「ママ、あのお人形さんほしい!」
「あらあら。メリエル、お人形ならこの前も買ってあげたばかりでしょう?」
「マリアはブラウンの髪の毛のお人形さんよ。あのお人形さんはブロンドだわ!」
「もう、メリエルったら。あのブロンドの人形でいいのね。アルカ、ちょっとここで待っていてもらえるかしら?」

 五つ年下の妹のメリエルは昔からおねだり上手、甘え上手な子だった。どうすれば大人が自分のことを可愛いって言ってくれるのか幼いながらもわかっているようで、メリエルの無邪気さが計算の上にあるもののような気がしてならなかった。
 対して私は大人から、扱いやすいけれど可愛くない子、と表現されるような子供だった。同年齢の子供、少なくとも今のメリエルと当時の私を比べれば、私はかなり大人びた子供と見られるのだと思う。
 外で遊ぶよりも本を読むことや絵を描くことが好きで、八歳の時には我が家にあった本を読んでいて、紙と鉛筆があれば何かしら絵を描いていた。
 昔から我が家が貧困とまではいかないけれどそれでも普通の家庭と比べて収入の少ない家庭だということはわかっていたから、本を読むのが好きだといっても買うことはせずに、少し離れたマグルの町の図書館に通っていた。
 私は周りから浮かなければいいくらいに洋服には頓着しなかったし、紙と鉛筆があって本さえ読めればそれなりに楽しむことができていたから、きっと両親の懐に優しい子供だったと思う。でもメリエルは真逆で、目のぱっちりとした人形とひらひらした洋服が大好き。得意のおねだりでよく両親にほしいものを買ってもらっていた。

「ごめんなさいねアルカ、でもメリエルが、」
「いいの。私は図書館に行ければそれでいいし、メリエルに買ってあげて」

 すまなそうな母を安心させるように、アルカはにっこりといつも頬をつり上げていた。
 メリエルばかり、ずるい。そんな本音にふたをして気づかないふりをする。うちにはお金がないんだから。


 そうして十一歳になった私の元にホグワーツから入学許可の手紙が来て、出発の日はあっという間にやってきた。
 九と四分の三番線まで見送りに来てくれたのは母とメリエル。行きの道でもあれが欲しいと母にお願いしていたのだから、きっと帰路の途中でもおねだりをしてまた私室に物を増やすんだろう。
 けれど私には関係ない。私は浪費なんてしなかったから、いてもいなくても同じだ。

 レイブンクローに組み分けられた私は、それからの毎日を楽しく過ごした。まず、食べるものが家とは全然違う。毎日マグルのスーパーマーケットでできるだけ安く値下げしているものをちびちびと食べていたけれど、今は食事のたびにお金の心配なんてしなくていい。マグルの図書館よりも学校の図書室の方が興味深くて面白い本がたくさんある。私服だって、私の家庭事情を知った少し背の高いルームメイトが、彼女の身体には小さくなってもう着れない服の中から私に合うサイズのものを、学校にいる間は貸してくれることになった。
 お金がなくても楽しむことはできる、幸せになれる。もちろんそれはこのホグワーツという学校の環境が整っていて、また良い友人に恵まれたからなのだけれど、それを改めて感じた私は、クリスマス休暇に帰省してからもっと質素になっていった。私がいなくなって、メリエルのちょうだい癖が進行していたから。

「ごめんなさいね。メリエルがどうしても新しいオルゴールが欲しいって言っていたものだから、元々あげるつもりだった人形と二つにしちゃったわ」

 ついにはクリスマスの私へのプレゼントはメリエルへのプレゼントになっていた。内心では動揺しながらも、そうなの、とすまして言った私に、眉を下げた母が追い撃ちをかける。

「でもアルカ、あなたはいつも何も欲しがらないものね。それならメリエルにあげた方が、喜んでくれるわ。そうでしょう?」

 母さん、私はいつも何も欲しがらないわけじゃなかったんだよ。うちが裕福じゃないから、我慢していたんだよ。私は知ってるの、メリエルへの貢ぎ物まがいのプレゼントをなくしたら父さんも母さんももっといいものが食べられるんだってこと。だから私は何も言わないで我慢していたのに。
 本当は好きな作家のまだ図書館に入ってなかった新刊が読みたかったし、一番のお気に入りの本は買ってずっと手元に置いておきたい。紙と鉛筆だけじゃ絵を描くことだって限界があるから筆と絵の具を買ってほしいって内心では思ってた。メリエルが着ているような可愛い洋服だって私も着てみたかった。でも好きな作家の新刊もお気に入りの本も筆も絵の具も可愛い洋服も、日々の生活には代えられないから我慢してたの。それなのになんで、なんでなんでなんで。
 メリエルばかり、ずるい。
 そんな一言は誰にもこぼしたことはなかったけれど、どうしても思ってしまった。


