙をくれなくなったのかな」

 その言葉に、すぐに出せる答えを持ってはいなくて僕は黙ってしまった。それをどう捉えたのかはわからないけれど、レギュラスはまた口を開く。
 曰く、シリウスがグリフィンドールに入っただなんてなにかの間違いなのだと。シリウスは何を考えているかわからないと他の人に思われるくらいに寡黙だけれど、あんなことをするような人間じゃあないのだと。古ぼけた組分け帽子の間違いに決まっているから、謂れのないうわさなんて早く払拭するべきなのだと。

「アルカ。どうしてシリウスは僕に、僕達に手紙を返してくれないんだろう。僕達は家族なのに」

 そう問うたレギュラスの瞳は心細げに揺れていて、まるで迷子の子供のようだった。

「……僕にも、わからない」

 嘘だ。わからないのは、目の前の捨てられた仔犬のような目をした年下の従兄弟になんと言っていいか、だ。本当はどうしてシリウスが彼らに何も返さないのか、知っている。シリウスの心情さえ、ほんの少しではあるけれど。ホグワーツでの彼の姿を見ていれば、それを認めたくないもの以外は誰しも理解することだろう。
 けれど、そんなことを知らないレギュラスには言えるはずもなかった。だって彼はきっと傷つくだろうし、それに今ここで僕の口から話したところで彼が納得できるとも思えない。きっとレギュラスは、認めたくない側の人間だろうから。
 シリウスは今や家族よりもずっと大切なものを手に入れて、レギュラス達は家族であることに縋っている。いや、そもそもまだホグワーツに入学する前の彼の全てを諦めた瞳を思い出せば、もっと幼少の頃からシリウスはブラック家の本筋として馴染むことはできていなかったのかもしれない。いずれにせよ彼らの考えはどちらかが折れるまで相入れないことだろう。けれどそれを理解できてしまった時、レギュラスは一体どうなってしまうのだろう。

「シリウスは、もう僕達のことがどうでもよくなってしまったのかな。……家族、なのに」

 彼は大切な兄を失えば、どうなってしまうのだろう。そんなことを考えて、気がつけば僕の口は勝手に開いていた。

「……レギュラス。もしも君が寂しく思っているのなら、もしも君がそれを嫌ではなかったのなら」

 僕が、君の兄代わりになろうか。

 レギュラスを見つめていると、彼はわずかに目を見開いていた。
 別に僕はこんな格好をしているけれど、男である自覚はない。でも女らしさというものも待ち合わせていない。シシーやアンのようなお嬢様に一時的に対外的につくろうことはできるけれど、それはあくまで外面だけのことだ。中身まで女の子らしく振る舞おうとは思ってはいない。そもそも「女の子」らしくありたいわけでもないのだけれど。だから僕は兄として扱われても問題ない。むしろそっちの方が都合が良ければなおさらだ。目の前の彼を放っておくことなんてできないから。

「……やっぱり変な人だよ、君は」

 僕の一足飛んだ言葉に呆れ戸惑いながらも、どこか安堵したようにレギュラスは笑った。



 僕が四年生になったその年にレギュラスが入学し、どこかはらはらとしながら上級生達が見守る中で彼はスリザリンへと組み分けされた。これが無事に、というべきなのかはわからないが、少なくともレギュラスのこのスリザリンへの入寮でほっとした生徒がいることは確かだ。一年前に比べてふくろう便の量も半減はしていたけれど、それでも例年に比べて父兄からの手紙は多かったらしい。
 レギュラスのためにと、先は僕の隣を一人分空けておいた。これでレギュラスが彼の兄のようにスリザリン以外の量を選んでしまったらどうしようもなかったけれど、そのような事態にはならずに済んだようだ。ちらりとグリフィンドールの席に視線を投げたが、レギュラスに似たその顔はこちらを全く見ることはない。そんなシリウスに対してレギュラスはすぐに僕やシシーの姿に気づいたようで、生徒達の視線を集めながらまっすぐこちらに歩いてきて、シシーの隣に既に座っている僕の反対側に腰を下ろした。すぐに宴が始まる。

「アルカ、ナルシッサ」
「入学おめでとう、レギュラス」
「あなたがスリザリンに入ってくれてとても嬉しいわ。……心から、ね」

 何も言わないが耳を傾けている生徒が周りで小さく何度も頷く。このテーブルにいるほぼ全員が同じ気持ちのようだ。

「僕は……あれのようにはならないよ」
「それが私達には本当に嬉しいのよ」

 この一年間、シシーを始め少なくない人数のスリザリン生達がシリウスの目を覚まさんと尽力していたのも意味がなく、二年目にもなればもはやみな彼を引き戻すことも諦め切っていた。今年の一年生の中にいるかもしれないけれど、彼らが期待するようなことはおそらく起こらないだろう。
 グリフィンドールの席ではシリウスの周りで見慣れた数人の男子生徒がこちらを気にもせずに声を上げて笑っていて、それはもはや当たり前の光景となってしまっているけれど、レギュラスはそれを見て顔をゆがめる。きゅっと唇を結んだままでじっとその笑い合う彼らを見ていた。それを、泣いてしまうだろうかと心配した。

「……もう行こうか」

 ちょうど宴も一息ついた頃で、ちらほらと寮に戻っている生徒もいる。あまり食は進んでいなかったようだが戻る方が先決と判断した。レギュラスは新入生だけれど、抜けたところで問題はないだろう。だって新入生の説明係もとい引率は監督生であるシシーだ。顔を向けただけで察した彼女は、大丈夫よ、とひとつ頷いたから、レギュラスの視界から兄を消すように手首を引いて大広間を二人で後にした。

