※人体欠損描写あり




彼女と僕は目的を同じくする共犯者だった。

「きっと様々な仕掛けがこの先に潜んでいる。私が先行して罠の対応をする。レギュラス、君はなによりも優先して分霊箱をすり替えるんだ。それが終われば、さっさとこんなところから逃げ出そう。いいね」

あの男への仕返しに彼女を巻き込んでしまった自覚はある。しかし、もう僕も彼女も後戻りはできないところまで来てしまった。
五体満足の僕と違って、右腕と両足の爪、左目に味覚と嗅覚、そして内臓のいくつかを失った彼女はもはやいつ身体の稼働寿命がきてもおかしくない状態だ。本当なら彼女はこんな場所についてこないで欲しかったのに、一生のお願いだと言うものだから、こうして一緒に連れてきてしまった。



ホグワーツに入る前から彼女のことは知っていた。純血の貴族同士の繋がりはそれなりにあり、僕が五歳の時に兄と一緒に顔合わせをしていた。ちょうど兄と同い年の彼女は兄の婚約者候補で、父と母は兄と結婚させるつもりで顔を合わせたのだと思う。兄は彼女に何の興味も持たず、あちらも同じような反応を返していた。兄のおまけで連れてこられた僕も、彼女には兄の婚約者候補であるという以外に思うところも特になく、一応兄の婚約者になる人なのだからと名前と顔を照合させるだけだった。
兄がホグワーツに入学し、スリザリンではなくグリフィンドールに組み分けられたことを知って母は半狂乱、父もいつもは冷静沈着であるがその時ばかりは苛立ちを隠し切れていなかった。彼女はスリザリンへ組み分けられ、ホグワーツで兄との接触は皆無だったらしい。それを知ったのは僕がホグワーツに入学してからだった。無事スリザリンへ組み分けられた僕へ、最初に声をかけてきたのは従姉妹の婚約者であるルシウス・マルフォイだったが、二番目に話しかけてきた先輩は彼女だった。

「君はちゃんとスリザリンへ入ったんだね」
「それ以外の選択などありませんから。それよりも、どうにかしてシリウスに考え直してもらわないと。シリウスが考えを改めさえすればスリザリンに寮を変更だってどうにかしてできるはずです。アルカさん、あなたからもシリウスに言ってくれますよね」

この時の僕は、まだ兄がポッター家の長男におかしなことを吹き込まれただけで、こちら側に戻ってきてくれると思っていた。兄がホグワーツに入学する前からブラック家の考えを受け入れることがどうしてもできず誰にも相談などせず悩みに悩んでいたことを知らなかった。そこにジェームズ・ポッターが一つの回答へたどり着くヒントを与えただけで、シリウスの選択が彼自身の意志であったことを知らず、考えても見なかった。
しかし彼女は何となくそれを知っていたらしかった。この一年間兄を見てきて、彼女が出した結論だったのかもしれない。

「無理だよ。彼が彼の選択を変えることはない。私達の声は彼にはもう届かない」

その言葉を聞いて、僕が彼女に感じたのは失望だった。ホグワーツに兄と彼女が入る少し前から二人は婚約していた。彼女は兄に最も近しい場所になるはずだった人なのに、どうして諦めてしまうのか。確かめもせずに最初から決めつけてしまうなんて、彼女にとって兄はどうなろうが知ったことではなかったのか。

「そうですか。あなたがそう思うのなら、あなたの中ではきっとそうなんでしょう。でも、僕はそうは思わない。あなたが何もせずに最初から諦めていても僕は兄を連れ戻します。兄を見捨てたあなたと、僕が話すことはもうないでしょう」