 それから、私は夏期休暇はしょうがないとしても、クリスマス休暇には帰省しなくなった。あんなわがままなメリエルでもかわいい妹なのだから、嫌いになんてなりたくなかった。
 優しいルームメイトは、どうせ小さくなった服を着ることはもうないし、お下がりをあげるあてもないから、と今まで借りていた服をくれた。私は今まで着たことのなかったような可愛い洋服に喜んでいた。けれど彼女は、お下がりでごめんね、と申し訳なさげに眉を下げていた。むしろもらう側の私の方が申し訳ない気持ちでいっぱいなのに。
 ルームメイトが洋服をくれた二年生の頭から、ホグワーツで私の欲しかったものが次々と私の周りに現れた。私がマグルの本にも興味を示していたのを知ったマグル学の教師が図書室司書のマダム・ピンスと話をつけて、三年の秋にマグルの本を図書室の片隅にほんの何冊かを置いてくれることになった。マダム・ピンス曰く、元々マグルの本は少ないながらも需要はあったが仕入れる機会がなかったためにほぼ置かれていなかった。それが、今回マグル学の教師が話をつけにきてくれたことでいいきっかけになったらしい。
 確かに私はマグルに近い場所で育ったからマグル学の成績がよく、マグル学の教師にも目をつけてもらっていたのは感じていた。けれどここまでしてくれるとは思っていなかったから、いっそうマグル学の勉強も頑張ろうと思えた。
 四年生の時には芸術の授業の一環として肖像画を描く練習があり、そこで私は生まれて初めて筆と絵の具とキャンバスを手にした。ただ憧れていただけで一度も使ったことなんてなかったからお世辞にも良い出来であったとは言えないけれど、今まで真っ白な紙に黒の鉛筆だけのモノクロだった世界に鮮やかな色がついた。
 昔から欲しかったものやりたかったことが全てできるようになって、まるで夢を見ているようだ。これこそが私へのクリスマスプレゼントなのかもしれない。いや、今後十年分くらいのクリスマスプレゼントなんだろう。

「それはよかったですね」
「うん。だからもう親からのプレゼントは期待しないことにしたの。どうせ妹にあげちゃうし、私はもうホグワーツで充分すぎるくらいもらっているから」

 図書室の片隅で、私の話を笑顔を浮かべて聞くのは、スリザリン生のレギュラス君。彼とは学年も寮も違うけれど、前に知り合ってから馬が合うことがわかって、こうしてよく話をしている。他寮から敬遠されているスリザリン生だけれど、レギュラス君は私のことを馬鹿にするようなことは全く言わない良い子だ。以前私のことをガリ勉だと笑った同い年のスリザリン生にはレギュラス君の態度を見習ってほしいと思う。

「なら、そんなアルカさんには僕からのプレゼントはいらないですか?」

 どうぞ、とレギュラス君が差し出したのは、杖磨きと杖のカバーのセット。ダイアゴン横丁で今流行りの品らしいそれはプレゼント用にラッピングされ、アクセントのリボンがまた可愛らしい。
 夏季休暇が明ける前に教科書を買いにダイアゴン横丁へ行った時に、ちらりと雑貨屋でそれを見たことがあった。若い魔女が、これかわいい、どれにしようかな、と店頭で楽しそうに選んでいたのを見ていたけれど、どうしても欲しいものでも必要なものでもなかったから買わなかった。それがまさか、こんなところで見るとは思ってもみなかった。

「えっ、これって、」
「この前誕生日だったでしょう。僕からの誕生日プレゼントです。色々見て回ってこれが一番いいかなって思ったんですよ。アルカさん、もらうなら実用的な物がいいでしょう?」
「そんなことしなくていいのに。だって私今までレギュラス君の誕生日にプレゼントあげたことないよ」
「別にそんなの気にしなくていいですよ。僕が渡したくて渡してるだけなので」

 レギュラス君の実家はこの国の魔法使いなら誰もが名前を知っているくらいの名家で、彼のおこづかいも私がきっと一生涯休まずに働いても稼げないくらいなんだろうけれど、やっぱりこんなもの受け取れない。そう思って返そうとするが、レギュラス君は頑として譲らない。押し付ける気満々だ。

「これ、僕もう自分の持ってるんですよね」
「うっ」
「たとえ持ってなくても、こんな女性用のかわいらしいものなんて使えないし、他に渡すあてもないんですよね」
「ううっ」
「ということなので、諦めて受け取ってくださいアルカさん」