「…………」

 まだ無人の談話室に辿り着くと同時に堪え切れなくなったのかひとすじの涙が流れ出るから、そっと抱きしめて背中をさすってやった。頭ひとつ分小さいレギュラスはすっぽりと腕の中に収まって、震える身体をさらに強く抱き締めると胸に顔を埋めてしがみついてきた。声を殺し、肩を震わせる彼はもしかすると、こうやって泣きたい時があっても彼は実の親にさえそれを許されないのかもしれない。

「今はこのままでいいから」

 そう僕が言ったせいなのか、我慢できずに嗚咽が漏れ始める。ぎゅうと一層力を込めてくるレギュラスの腕の力の強さを感じながら、せめて今だけは泣けるだけ泣くといい、そう思った。これからの未来、さらにこのような弱い姿は許されなくなるだろうから。

 あの、レギュラスが涙を見せた日から数日後。そこには何か吹っ切れたようなレギュラスの姿があった。シリウスの姿を見ても初日のようにつらい表情も涙も見せることなく、それどころかシリウスをいないものとして扱っているようにも見える。まだホグワーツに入学したばかりの子供だというのに、割り切ることなんて簡単ではないだろうに。なるべく本物の兄から目を逸らし、同じ場所にすらできるだけいたくないとばかりに関わらないようにしているその姿はこちらまで胸が苦しくなってしまう。けれどその代わりなのか、レギュラスは積極的に僕に話しかけ、慕うような素振りを見せ始めた。

「アルカ、一緒に図書館に行ってくれないかな。クリスマスまでに一年生のカリキュラムは全て見ておきたいんだ」
「いいな、ホグズミード。三年生になるまで待たないといけないのが残念だけれど……再来年は一緒に行こうよ、アルカ」
「魔法薬学の授業、とても楽しかったよ。アルカの言う通り、スラグホーン先生はとても優しく教えてくれたしわかりやすかった。それで、もしよかったらだけど……その、薬を作るときの注意点とかを教えてほしいんだ。アルカは成績優秀だってスラグホーン先生も言っていたから」

 まるで僕がレギュラスの本物の兄であるかのように振る舞うその姿を最初は戸惑いながら見ていたシシー達もそのうち慣れてきたようで、一ヶ月もすればあらあら今日も仲がいいわね、どことなく声も似ているじゃない、なんて微笑ましく見守るようになっていた。僕自身も兄代わりだとかそういうことを抜きにしても慕ってくれるレギュラスに悪い気はしないし、それこそ僕より下の弟や妹はいないからほんの少しだけ本当に弟ができたみたいで嬉しくもあった。どことなく僕に話し方が似てきたようにも思えるが、それもまたかわいいところだ。ただ、ちらと見えるレギュラスの本当の兄の困惑と嫌悪にまみれた視線が痛かったけれど。
 ホグワーツへ入学してようやく自我が芽生えたシリウスは、ホグワーツでも実家でも思いのままに振る舞っているらしい。オリオンはそんなシリウスにはもう諦めているのか何も言わず、シリウスの扱いについても特に口出ししていないようだった。けれどもいまだヴァルブルガは諦めきれていないようで、事あるごとにシリウスへヒステリックに彼を矯正しようとする言葉を呈していたようだ。けれどもシリウスの態度も母の血をしっかりと継いでいるがゆえにかたくなであり、余計にヴァルブルガの怒りを買っているという悪循環になっていた。そんな中で突然アンが家を飛び出して行方知れずとなり、ようやく見つけ出した時にはマグルの男性と結婚していたという事態もあり、この数年は分家筋の方までぴりぴりとした雰囲気に包まれていた。
 その中で、僕とレギュラスの関係だけが変わらないままだ。僕がホグワーツを卒業した年にシリウスが出奔して事実上の勘当となっても、そのために次男であるレギュラスが次期当主に定められても、……レギュラスが、"名誉ある"死喰い人となっても。僕は彼への接し方を変えることはなかった。
 本家の伯母ほどではなくともきちんと教育、もとい家族から洗脳されたにもかかわらず、僕の芯はそれに染まることがなかった。だから、レギュラスがそれに選ばれたことをみながたたえても僕は何ひとつ良いことだとは思えない。レギュラスにも、シシーにも、誰にも言わないけれど。
 それでも僕はレギュラスのことが大切だから、彼が魔法界のために闇側の人間になったとしても、彼の味方であろうと決めている。……ただ、その闇の帝王がレギュラスを使って何をしようとしているのか、それがどういったものなのかがわからなかった。それでもなにか良くないことが起こる予感だけはするのだ。
 そしてそれは、僕の予想以上に早く起こってしまった。


 成人後に生家を出た僕は、たまにマルフォイ家に嫁いだシシーに会いながらもひとりで暮らしていた。特に目標でもなく得意でもない、平々凡々な誰にでもできる仕事。家族は「アルカにはもっと力を発揮できる仕事が似合う」と言ってくれたけれど、ずっと嫌な予感を抱えたまま重要なポストについていざという時に身動きできない方がずっと不安だから彼らの助言を振り切って今こうして暮らしている。そんな僕の元へ、レギュラスが訪ねてきたのは突然だった。
 僕ひとりだけだったはずのこじんまりとした部屋にチャイムの音が鳴る。馬鹿げた噂話を載せるだけの月刊誌のコラムの校正をしていた僕がびくりと肩を揺らしてから玄関を開くと、そこには可愛がっている弟分の憔悴した顔があった。

「……レギュラス?」
「アルカ、」

 返事はか細く、けれどもひとり暮らしの部屋にはよく響く。立っているのもどこか不安定に見えて、とりあえず彼を室内に引き入れた。真冬でもないのにつかんだ彼の手首はひどく冷たい。

