「人間なんて滅んでしまえばいいんだわ。そうは思わない? ミスター・スキャマンダー」

 その少女は、人間以外の動物を愛していた。そして、人間が嫌いだった。



 始まりはあたたかな、外に出るには絶好の日にニュートが愛する魔法生物達の世話をしていた時。
 ホグワーツの教師達に知られないように、たった一人小さな部屋で魔法生物達を世話していた。誰かに知られればきっと眉をひそめられ、いつしかうわさがばらまかれ、そしていつかは魔法省の役人達の耳にうわさが届き、彼らはこの魔法生物達を管理しに、いや殺しにくるだろう。なんとしても秘密にしなければ、と別の寮でありながら同じ外れものの友人以外にはばれないようにしていた。

 そんな秘密の場所で餌をやっている時に、たった一人の招いていない客が入り込んできたのには驚いた。その日は授業が休みで、他の生徒達はたった今ホグズミードを満喫している真っ最中のはずだからだ。

「ミスター・スキャマンダーかしら? これは一体どういうこと?」

 その女子生徒のことをニュートは知っていた。どうしてかはわからないが、彼女もニュートのことを知っているようだった。
 アルカ・ロイド。マグル生まれの魔女だ。純血のスリザリン生達が彼女に対してその血を笑っていたのを、彼女自身は意にも介さずに平然としていたのをニュートは知っている。
 彼女はいつもひとりぼっちだった。だがそれを寂しがっている様子はない。なぜか自分以外の魔法使いが嫌いなようだった。たった一人、ダンブルドア教授のみ嫌っているそぶりは見せなかったから、きっと教授のことだけは嫌っているわけではないのだろう。きっと好いているわけでもないだろうけれど。
 素直に感情を顔にあらわす彼女はまわりの魔法使い達を厭い、そうして周りからも厭われていた。そして彼女自身は厭われていることをよしとしているようだった。

 彼女がなぜニュートのことを知っているのかはわからない。しかし、それよりもこの魔法生物達を見られてしまったことをどうにかする方が先決だ。
 魔法生物は今、飼育してはならないという法律がある。ニュートにしてみれば誰だか知らないがなんとまあ根拠のない自分勝手な法律を作ってくれたものだと思っているが、それでも法律は法律だ。彼女が誰かに告げ口などしてしまえば、この子たちは殺処分されてしまう。それだけはなんとしてでも避けたい。

「ええと、あの、」

 言い訳をしようにも言葉がなかなか出てこないニュートに対して、アルカは特に気にすることがないらしい。魔法生物達を見回して、彼女の方から言葉が放たれた。

「このかわいい子たちはあなたが世話をしているの?」

 何を言っているのか、すぐに理解することができなかった。
 ニュートは自分自身が魔法生物達を愛していることをおかしなことだとは微塵も思ってはいないが、他の魔法使い達からはその考えが受け入れられないだろうことはよくよくわかっている。友人のリタのみニュートがここで何を飼っているのか知っているが、ニュートもリタも変わり者同士だからそれを許容してくれているのだと思っている。だからこそ、彼女の反応は全くもっておかしなことなのだ。
 彼女のヘーゼルの目は部屋の中に所狭しと置かれている魔法生物達を映してきらきらと輝いている。青、赤、緑、多くの色を映す瞳はまるで火蟹の甲羅のようで思わずどんな言い訳をしようか考えていたことも綺麗に吹っ飛んでしまった。

「そ、うだよ。僕が、ここで、世話してる」
「この子は何という動物なの? マグルにも知られている動物ではないのよね?」
「ああ、ボウトラックルだよ。野生では木の枝に擬態しているから、マグルの世界にいる枝に似た虫と間違われることもあるけど別物だよ」