 にこりと笑んで私に再度手渡すレギュラス君に、申し訳なく思う気持ちがむくむくとわき上がってくる。

「その顔、やめてくださいよ。僕はそんな顔されるんじゃなくて喜んでほしくてプレゼントしたのに」
「うん、じゃあありがたくもらうね。ありがとう、レギュラス君」

 色々思うところはあるけれどもそう伝えると、レギュラス君は満足げに目を細めた。レギュラス君は物をあげた側なのになぜかとても嬉しそうで、さらに彼の顔は整っているものから、なんだか私の方が気恥ずかしくなってしまって、目を逸らした。美男子の笑顔は目に毒だ。



「アルカ、これどうしたの?」

 レギュラス君にプレゼントをもらったその年のクリスマス休暇は久しぶりに実家へ帰省していた。シャワーから上がった私にメリエルが駆けてきた。手に持っているのは、レギュラス君からもらった杖のカバー。

「これは友達からもらったの。ね、メリエル、返して?」

 運よく杖自体は店に磨きに出していたからメリエルが勝手に私の杖に触ることはなかったけれど、あの欲しがりやのメリエルがそう簡単に手渡すはずがない。

「私これほしい! 可愛いんだもの! だからアルカ、これちょうだい?」

 確かにメリエルの言う通り、中身を開けた時は私も驚いたものだ。リボンとレースが縫い付けられた杖カバーはそれはもう可愛らしくて、使うのがもったいないとさえ思ったほどだから。でも使った方がレギュラス君も喜ぶだろうし、と思いきって封を開けたのだ。
 今まで欲しがりやのメリエルがちょうだいと言えば、私はものに執着しなかったからそれをあげていた。けれど、これだけはあげるわけにはいかない。

「お願いメリエル、私の宝物なの」
「いやよ、これ私の!」
「それはメリエルのじゃなくて私のものなの。メリエルはまだ杖を持っていないでしょ?」
「だめ、私がこれ欲しいの!」

 何度返してと言っても首を振って渡そうとしないばかりのメリエルに、さすがの私もいらいらがつのってきた。優しく言うのも、受け取られない言葉が十回を超えたあたりから馬鹿らしいと思えてきて、メリエルが怖がらないようにと浮かべてきた笑顔さえも引きつってくる。

「ああもう、早く返してって言ってるでしょ!」

 とうとう耐えきれなくなった私は、力ずくでメリエルの手からそのカバーを取り上げようとそれをつかんだ。そこからはもう、力勝負の引っ張り合い。

「返してよ!」
「あらあら、もうどうしたの? アルカ、メリエルが泣いちゃってるじゃない」

 何とか奪い返した杖カバーを見つめてショックを受けていた私の耳には、メリエルの泣き叫ぶ声も母のメリエルを慰める声も入ってこなかった。
 せっかくレギュラス君が買ってくれたカバーが、引っ張られた時に伸びてその上しわくちゃになってしまっていたから。



 クリスマス休暇が明けて帰省から戻った私は、レギュラス君と顔を合わせられないままだ。わざわざレギュラス君が私のために買ってきてくれた杖のカバーをあんなにしてしまったんだ、どんな顔をして会えばいいのかわからない。
 嫌われたらどうしよう、なんて考えてしまうともう駄目で、私はレギュラス君と顔を合わせることができなくなってしまった。学年も寮も違うから授業中は顔を合わせることがないし、レギュラス君が学内のクィディッチチームに入っているから早朝や放課後に練習があるから、練習がない日だけなんとか逃げ回っていた。
 事情を知った母は、お金をためてもう一つ同じものを買えばいいわ、と言ってはくれたけれど、デザインが同じというだけのものじゃ駄目なんだ。
 全く同じものを買えたとしても、それは大事なものにはならない。レギュラス君がくれたものは世界にたった一つしかないんだから。




「なんで僕のことを避けるんですか」

 それは授業が終わった放課後の時のこと。クリスマス休暇が明けてから、一ヶ月近くが経っていた。
 いつも一緒にいる友人が今日は風邪で寝込んでしまったため、私は一人で教科書などを抱えてレイブンクロー寮への道を歩いていた。別に私は一人でいる時間が苦ではないし、たまにはこうやって過ごす日があるのもいいものだなと思っていた矢先、不意に誰かに空き教室に引っ張りこまれた。教科書を床にぶちまけて、私自身も引っ張りこまれる際に扉に肩を打ちつけてしまって、その衝撃に座り込む。誰だか知らないけれどもう少しお手柔らかにしてくれないかな、とその相手にひとこと言ってやりたくて顔をそちらに向けた瞬間、聞き慣れた声が聞こえたのだ。

「あ、レギュラス、君……」

 そこにいたのは、他寮の生徒でありながらも私と仲良くしている後輩の姿。初めて出会った時にはまだ高かった声も今や変声期にを過ぎて低くなりつつある。その低くなった声は今は少し不機嫌そうな色を滲ませていて、やや幼いながらも兄同様にきりりと引き締まった顔も声と同じで、あまり機嫌のよろしくなさそうな表情をしている。
 もちろん暴言に似たひとことは喉から出ることなく、たちまち消え失せてしまった。