「久しぶりだ、アルカ」
「ああ……。驚いたよ、急に来るなんて聞いていないのに」

 そんなことを言いつつも、自分自身の頭の中でその言葉を否定する。頬がこけ、目の下にはうっすらとくまができていて、瞳は安定せずに揺れている。こんな状態のレギュラスが、律儀にふくろう便で訪問の予定を確保してから来るなんてことができるわけがない。きっとなにか緊急を要することがあったに違いない。

「それで、何があったんだい? こんなにもひどい顔をして」

 この小さな家に暖炉がないことを恨んだ。もちろん、生まれ育った家のような立派な屋敷でないと暖炉がないのは当然なのだけれど。それでもレギュラスを少しでもあたためてやりたかった。

「……クリーチャーが、」

 あの男、闇の帝王に殺されかけたんだ。そう呟くように告げたレギュラスの顔色は真っ青で、唇の端が震えていた。

「そんな、」
「あの男は僕達の同胞だと謳い、マグル生まれを守らんとする愚かな魔法使いを殲滅すると言っていた。けれど違ったんだ、あの男は僕の大切な家族を弄んだ挙げ句に……」

 彼が家族同然に愛していた一匹のハウスエルフの姿は脳裏に久しい。名門の名にふさわしい純血名家たるブラック家の本邸にいるはずで、クリーチャーはそれを誇りに思っていたのに。

「僕はあの男に仕えていることが誇りだった。死喰い人として選ばれた時はなによりも嬉しかった。でも、僕は……クリーチャーが心配で。もう前のようにはきっと、戻れない」

 シリウスよりもずっと、レギュラスはとても繊細だ。マグルを毛嫌いする家族と上手くやりとりをする気もなかったシリウスと違い、彼は純血主義に染まり切った家族から愛され、家族を愛していた。それなのにもかかわらず、シリウスと自分は違うのだと言っていたレギュラスが行き着いた答えはシリウスがずっと持ち続けているものと同じであったことが少しだけ滑稽だった。

「……レギュラス、君はもう闇の帝王に従うつもりがないんだね?」

 レギュラスはその問いに答えることなく、けれど固い決意を秘めた瞳がまっすぐに僕をとらえる。

「アルカ、頼みがある。僕の代わりに僕の、僕達の家族を守ってほしい。僕はもう、」

 家族を失うことが怖いんだ。そうレギュラスはいつの間にか泣いていて、僕は思わず彼を抱きしめた。まるであの入学式の夜みたいだ、とどこか他人事のように頭のかたすみで考える。同じくらいの身長になったレギュラスはもう昔とは違い肩口に顔を埋めている。

「クリーチャーは確かに人間じゃない。けれど次はもしかしたらアルカかも知れない、両親かも知れない。ベラトリックスはあまり考えられないけれど、ナルシッサならそれもあり得る。……僕達は、家族なんだ。僕は家族を失いたくない。けれどもし家族を失ったら僕は、どうすればいいのかわからない。だから、」

 だから僕の代わりに守って。そう続けた声はひどくかすれて震えていた。

「……わかった、約束しよう。クリーチャーも、君の家族も、僕が守ると」

 ありがとう。そう言って彼は静かに泣いた。その姿はとても弱々しくて、自分が守るべき存在なのだと思い知らされた気がした。

 それが、レギュラスと会った最後だった。



 その日から数日後、クリーチャーが僕のもとへ現れた。クリーチャー、君は大丈夫かい。そう聞くことは僕にはできなかった。最後に見たレギュラスよりもクリーチャーは消耗しきっていたからだ。

「……アルカ、様」

 これを、そう言いながら彼が取り出したひとつの小さな試験管には粘性の高い鮮やかな深紅の液体が満たされていた。これがなんだかわからないほど僕は馬鹿ではないし、理解できないわけではないけれど、あまりにも現実離れした光景だった。

「レギュラス様が、こちらを、アルカ様へと。これがクリーチャーのレギュラス様からお受けした最後の仕事でございます」

 そう言われてしまえば、受け取らないわけにはいかない。それと同時に悟ってしまった。彼がもう亡いのだということを。

「……これ、は」
「レギュラス様から、アルカ様への手紙も預かってございます。まずはそちらを」

 そう言うなり、一通の手紙も渡してきたクリーチャーは最後にこうべを垂れたままその場から霞がほどけるように姿を消した。残されたのは、途方に暮れた僕だけだ。おそるおそる手に取ったそれを揺らしてみる。それはただの手に馴染むサイズの試験管だというのにずっしりとした重さがあった。中身はおそらく血だ。それもかなり新鮮なもののはずだ。もしくは、酸化防止の魔法をかけてあるか。おそらく後者だろう。それを受け取った僕がどのような行動に出るのか見届けることなくすぐに消えてしまったクリーチャーのことを思うと、レギュラスの意志の強さを感じずにはいられなかった。
 一緒に残された手紙、覚悟を決めてそれを開ける。きっとこれが、レギュラスの遺言になるかも知れない言葉。

 アルカへ。

 そんな書き出しで始まった手紙はとても丁寧な、けれども彼の癖がよくわかる文字で書かれていた。

 ――こんな形でしかあなたに伝えることができなくてごめんなさい。でも、どうか許してほしい。
 僕はきっと生きては戻れない。戻るもないから。
 僕は命をかけてあの男へ復讐をする。全ては僕の勝手でしかないし、本当はこの手紙を書いている今でさえ足が震えてしまいそうだけれど、それでも他の誰でもない僕がやらなくてはならないことだと思うんだ。だから、あなたを巻き込んでしまうことを何より申し訳なく思っている。
 クリーチャーがあなたに持ってきたのは、紛れもなく僕の血だ。本邸にはブラック家の当主と次期当主だけが入ることのできる部屋がある。もしかしたらクリーチャーに壊すように伝えて託したものがまだ壊さないでいるかもしれないから、その時はこの血を使ってそこに入って然るべき時が来るまでその部屋で保管してほしい。何度も出入りする時のために、僕の血も抜けるだけ抜いて同じ部屋に保管してある。必要な時は遠慮なく使ってくれ。こんなことを頼んでごめんなさい。それでも頼めるのはあなたしかいないと思ったんだ。
 最後に会ったあの日、あなたは僕の為すだろうことを理解して、それでも止めないでいてくれた。それがとても嬉しかったんだ。だから、必ずあなたは生きてほしい。そして、できることなら幸せになってほしい。
 今までありがとう。心の底から、あなたへの感謝を込めて。
 レギュラス・アークタルス・ブラック