彼女に抱いた失望はすぐに怒りに形を変えた。家族になるはずだった彼女が裏切ったのだとさえ考えてしまった。彼女は兄を僕達よりもずっと理解していただけなのに、僕は僕に都合よく目の前の現実をねじ曲げていた。そうして自分勝手に怒りを向けて、彼女を憎んだ。
彼女の言っていたことが正しかったと知るまでに季節がいくつか過ぎ去った。学年が一つ上がる頃には、僕自身シリウスへ話しかけることはなくなっていた。それは僕が諦めてしまったのと、シリウスが僕をことごとく無視するようになったからだ。ジェームズ・ポッターはシリウスに無視される僕を見て笑っていた。リーマス・ルーピンは何か言いたげに僕をちらりちらりと見てはくるけれど、結局彼が僕に話しかけることはなかった。リーマス・ルーピンが何を話したかったのかは、兄が家を出ていった時には何となくわかっていた。きっと、現実をちゃんと僕に伝えたかったのだと思う。きっと、シリウスに無視される僕を哀れんでもいたのだろう。哀れみの視線はひたすらに鬱陶しくて、ジェームズ・ポッターと同じくらいにリーマス・ルーピンのことも僕は嫌いだった。




「あの時は申し訳ありませんでした。何も知らないで、僕はあなたに勝手な怒りをぶつけていた」

彼女に謝ることができたのは、僕と彼女が死喰い人になった後だった。その頃には僕も彼女も変わっていた。変わらざるを得なかったのだ。

「……ああ、何の話かと思えば。君はあんな昔のことをずっと引きずっていたんだね」

唐突に話しかけられて、彼女は目をぱちりぱちりと何度か瞬かせた。その後ようやく僕が何の話をしているのか思い当たったようで、呆れたように笑った。そういえば学生時代は彼女をかたくなに視界に入れないようにしていたからか、彼女の笑った顔を見たのは初めてだった。

「あなたにずっと謝りたかった。あの頃の僕は現実を見ようとしていなかった。僕自身に都合の悪い話を嘘だと決めつけて、ひどい態度をとっていた」
「気にしていない。というよりも、彼が君の家を出てから婚約は解消になったのだから、もう私と君は関係がない。忘れてしまえばよかったんだ」

彼女の言う通り、数年前シリウスがブラック家を出ていってから彼女との婚約は解消となっていた。けれど僕は当時まだ彼女に謝ることができていなくて、さっぱりと縁が切れているにもかかわらず、僕の心には彼女へ伝えなければならない謝罪の言葉が残ったままだった。
やっと彼女にその言葉を伝えることができた。これでようやく彼女への心残りがなくなった。もう彼女と言葉を交わすこともないのかもしれない。呆れて笑っていた彼女の表情には僕への嫌悪はなかったけれど、もう彼女が言っていたように縁はとうに切れているのだから。

そう、思っていたのに。
次に見た時、彼女の右腕は肩から先がなくなっていた。

「どう、したんですか。その腕」

もう話しかけることはないと思っていたのに、気がついたら僕は彼女に話しかけていた。死喰い人になってから、闇の魔術の研究を行っているらしい彼女は、ああ、と呟いてちらりと右腕のあるべき場所を見て言った。

「我が君が研究の成果を見せてほしいとのことでね。まだ研究も実践段階ではなかったが成果を見せなければならなくて、私の身体で実践をした。そうしたら、ちょっとした対価を払うことになってしまったんだ」