 人と話をするのは得意ではないけれど、魔法生物のことなら多少は話せる。ニュートは、途端に自分が饒舌になってしまったのがわかった。今まで魔法生物の話なんてたった一人の友人くらいにしかできなかったから、こんなにも饒舌になるのだと初めて知った。
 魔法生物でなくとも、虫を好む女性はほぼいないと言っていいくらいに少ない。男性だって、子供の頃はともかくとして自我の育った学生にもなれば触りたくもないと思う者が大半だろう。純血の貴族なら、視界に入っただけで失神してしまうかもしれない。
 それなのに彼女はボウトラックルを見ても顔を歪めることはなく、興味津々といったようにポケットに収まるサイズのニュートの友を見つめている。ニュートに見られている時は何でもない様子なのに、彼女に見つめられているピケット──そのボウトラックルはニュートの手に隠れてしまう。見慣れない彼女を怖がっているのではなく、どうやら照れているらしい。
 マグル生まれの彼女は成績も悪くなく、魔法生物に関する馬鹿げた法律もきっと知らないはずはない。魔法生物に寛容というよりも、その態度はむしろ。

「君は、魔法生物が好き、なの?」

 馬鹿らしい期待なんてするな、という自己防衛と、それでも抑えきれないほんの少しの期待が入り混じって、何気ない風を装った質問の声はどうしてもうわずってしまった。でもそんな自己防衛は杞憂でこちらを向いた瞳には、開心術なんてかけなくても明らかな愛が満ちていた。

「ええ、愛しているわ」

ふわりと花が開くような、屈託のない彼女の笑顔を見て、彼女も笑うことができるのか、と思ってしまった。同時に、彼女の声が不死鳥の鳴き声のように可憐な響きであることも知った。
 そして理解する。彼女は動物を心の底から愛しているのだと。人間がその笑みを浮かべさせることはきっとできないのだと。





 彼女はよくニュートが魔法生物の世話をしている部屋に来た。放課後にニュートがそこへ訪れた時には既に彼女がいる、なんてこともあるくらいだ。
 あの日出会った瞬間から、彼女はニュートの犯している罪を知っていながら、共犯者になった。理由はただひたすらなまでの生き物たちへの愛だ。

「この子は瓶から出してあげないのかしら? 狭いところでかわいそうよ」
「オカミーは入る場所の容積に合わせて体の大きさを変えるんだ。瓶から出したらこの部屋いっぱいに大きくなってしまうよ」
「あら、それだと他の人に見つかってしまうからしょうがないのね」
「もともとオカミーは狭いところが好きなんだ。だからこの瓶の中ではこのサイズが居心地がいいんだよ」

 寮の異なるアルカとの生き物たちを挟んでの距離は、瓶の中のオカミーまではいかないがなかなかに居心地の悪くないものだった。彼女のまっすぐな視線の先にあるのは魔法生物たちで、言葉を交わすことはあれどやはり魔法生物に関することばかりで、時折マグルの世界の動物についても聞くくらいだ。
 お互いの視界に互いはいても、干渉し合わない。無害な存在であることをニュートが真に感じたのとほぼ同じくらいの頃に、アルカもペン先に滲むインクほどではあるがニュートへ心の内を言葉にするようになった。

「私は動物が好きよ。だから動物を脅かす人間は嫌いなの」

 それがニュートへ向けられた言葉なのかはわからなかった。彼女の視線の先にいるのはニュートではなかったし、そのささやきは人ひとり分のスペースを空けた場所にいるニュートに辛うじて聞こえた程度の小ささだ。けれどその部屋にはニュートしかいなかったのだから、きっと自分に向けて言ったのだろう、と解釈した。

「人間は娯楽のために生き物を互いに殺し合わせて、時には自分勝手に愛でて、そうして飽きたら処分するの。全くもって身勝手な話だわ。人間だって生き物であることには変わりはないのにね。まるでこの世界は人間だけのものであるかのように振る舞うのよ。……人間のせいで動物達が犠牲になるのなら。それならいっそ、人間なんて滅んでしまえばいいんだわ。そうは思わない? ミスター・スキャマンダー」