「幸せになんて、なれるわけがないだろう、レギュラス……」

 ぽたりぽたりと僕の目からは涙が溢れていた。だって彼はもう帰ってこないと決めて、きっと彼の為すべきことを為したのだ。レギュラスがこうするだろうということは彼が訪ねてきた時から察していたはずだ。なのにどうして、こんなにも苦しいのだろうか。僕は君がいない世界でどうやって幸せになれるというのだろう。
 震える手から試験管が落ちてしまいそうで、なんとかテーブルの上にそれをそっと置くと、そのまま足の力が抜けてその場で崩れ落ちた。耐えきれずに嗚咽が漏れる。まるで幼子のように、声も抑えずに泣いていた。ひとしきり泣き疲れて涙もかわいてきて、ようやく手紙に二枚目があることに気がついた。そこには、一枚目の手紙よりももっと走り書いたような字で記されていた文字があった。

 追伸 僕の兄になってくれると言ってくれた時はとても嬉しくて、その行為につい甘えてしまった。情けない僕のために兄弟ごっこに付き合わせてしまってごめんなさい。本当は、あなたのことは兄だと思ったことはなかったんだ。兄のように思えていれば、それはそれでよかったのかもしれないけれど。けれどアルカは僕にとって、兄よりも大切な従姉妹だったよ。

 枯れてしまったと思っていたのに視界はまだ滲み、ぽろりとひとつ零れ落ちていくものがあった。
 最後にこんなことを言うのはずるいよ、レギュラス。僕だって、心の底からシリウスを押しのけて彼の兄になりたいだなんて思っていなかったけれどそれをひた隠しにしていたのに。
 どこまでいっても僕とレギュラスは、兄と弟にはなり得なかったのだ。

 「……レギュラス」

 返事はないと知りながら彼の名前を呼んだ。当然、返事は返ってこない。
 ぽっかりと空いた胸にあるのは喪失感だけで、そこには何も生まれることはなかった。ただ虚しさだけが、僕の中をぐるぐる渦巻いている。けれど悲しいだなんて言う資格は僕にはない。後押しをしたのは他の誰でもない僕自身なのだから。
 ふらりと立ち上がり、先ほどテーブルに置いた試験管を再度手に持つ。大事に、絶対に傷つかないようにと胸のあたりにあるポケットに確かにしまった。ぐいと目をこすり、他には杖だけを持ってその場で姿あらわしを行った。
 到着したのはしばらく目にもしていなかった本家の屋敷、グリモールド・プレイス十二番地。そして目の前には玄関扉の前で待つクリーチャーの姿があった。先ほど見た時はレギュラスのためだけの使いのものであったのに、もう今のクリーチャーはただの客人をもてなすハウスエルフだ。

「ご案内をいたします」

 そう言って恭しく頭を下げた彼は僕を見て少しも驚いたような素振りを見せない。そっと手を差し出してきたから、ためらうことなく僕の手をしっかりと重ねた。直後にぐるりと世界がひっくり返るような慣れた感覚が全身を包む。気づいた時には僕とクリーチャーは屋敷の中、ひとつの扉の前にいた。こんな場所に扉なんてあっただろうか、と首を捻ったが、確かにレギュラスは存在を知らなければ認知できないと手紙に書いていたからきっと最初からここにあったのだろう。

「旦那様は伏せっておいでで、奥様も旦那様についておられます。故意に大きな音を立てることがなければ邪魔にはならないでしょう」
「……御当主様と伯母上は、彼のことはどこまで知っている?」
「まだ、何も存じ上げておられません」
「そうか」

 レギュラスの血を数滴手のひらに垂らし、そのままドアノブを握って回した。がちゃり、小さく音を立てて扉が開く。ドアノブから手を離すとそこに血の痕跡は少しも見えない。
 部屋に入ると、そこはほんの少しだけ様子が異なる部屋だった。明らかに闇の魔術がかかわっているものや希少価値のありそうなものが何ひとつ厳重な扱いをされずに置かれている。ざっと目を通したところ純血の一族の血にどんな呪いが馴染むかなどという恐ろしいことが綴られた羊皮紙も束ねられることなく積まれていて、雑然としている部屋だという印象を抱いた。

「クリーチャー、レギュラスから託されたものというのはどれなんだ」

 手紙に書いてあったものの正体を僕は知らない。けれど、クリーチャーは心得ていたようでどこからかひとつのペンダントらしきものを取り出し、差し出した。

「これは……」
「……闇の帝王の、魂のかけらが込められたロケットでございます」

 本体はまるで蛇のようにエメラルドが「S」を形作るようにはめ込まれていて、チェーンまで純金で作られているだろうことがよくよくわかる、それはそれは高価だろうずっしりとしたロケット。それをしげしげと見つめていたけれど、クリーチャーの言葉に思わず投げ出してしまうところだった。なんとか取り落とさずにいられたが、これがそんな大層なものとは思わなかったのだ。

「クリーチャーは、これを誰の手も届かない場所に封印するために闇の帝王に利用されました。レギュラス様はこれを命をかけて奪い、クリーチャーに破壊するように命じられました。ですがクリーチャーはどうしてもこれを壊すことができませんでした……レギュラス様の命令を果たすことができないでいるのです……!」