ちょっとした対価をなぜ彼女が払わなければならないのか、理解できなかった。まだ実践段階ではないと彼女は知っていたのだから、他のマグル生まれでも使えばよかっただろうに。どうして彼女が大切な身体の一部をなくさなければならなかったのか。
彼女を使うようにあの方が指示したのか?
その疑問を直接彼女に問うことはなかったが、ほんの少しのほころびはなくなることはなく、むしろどんどん大きくなっていった。
彼女はその後もどんどん大事なものをなくしていった。足の爪がないことに気がついたのは、彼女の歩き方が明らかにおかしかったから。これは研究ではなく拷問じゃないのか。無理矢理彼女の足を見て、傷の癒えていない爪先に疑念は膨らんだ。
彼女が失った場所に幻の痛みを抱えていること、そして夢を見るたびに受けた痛みが彼女を襲っていることを知ったのも同じ頃だった。身体と心の痛みを鈍くする魔法薬を常用していることも、知りはしたが彼女がどうしても僕に隠そうとしていたから、知らないふりをしていた。
彼女の水晶に似たきれいな瞳が一つ消え失せたのを知った時には、思わず僕自身の目をえぐって取り出して彼女にあげようとした。僕のくすんだ色の瞳では彼女の透き通った瞳の対にはふさわしくないし、彼女が泣きながらやめてくれとすがったから、それをすることはなかったけれど。
腐った肉の臭いと常人にはとうてい食べられないほど特徴的な味がすることから毒殺には向かないとされている毒を混ぜられた食事を彼女が何も気づかずに食べてしまい、生死の境目を彷徨った時、彼女が味覚と嗅覚を失っていることを悟った。なんとか一時的に魂を身体に縛りつける禁術を彼女へ使い、死だけは免れられた。
しかし寝たきりで療養していた彼女の服を変えようとして、雪原のような白い腹に明らかにへこんではならない場所がへこんでいたのを見つけて、目が覚めてからかたくなに口を閉ざすつもりだった彼女の心をこじ開けて聞き出した。脾と膵、そして肝の大部分を失った彼女はもう余命幾ばくもないらしかった。どうにかできないものかとあの人の目を盗んで彼女を救う手立てを探したが、もはやどうにもならないところまで彼女の身体は欠けてしまっていた。
どうして彼女がここまで失わなければならないんだ。失わせたのはまぎれもない闇の帝王で、どうして彼女なのかと本人に聞いた。あの人は笑った。

「シリウス・ブラックはあれの婚約者だったのだろう? 血を裏切る者の婚約者も同罪だ。そう思うだろう、レギュラス?」

そんなことは全くない。彼女は彼女だ。シリウスと関わったことは数えるまでもないくらいに少ない。そう言いたくて叫びたくてどうしようもなくて、けれど何も言えずにいた僕自身はなんて臆病者なのだろう。

そうして、クリーチャーがあの方に傷つけられた時、僕の中であの男への盲信が完全に消え失せた。いや、その時にはとっくになくなっていたのかもしれない。




「アルカ、僕と一緒に逃げましょう」

それは僕なりの彼女へのプロポーズの言葉だった。彼女を愛していたのかはわからない。けれど、彼女をあの男から引き離せたのなら、彼女と二人で逃げることができたのなら、その後の人生は彼女と最後まで一緒にいようと思った。

「逃げ、る?」
「はい。でもその前に一つやらなければならないことが僕にはあります。それが終わったら、僕と一緒に来てくれますか。世界の果てまで」

限界まで血を抜かれた彼女の残された左手を両手で包み込んだ。血が十分に通わず冷たい彼女の手はうっかり力を込めればばらばらに砕けてしまいそうで、どうにかしてあたためたい。けれど僕の手から熱が彼女に移ってもなかなか彼女の手はあたたまらない。

「……世界に、果てなんてないのに? この世界は丸いんだってことを知っていて言ってる?」

おかしい、でも嬉しいよ。そう笑った彼女は、一筋涙を流して小さく頷いた。

「でも、その最後の役目に私も行きたい。私も連れて行って。ね、一生のお願いだから」


その洞窟は静かだった。この世界に魔法使いはたった二人、僕と彼女しかいないように錯覚してしまいそうだった。もしそうだったらいいのに。どこにも逃げる必要がないだろうから。

「ついてこなくてもよかったんですよ。これは僕の復讐なんですから」
「いやだ。待っているだけなんてしたくないから」

洞窟を進んだ先にある湖を、僕と彼女とクリーチャーで小舟に乗って進んだ。そういえば、マグル生まれのハッフルパフ生がマグルの読み物で恋人同士がボートの上で愛を囁く話があるなんて大広間で言っていた。馬鹿らしいとあの時は鼻で笑ったが、もしも僕と彼女でそんなことができたのならどんなに素敵だろうと、かつて馬鹿らしいと一蹴した物語が今は羨ましい。