 鈴のなるような声で紡がれるのはあまりに過激な言葉で、思わず彼女の言葉を聞き間違ってしまったのではないかと思ってしまいそうだった。彼女がニュートの名前を呼んだのはニュートの秘密の場所が彼女に知られた日以来だったが、どうやら彼女の中でニュートは魔法生物を愛する同士で共犯者として、きちんと人間として存在を認識されているらしい。

「それは、誰にも言ってはいけないよ」
「あなた以外の誰にも話したことはないわ。誰も私と話なんてしないもの」

 彼女のその言葉は他の誰かに聞かれたら危ないものだ。この場には二人しかいないのに、ニュートの返す声は必要以上に小さくなってしまった。

「もちろんそれを実行になんて移しはしないわ。人間を滅ぼすにはとてつもない時間と労力が必要だし、私一人でどうにかできることではないと知っているから」

 どうやらニュートが危惧した事態にはならないようだが、それでも彼女の思想は危ういものであることに変わりはない。

「でも、私の言っていることをあなたはわかるでしょう?」

 しかし、彼女の言っていることも確かにニュートには理解できてしまうのだ。
 人間はこの世で最も強く、恐ろしい生き物だ。現在の魔法使いが魔法生物を『駆除』することを考えれば魔法使いの方が脅威なのだろうが、皮や角、牙を得るために殺戮を続け絶滅に追い込むマグルもさして変わりはない。魔法生物や動物達のためを思えば、確かに人間はいなくなった方がいいのだろう。

 アルカ・ロイドの言葉に、ニュートは何か返さなければと口を開いた。







「ミス・ロイド。きっと人間の滅びを楽しみに待つよりも、もっと君が愛する彼らのためにできることがあるんじゃない、かな」

 しかし、ニュートには彼女ほどの人間への嫌悪は抱いていない。彼女が言っていた通り、人間も動物の中の一つの種族だからだ。きっと人間がいなくてもこの世界の生き物達は何事もなく生きていくのだろう。だが、ニュートは知っている。動物達の全てが人間への憎悪を持っているわけではないということを。

「あら、私にできること?」
「僕は、どうにかしてこの子達がただ危険なだけの生き物じゃないってみなに広めたい。本当はこんなにも美しくて、気高くて、可愛らしい存在なんだって、どうにかして認めさせたいんだ。だから、君は動物達の保護活動をすればいいんじゃないかな」

 ぱちりぱちりと目を瞬かせた彼女は、そんなこと全く考えてもみなかったという風な顔をしていた。

「……私がそんなことをできるだなんて考えたこともなかったわ」
「僕だって、こんなことを言うのは初めてだよ」

 けれど、君ならそれを成し遂げることができるだろう。ニュートの言葉は心からのもので、どうかアルカにこの感情が届けばいいと思った。
 アルカはテロリストとして名を馳せるにはもったいない。動物を愛する者として有名になる方がずっといいと、そんな思いが届けばいいと。






 そんなことを、ニュートは何ひとつ口に出すことはできず、ただそう言葉をかけて、そう返事がもらえればいいと、それだけの妄想だったのだけれど。
 人間など滅んでしまえ、そう言ったアルカにニュートはそれを食い止めようとすることはできなかった。開いた口は息を吸うのみで、何の言葉も出てこなかった。

「何を言おうとしていたの?」
「……いや、なんでもないよ」

 おかしな人ね、とくすくす笑った彼女のその顔を見ることができたのは、後にも先にもこれきりだった。




 その後ニュートが紆余曲折を経て己の夢を叶えた後もアルカとは何ひとつ連絡すらとっていない。彼女が結婚したのか、そもそも生きているのか。そんなことすら知らないニュートは、ふとした瞬間にアルカ・ロイドというかつてのホグワーツの女子生徒のことを思い出す。

 彼女が望んだのは、人間がいない動物達の楽園。その夢を確かに抱いていた彼女が今はもうどうしているのか、ニュートは知らない。
 ただ、きっと今でも動物を愛しているのだろうと信じている。

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