∴ こころを掬う




ぽたり、ぽたり。

水鏡となった翡翠から幾筋もの雫がこぼれ落ちるのを、十代は呆然と眺めた。
なぜ、どうして、何が。
目で捉えた光景を処理しきれず頭が飽和する。
ヨハンが、泣いていた。




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「心配かけてごめんな。俺は大丈夫だからさ」

目に湛えた涙にそぐわぬ明るさでヨハンは笑う。
聞けば、彼は時折こうして泣くのだという。
悲しいことがあったのでも、つらいことがあったのでもない。
ただとうとうと涙を流すのだ。

「ずっと泣かないとさ、よくないものが少しずつ溜まっていくんだ」

そうすると心がどんどん澱んでいくんだよ、と小さな子供にでも言い聞かせるような口調でヨハンは語る。


「心が、澱む…」
「そう。いくら綺麗にしてるつもりでも、いつの間にか部屋の隅には埃が溜まるだろ?あれと同じさ」


掃除しなくちゃ。言って、ヨハンはまた涙を流す。
するすると滑らかに頬をすべっていくそれを、十代はぼんやりと目で追った。
本人は掃除だと言うが、透きとおった雫は塵芥と呼ぶには躊躇いを覚えるほど美しい。

思わず、といった風に伸ばした手で十代はそっとヨハンの頬に触れる。
やや癖のある青い髪が指先に絡み、ほのかな熱と、見た目より存外柔らかな感触が伝わった。
触れたことで、十代は今度ははっきりと身体の奥深くから湧き出る衝動を自覚する。
そして本能が命ずるままに、溢れる涙を舌で掬い上げた。
嬉し涙は水っぽく、哀し涙は塩辛い。
ヨハンの涙は少しだけしょっぱかった、と十代は思う。


「十代!そんなの舐めたらだめだ。汚い…!」

やめさせようと慌ててヨハンが胸を押し返す。
その手を掴むことで、十代は抗議の声を封じた。

「いいよ、汚くても」

ついばむように、宥めるように。
ヨハンがひとつ涙を落とすたび、十代は濡れた瞳に口づけをおくる。
慰めも、救いも知らぬまま消えていく心への、せめてもの手向けであった。



――ありがとう。
ゆるりと目を閉じ、ヨハンは頬を包む手に自身の手を重ねた。
閉じた瞳から最後の一粒がこぼれ、二人の温度に溶けてゆく。
初めて彼の心に触れた気がして、十代の方が泣きたくなるのだった。







ヨハンの涙は綺麗だろうなぁ


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