「引き裂いた魂を保存する場所なのだからもっと厳重な仕掛けなのかと思ったら案外そうでもなかったね」

ついた先に、それはあった。ポケットから取り出したロケットによく似たそれは、淀んだ水の底に沈んでいるとクリーチャーが言っていた。水晶のゴブレットで一杯すくって、意を決して口をつけた。思わずえずきそうになった。味はしない。ただ、その液体が身体を一口飲むごとに蝕んでいくのを感じた。ぐ、と呻き声をあげた僕に彼女とクリーチャーが駆け寄る。

「レギュラス様!」
「レギュラス、私も飲む」
「駄目だ!」

この二人に飲ませるわけにはいかない。クリーチャーはもうこの苦しみを死ぬ寸前まで味わった。これ以上は苦しませたくない。彼女も無理だ。彼女の身体はもうぼろぼろで、この液体を一口飲めばそれだけで死んでしまうだろう。

「これは、僕が全部処理をする。手を出すな」

彼女は洞窟に入る時に、ロケットを入れ替えるのは僕の役目だと言ったけれど。僕は彼女に偽のロケットを渡した。その中には、闇の帝王への裏切りの言葉を綴った。願わくば、あの男を倒す誰かの助けになればいい。ロケットの壊し方はまだ僕にはわからないけれど。

「全部これを飲み切ったら、僕はきっと動けない。だからアルカ、あなたがこれをすり替えてください。頼みます」
「私、何もできない。君が苦しむ姿を見ているだけなんて、つらいよ」

苦しむ姿を何もせずに見ていただけなのは僕の方だ。彼女が何もかも失う前にこうしておけばよかったんだ。でも過去にはもう戻ることはできないから。今度は僕がこの苦しみを全部引き受ける番だ。
永遠に感じられる時間だった。何度も飲んだ水に溺れかけた。逃げたかった。もうこんなものを飲みたくなんてなかった。けれど、目の前の彼女とクリーチャーにこんな思いをさせられないから、最後の一口を飲み干すまでこの地獄を明け渡さなかった。
飲み干した後も喉の奥で暴れる液体を押さえつけながら、彼女がロケットをすり替えるところを見ていた。

「クリーチャー、あなたがこれを持っていて。私はレギュラスを舟に乗せるから」

彼女の細い腕が僕の身体に回されて、舟に足をかけ、二人同時に乗り込む。

その時、舟がぐらりと傾いた。

「レギュラス様!」

クリーチャーの声がとても遠くに聞こえた。強い負荷を一気にかけたわけではなかったのに舟は傾き、彼女と僕は水に叩きつけられた。そして、なにものかの手が僕たち二人に触れた。
濁った水中は何も見えないが、それはとうに死んだ者の手なのだとわかった。僕達を引きずり込もうとしていることも。

レギュラス! 彼女の声は聞こえなかったが、彼女の目が僕に向き、そう叫んでいた。死んだ者達が僕達を引き離そうとする。彼女を奪われるなんて嫌だ。ありったけの力を込めて、離れようとしていた彼女の身体を引き寄せ、抱きしめた。
僕の身体にも腕がまわる。死んだ者の腕ではない。彼女の華奢な、けれど確かにまだ生きているものの腕だ。僕達はお互いに抱きしめあって、水の底へ沈んでいく。
本当はわかっていた。逃げるなんてできやしないことなど、ここで死ぬだろうことなど、わかりきっていた。けれど、彼女とこうやって一つになって死ねるのなら、もうそれでいいと思った。
クリーチャーを残してしまうのは気がかりだ。けれど、クリーチャーなら一人で帰ることができる。事前にクリーチャーには僕が死んだら一人でロケットを持ち帰るように言っておいたから、きっとあれを持ち帰って壊してくれる。

こつんと彼女の額と僕の額がぶつかり合う。もう光など届かないくらいに暗くて何も見えないけれど、彼女が笑っているのだとわかった。ああ、彼女も僕と同じ気持ちでいてくれているのだと嬉しくなった。もう確信できる。心の底から、僕は彼女を愛しているのだと。


彼女を抱いたまま水底に眠った。
ふたり、死すら溺れるこの場所で。


title by 星が水没

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