 クリーチャーがそこら辺にある何かに頭を打ちつけるのではないかと思ったけれど、それでも当主夫妻のことをきちんと慮っているようでぐっと堪えていた。

「……そうか。クリーチャー、大丈夫だ。僕はレギュラスに、もしもクリーチャーが壊すことができなければこの部屋に保管するようにと言われているんだ。誰もこれに触れることがないようにね。だから僕に任せてくれないか?」

 クリーチャーは顔を上げて目を見開く。そしてゆっくりと目を瞬かせて僕の目を真っ直ぐに見据えた。

「僕もなんとかこれを壊すことができるように尽力しよう。これがレギュラスにしてあげられることだから」

 クリーチャーの目からは涙が溢れていたが、嗚咽を飲み込んでただ一言だけ、お願いいたします、と絞り出すように言った。

 クリーチャーはアルカよりも先に部屋から出て行った。もともと当主の看病を手伝っていた中でレギュラスからの命令のために抜けていただけなのだ。ひとり残った僕は、もうひとつこの部屋にレギュラスが残したというものを探したが、それは案外すぐに見つかった。部屋の床に置かれた大きな箱に隙間なくきっちりと並べられている試験管には、レギュラスが残したありったけの血が詰められている。これだけの量の血を抜いてしまうなんて歩くこともままならなかっただろうに、きっと彼は執念だけでこのロケットを奪ったのだろう。そっと箱の蓋を閉じて、ロケットを握ったまま部屋にある椅子に力なく腰かけた。

「……レギュラス、僕は君に何をしてあげられるのかな」

 ぽつりと呟いた言葉は誰にも聞かれることなく部屋に漂っては消えていく。これだけのことを為したレギュラスとは違い、僕はただ彼の背を押しただけ。僕自身は何もできず、一歩を踏み出そうにもどの方向に進めばいいのかわからない。そんな迷いばかりを抱えている自分がひどく情けない。
 頭では理解した気でいても、いまだにレギュラスの死を受け入れられていないのか、それとも受け入れたくないと思っているのか。きっとどちらもなのだろうけれど、踏ん切りがつくにはまだまだ時間が必要だろう。
 ふと時計を見ればもう日も沈みかける頃だった。クリーチャーが僕をここに連れてきたのはまだ太陽が高い頃だったはずなのに。これ以上は当主夫妻に見つかる可能性がある、さすがに帰らなければ。重い身体を持ち上げて立ち上がり、ここに入る時に使った一本目の試験管を取り出すとまだ数滴分しか使っていなかったからか、血はほとんど残っている。けれど念には念を入れて二本目も持っていくことにする。それらをポケットに入れ、そっと部屋の扉を開いた。どうやらこの部屋では姿くらましの魔法が再現されているようだからだ。
 廊下には誰もいない。オリオンよりも注意すべきはヴァルブルガだ。しかしその姿は見えず物音もしなかったため、後ろ手に扉を閉めながら廊下に滑り出た。用心深く足音を消し階段まで行くと、下の階から声が聞こえてきてぴたりと足を止める。

「クリーチャー、レギュラスはどこに行ったのかしら。この数日姿を見ないのだけれど。どこにいるのか早く探し出しなさい」
「奥様……はい、仰せつかりました」
「父の死に目かもしれないのよ? それにたったひとりの息子のあの子の顔を見せてやらないと、あの人はさらに弱ってしまうわ……」

 ひやりと何かが背を伝った。僕とクリーチャー以外の誰もレギュラスの死を知らない。特に当主のオリオンは若くして伏せっていて、ヴァルブルガもオリオンの世話で心身共に疲弊していたはずだ。そんな中でレギュラスが屋敷中の誰もが知らぬ間に死んだとしたなら。彼の死に目に会えず、それこそオリオンの死に目に会わせてあげられないのだと知れば、彼らは本当に発狂してしまうかもしれない。僕はそっと、けれども急いで踵を返して再び当主の秘密の部屋に戻った。閉めたばかりの扉にもたれかかり、俯いて瞳だけをゆらゆらとさまよわせる。
 彼らにレギュラスの顔を見せてあげたい。オリオンもヴァルブルガもアルカの実の親では全くないけれど、本家筋云々をなしにしても大事な家族だ。彼らの憂いを取り除いてやりたい。なにか、何かできることはないだろうか。何でもいい、なにか、

「あ……」

 ふと、視線の先にあった羊皮紙、その内容に吸い寄せられるように近づいた。床に乱雑に放置されたそれはなんらかの魔法研究の結果を取りまとめたものらしい。どうしてこれに気を取られたのかもわからないまま上から順に読み進めていき、そうして全てを読み切ってから僕が求めていたのはこれだと気づいた。
 これは、対象とする人の血液を用いた変身の魔術についての研究だ。古式ゆかしくも魔法陣の作成が必要になるが、その上に血液を一滴垂らして呪文を唱えるだけでその人物に数日間もの長い間変身できるというのだ。まさか、こんなに画期的な魔法があればコストも時間もかかるくせに燃費の悪いポリジュース薬なんて不要になってしまうだろうに。けれど確かに他人の髪の一本よりも血液を採取する方が格段に難易度は高い。その他にもいろいろな理由で世に出ることが叶わなかった魔法なのだろう。
 ──僕には、天の助けにも等しい魔法だけれど。
 魔法について記された長い長い羊皮紙を抱え、先ほどのように部屋を出て、今度は迷わずに姿くらましで自宅へ戻る。ご丁寧にも魔法陣の作成方法や呪文について書かれていたから、実行にうつすのは容易だった。この魔法が間違っていても、僕はこれに縋るしかないから躊躇なんてできないから。
 結果として変身魔法は無事成功して、その部屋に立っていたのは僕ではなくレギュラスそのものだった。何度も鏡を見ては頬を触り、髪の毛を引っ張ってみてようやく実感した。