「アルカさん、なんでクリスマス休暇明けからあんなに無視するんですか」
「無視、なんてしてないよ」

 嘘をつくのにレギュラス君の顔をまっすぐ見ることができなくて、目を背けてしまう。

「僕、何か悪いことしました? もし僕にとっては何でもないことでもアルカさんからしたら嫌なことをしてしまったなら謝ります。だから無視なんてしないでください」

 じりじりと近づいてくるレギュラス君から逃げるように、私も少しずつ身じろぎして後退していく。でもレギュラス君も私を逃がす気はさらさらないようで、さらに間合いを詰めてこようとする。とん、と私の背中が教室の机にぶつかった時、ふ、とレギュラス君の笑う声が聞こえた気がした。

「レギュラス君は悪くない。何もしてない。違うの、悪いことをしたのは私なの」

 追い詰められて、私は本当のことを白状してしまった。

「ごめんなさい、レギュラス君からもらった杖磨きのセットの杖カバー、駄目にしてしまったの。駄目にしたっていうか、とにかくひどいことになっちゃって、」

 たどたどしい話し方だったけれど、レギュラス君には伝わったかな。私をまっすぐ見つめて話を聞いていたレギュラス君は、はあ、とため息を一つついてほんの少しだけ顔を離す。

「まさか、そんなことで気まずくなって僕を避けてたなんてことは言いませんよね?」
「ううっ、だって、」
「そんなに高価なものじゃないんですから、もう次からは無視なんてしないでください。本当に、何かやらかしてしまったんじゃないかってどきどきしてたんですから。嫌われてしまったのかと思いました」

 安堵の表情を浮かべるレギュラスに、慌てて首を横に振る。

「嫌いになるなんてあるわけないよ。逆なの、私がレギュラス君に嫌われるかと思ったの。せっかくレギュラス君がくれたものなんだから。仲のいい後輩からのプレゼントを駄目にするなんて最低だよ、ね」

 レギュラス君にとっては小さなことだけれど、私にとっては気にしてしまうほどのことなんだから。

「仲のいい後輩、ですか」

 そんな思いを込めても、レギュラス君はこんな私に呆れることしかできていないようだ。

「アルカさん、」
「えっ、ちょっと、」

 ああ、本当のこと言っちゃった、と内心がっくりしていた私が、でも幻滅されなくてよかった、と思った瞬間、レギュラス君が突然真顔になってずいと顔を先ほどよりも近づけた。その距離、十センチメートルもない。レギュラス君の口が開いて、と、思ったら。
 レギュラス君との距離がなくなっていた。

「!」

 後頭部をがしりと左手で固定されて、へたっとしたままの脚は動かせない。肩をつかんで引き離そうとしても、これが男女の力の差なのかはたまた彼がクィディッチチームのシーカーとしてスポーツを始めて身体がしっかりしてきたからなのか、レギュラス君の身体はぴくりとも動かない。過去のレギュラス君が華奢なイメージのままだったせいもあってか、見た目と力のギャップに驚きもしたけれど、口を塞がれたままの私にはそんな余裕はない。
 口と口とを合わせるだけのそれは、そのレギュラス君の手の強固さとは反して呆気なく離れた。

「何ですか、その目」

 私の呆然としていたらしい目に、レギュラス君は少し不満そうだ。

「何って、突然こんなことを、」
「アルカさんには僕の気持ちが特に何も伝わっていなかったんだな、とよくよくわかったので、自分の日頃の行いを振り返って改善しなければと思ったんですよ。やっぱりきちんと相手に伝わるように行動しないといけませんね」

 レギュラス君が何の話をしているのかわからなくて、それがどうしてキスに繋がるのかも全くわからなくて、押し黙ってしまう。そんな私を見たレギュラス君がはあ、と大きくため息をつく。まだ伝わらないのか、とこぼして、アルカさん、と改めて私に向き直る。

「僕はただの仲のいい先輩にプレゼントなんてしないんです。ここまで言ってもまだわかりませんか? 空気くらい読んでくださいよ」
「空気読んでって意味わからないよ」
「ですから、」

 めったに他人にやらないようなプレゼントをして、キスをして。そんなことができるくらい、僕はあなたが好きなんですよ。

 そう赤面もせずに言ってのけたレギュラス君に、逆に私が恥ずかしくなって真っ赤になった。

「なに、言ってるの。というか、こんなところ誰かに見られたらどうするの、」
「他人からどう見られるかなんてどうでもいい。だからアルカさん、僕を好きになってください。そのためなら何度だって言ってあげますよ、」


「ぼくがあなたに恋焦がれていたこととか」

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