「やった……」

 思わず呟いた声もレギュラスの声色で、なんだか変な気分だ。さっそくグリモールド・プレイスに戻ろうとしてはたと気づく。服はどうしようか。けれど僕の私服はもともと成人後もそのまま男物で、レギュラスが着ていても全くおかしくないものだったからもう面倒なのでそのままにする。杖は……折ったことにして後日準備しようか。とりあえず、このまま早めに本邸へと戻ることにした。
 きっと僕がレギュラスとなることは宿命なのだ。いや、レギュラスが僕の口調を真似したのか、それとも元来の性格だったのかはわからない。それでも、男のような見目と身のこなし、それに言葉づかいを昔からしていた僕にとってレギュラスの真似をすることはとても容易い。

「母上、」

 本邸へ足を再度運んでそう声をかければ、輝いた顔のヴァルブルガと呆然とするクリーチャーの姿が目に入った。先ほどクリーチャーは今と同じ服装の僕……否、アルカの姿を目にしているから、中身についてはすぐに思い当たるだろうけれど、心から驚いているように見える。完全に僕をレギュラスだと思っているヴァルブルガは喜色を満面に浮かべているのと比べると真逆の反応だ。

「ああレギュラス、やっと帰ってきたのね! どこへ行っていたの? いえ、そんなことよりも、あなたのお父様がとても体調を崩しているの。早くあなたの顔を見せておあげなさい」

 ヴァルブルガは興奮しているようで、早口で言いながら手を引いて歩き出す。その力は強くて少しだけ痛みを感じたけれど、それを口に出すこともなく黙ってついていくことにした。
 通されたのはオリオンの部屋で、そこにはすでに部屋の主がいた。ベッドに横になる彼は、僕を見ると目尻を綻ばせる。

「ああ、レギュラスか。随分と久しい気もするな」
「父上、お身体は大事なのですか」
「心配はいらない。だが、私の後はお前が立派に継いでくれるのだろう。安心しているんだ」

 そう言って彼の父は優しく頭を撫でた。あの厳格な当主の姿とは裏腹にそこにあるのはひとりの父親の姿でほんの少し動揺してしまうけれど、何とかそれを押しとどめる。

「いけませんよ。まだレギュラスはホグワーツを卒業したばかりなのですから、あなたが当主としての手本を見せないと」

 この歴史ある家の本筋にもかかわらず、どこにでもありそうな普通の幸せな家族の光景。本来あるはずの長男の姿がなく、次男も偽物だけれど、はたから見ればそのものでしかない。それを、物悲しい表情を浮かべたクリーチャーだけが見ていた。
 オリオンはその後本当に息子の姿を見て安心したのか容態が安定し、今はは穏やかに睡眠をとっている。僕はオリオンがどのような状態であるかを知らないが、たびたび苦しそうであったらしくこんなに穏やかに眠れているのは久しぶりらしい。僕はといえば、にこにこと笑みを浮かべるヴァルブルガに見つめられながら夕食をとり、食べ終わるとすぐにレギュラスの自室へと向かった。
 そこには予想通り、クリーチャーの姿があった。

「どうして、そのようなお姿になってしまわれたのですか……アルカ様」
「クリーチャー、そんな悲しげな顔をしないでくれ。僕が望んだことなんだ」

 僕はクリーチャーに説明した。あのままレギュラスが戻らなかったらオリオンの体調もヴァルブルガの心労も、そしてこのブラック家の存続すら危ういのだと。そのためには僕自身がレギュラスとなることが最善であったのだと、よくよく言い聞かせた。

「だって、レギュラスが死んでアルカが生き延びているよりも、アルカが行方知れずとなってでもレギュラスが生き延びた方がいい。そうだろう?」

 その時のクリーチャーの顔を、僕は覚えていない。けれども、最終的に僕とクリーチャーはレギュラスの死というトップシークレットを秘匿する共犯者となったのだ。

 その後、本当に僕は公私ともにレギュラスとして生きることになった。あの後もすぐに姿を消すわけにはいかないし、長くレギュラスとしていればいるほど当主としての責任と仕事を任されたからだ。レギュラスの姿をしていても結局のところ僕は男にはなれなくて、直系の後継もきっと作れない。だからこのブラック家の最後が僕ひとりになるまで、僕はレギュラスであることにした。僕がレギュラスとなってからしばらくしてシシーが訪ねてきたが、行方不明になったアルカの所在を知っているかと聞かれても僕は知らないと答えるしかない。できるだけ本当のことは教えない方がいいと思ったからだ。シシーにはばれてしまうかとも思ったけれど、最終的にシシーは何も不審に思うことなくマルフォイ邸へと帰っていった。僕が住んでいたあの家も、隠すべきものは全て無くしてきたからどれだけ探知しようとも何も出てこない。数年も経てば失踪宣言が下されることだろう。
 一回一滴しか使わないレギュラスの血も、数年もたてばたくさんあったはずの試験管の半分以上が空になっていく。全ての試験管が空になるその前に全てを終わらせなければいけない。ただ僕がレギュラスになって一年後にオリオンが、六年後にヴァルブルガが逝去し、彼らが死ぬまでレギュラスの死に気づかなかったことは幸いだ。レギュラスの死を知り失意のうちに亡くなるほど彼らにとって不幸なことはないだろうから。
 家主が僕となってから本邸の肖像画は全て撤去し、その他にも不要なものは親戚達に渡していく。ただシリウスとレギュラスの部屋だけはそのままにしているけれど。この邸は僕の死に場所で、棺桶には花以外は不要だから。けれどもあのスリザリンのロケットもずっと壊せないままで、僕が死ぬまでには破壊するつもりだったけれどそれも実行できそうもない。誰かに渡すなんてもってのほかだ。

「クリーチャー」
「はい、レギュラス様」

 クリーチャーも、もう僕のことをレギュラスと呼ぶことに慣れたようだった。それでも僕は僕自身のことをレギュラスと混同するなんてことはできずにいる。
 世間ではグリンデルバルドと闇の帝王に次ぐ凶悪犯罪者のシリウス・ブラックが脱獄したことで持ちきりで、それ以外ではハリー・ポッターの話題がたびたび上がる。彼もきっと僕と同じように宿命を背負っているのだ。闇の帝王を葬るという宿命が。

「僕はあれをハリー・ポッターに渡すよ。きっと彼が闇の帝王を討ち果たす存在であるのなら、いずれ僕にたどり着く。彼ならば僕が壊せなかったあれを破壊できるだろう」

 その後は、よろしく頼むよ。その言葉に、クリーチャーは深く頭を下げた。

「……かしこまりました」

 その後、レギュラスは公式に死んだことにした。もうあのロケットをハリー・ポッターに渡すこと以外に僕の存在意義はいらなかったから。


 そうして、その日が訪れるよりも先にシリウスが本邸へとやってきた。なんでも、闇の帝王に対抗する不死鳥の騎士団なる存在の本部をここに置くためだとか。

「……レギュラス? いや、お前レギュラスじゃないな? 誰だ」

 一目見るなり死んだとされているレギュラスが生きていることに瞠目し、けれども僕が本物のレギュラスでないことをすぐに看破したシリウスに思わず笑ってしまった。訝しげな視線を送ってくる彼に、僕は言った。

「久しぶりだね。従姉妹のことを忘れてしまったかい」
「お前……アルカ?」

 ご明察、と笑うと彼は困惑げに眉を寄せ、ため息をこぼす。

「……レギュラスは、どうした」
「さあね。僕は彼から頼まれごとをされて、ここにこうしているだけだ」

 僕の方がレギュラスと兄弟のようだとあれほど言われていたのに、蓋を開けてみれば全く違うじゃあないか。ずるいな。心の中でそう呟いてからまっすぐに彼を見つめる。

「この邸は別に勝手に使って構わない。元は君の持ち物になるべきものだ。僕の独断でうるさい肖像画もなくしたからね、昔ほど居心地の悪さを感じる場所ではなくなっていると思うよ。……ただ、秘密の部屋だけは立ち入らないでほしいかな」
「秘密の部屋……あそこか。何を隠している?」
「レギュラスから託されたものさ。それさえどうにかできれば僕はここから出ていくよ。もとからそのつもりだから」

 そう、あのロケットさえどうにかできれば僕は本当に死んでも構わないのだ。それを目の前の彼には言わないけれど。

「それまではただの幽霊だと思ってくれて構わない。そもそも僕もレギュラスも公式には死んでいることになっている。そもそも僕は死喰い人ではないし、逆に彼らにこの姿の僕がばれたら逃げ出した裏切り者として殺されてしまうからね。どうだい、文句はないだろう」

 顔をしかめたシリウスは、一度屋敷に入る前に帰りダンブルドア達と話し合ったらしく、後日再度邸を訪ねてきた。それも、不死鳥の騎士団の団員を複数人連れて。中には闇祓いもいたが、彼に伝えた通り僕は死喰い人ではなく、闇の魔術に関わるものも当主の部屋以外にあるもの以外はとうに処分しているからどれだけ探ってくれて構わない。
 団員みなにひとしきり説明して、けれどシリウスは僕がレギュラスの姿をとってここにいたことは伝えなかった。どうしてかはわからないけれど、シリウスはシリウスで思うところがあるのかもしれない。ただ、代わりに僕はレギュラスからアルカに戻ることになった。シリウスが紛らわしいのだと言えばそれまでだし、外には出ないからいいのだけれど。
 そうして、この屋敷は賑やかになった。クリーチャーは愚痴ばかりをこぼしていたけれど、レギュラスの半壊を遂げるためだとなんとかなだめて落ち着かせた。団員もその子供達も僕のことを探りはしたが、たまに秘密の部屋に入っては所在がわからなくなる僕のことを本当に幽霊のようだと思っている節があるらしい。ハリー・ポッターも同じように僕のことを不思議な存在のような視線を送ってくる。けれど、まだあのロケットは渡せない。今の彼にはまだ早い。

 シリウスが死んだ。ベラに殺されたらしい。ハリー・ポッターは僕がベラの妹だということを知ってからシリウスを殺したかのように睨みつけてきては、友人のハーマイオニー・グレンジャーにたしなめられていた。まだロケットは渡せない。今の彼にはまだ早い。

 ダンブルドアが死んだらしい。あの死にそうになかった大魔法使いが死んだなんて信じられず、僕のように死んだことにしたのかと思ったけれどどうやら違うらしい。その訃報が届いてからこの屋敷は重苦しい空気で満ちている。まだロケットは渡せない。今の彼にはまだ早い。



 どたばたと騒々しい音がして、その音の在処である玄関へ向かうとそこにはハリー・ポッターがいた。ついでに友人ふたりも一緒だ。

「あ、アルカ・ブラック……」
「やあ、久しぶりだね。セブルス避けが作動したようだから侵入者かと思ったけれど……君達ならば問題はないよ。ゆっくりしたいならばするといい」
「アルカ、ここに他の人はいるかしら?」
「誰もいないよ。クリーチャーと僕だけだ」

 中に三人を招き入れて、その晩は客間に彼らを寝かせることにした。寝る前のハリーはなぜか怒っているようだったから何も言わなかったけれど、翌日には伝えようと決めた。今の彼になら、ロケットは渡してもいいと思ったから。
 翌朝、耳に入ってきた物音に僕は目を覚ました。大方昨晩の客人だろうが、もしも侵入者であれば困る。すぐに部屋を静かに出ると、物音はシリウスの部屋から聞こえてきた。そっと扉を開けると、ベッドに腰掛けたハリー・ポッターがひとりで手紙を読んでいた。きっと誰かからシリウスへ宛てたものだろう。ハリーの泣きながらも懐かしそうな顔を見ると声をかけるのを躊躇うが、それでも僕はこれを渡さねばならない。

「ハリー・ポッター」

 努めて静かに声をかけると、びくりと肩を跳ねさせながらふたつの緑の瞳がレンズ越しに僕を見つめた。

「驚いた……僕に、何か?」
「君に渡さなければならないものがあるんだ。取り込み中で申し訳ないんだけれどね」

 これを、と長らくあの部屋から出していなかったロケットを取り出して差し出すと、飛び出しそうなほどに目が丸く見開かれた。

「これ、どうして! どうしてあなたが持っているんだい!?」
「ずっと持っていたんだよ。それでずっと君に渡したかった。やっと渡せたけれど、君はこれをどうすべきなのか知っている?」

 やはり僕の見込みは間違っていなかったらしい。ハリー・ポッターはわたわたと僕とロケットを交互に見ていたが、ふと何か思い至ったことがあったようで、急に部屋を出て階段を急いで下っていった。きっともうホグワーツ外でも魔法は解禁になっているだろうに、それに気づかなかったらしい。特に待っていろとも何も言われなかったけれど、とりあえずそのまま一分ほど待っていると階段を急いで上がってくる音が聞こえてくる。少しペースが落ちつつあるのは疲れからだろう。

「ハリー、一体どうしたの?」
「まだ朝だよ……」

 寝ぼけ眼の友人ふたりも後からゆっくりと上がってくるが、ハリー・ポッターはそれどころではないようで興奮したように僕に詰め寄る。

「アルカ、これを知ってる?」

 ハリー・ポッターが握り締めていたのは、僕が手に持っているロケットとよくよく似ているものだった。同じ純金のチェーン、光を反射して輝くロケット。色合いは僕の持っているものよりもわずかにくすんでいる。ただ、明らかにSを描くエメラルドだけがそこにはなかった。

「それは……」
「例のあの人の魂の一部がこもった分霊箱、の偽物だ。この中にはR.A.B.という人物からの手紙が入っていたんだ。偽物と取り替えて、本物は壊す予定だって」

 その、イニシャルを僕は知っている。は、とこぼした息が震えて変な音に聞こえた。ぽろりと一粒、こぼれ落ちたものが涙であると気づくのにも時間がかかるほど、僕の頭は凍りついてしまっていた。

「アルカ……?」

 レギュラスだ、レギュラスの手紙がそこにあるのだ。彼が僕に宛てた最後の手紙は読むたびに悲しくなってレギュラスの仮面がはがれてしまいそうになるからもう最近は読み返してすらいなかったけれど、彼が最後に一矢報いたその証がまさに目の前にある。

「……知っているよ、その人物を。僕も、その人からこれを託されたから。だから、交換してくれないだろうか。そのロケットと、僕の持つロケットを」

 その提案は快諾され、現在僕の手にはレギュラスが残したロケットがある。ハリー・ポッターと友人はすでにこの邸を発っていた。ここではあのロケットを壊すことができないらしい。けれどもきっと彼らならば破壊してくれることだろう。
 十七年前にレギュラスから任されたあのロケットはどれだけ力を込めようとも魔法をかけられようとも開かなかったのに、偽物のこのロケットは呆気なく開いた。そうして出てきたのは、手のひらに収まってしまうくらいの本当に本当に小さな手紙。
 中身を読むことはせずとも書かれていることが何かわかってしまって、また視界が滲む。
 手紙は少しずつ、ゆっくりと読んだ。こんなにも小さな手紙を読む覚悟を決めてから読み切るまでに何時間もかかっていて、その間ずっとクリーチャーは黙ってそばにいてくれた。

「クリーチャー、このロケットはハリー・ポッターが譲ってくれたんだ。レギュラスが、最後にあの洞窟で闇の帝王への裏切りで残したものだって」

 手紙は抜いて、残ったロケットはクリーチャーへと渡そうとした。けれどこのロケットはこの屋敷に置いておくべきものだとクリーチャーは譲らず、結局ロケットは客間に置いておくことになった。もう誰も訪ねてこないだろう客間、その飾り棚に。かつてこの家に勇敢な男がいたという証として。もしも僕がいなくなってしまえば金目のものとして泥棒がこれを持っていってしまうかもしれない。これを残しておくためにはやはり管理する人間が必要で、まだ僕は生きていなければならないらしい。

 家主である僕は、たまに無人の客間に入ってはソファに腰掛けてそのロケットを見つめる。家風に反し己のプライドを捨ててまで、かつて敬愛していた男に逆らい彼を滅ぼす一端を担ったレギュラスはその名の通り恒星のような生き様だと僕は思った。この短くも煌々とした人生はきっとこのブラック家の全ての歴史、どの財産よりも輝かしいものであり続けるに違いない。
 対して僕はどうだろうか。彼の意思を受け継いで、この十七年もの間レギュラスとして生きてきた。……本当は、レギュラスに成り代わるなんてことを彼自身が望んでいないとわかっている。それでも僕はこの人生をやり直せるとしてもなお同じ道を選ぶだろう。あの一等星を模倣する人生を。

「レギュラス、結局僕は君の兄にはなれなかったよ」

 僕は君や君の本当の兄のような、光り輝く星のようにはなれないんだ。

タイトル:tragic

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