∴ 星の恋人




ある日の夕暮れ時。
菫色の空の下、生き物の痕跡すらも見えない荒野の真ん中に、その場にそぐわぬ人影が一つ。
そしてそこから聞こえるのは、浮かれ気味の鼻歌と、ごそごそと荷物をかき回す衣擦れの音。
『……随分と上機嫌だね。』
「そりゃあな。なんてったって今日は……ーー!」
そう言いながらも、せわしなく動いていた手が、ようやっと、目的のものを掴みとった。
本日(数え間違ってなければ)二月十四日、(恐らく)バレンタインデー。
数ヶ月ぶりに対面した、小さな小箱。
ーーこれ、十四日のやつな!
そう言いながら、にっこりと笑いかけてくれた翡翠の瞳が鮮明によみがえる。
小箱にかけられた真っ赤なリボンを軽く引っ張ってなんとなく形を整えてみた。
『……顔。』
おもしろくなさそうな声が、みっともない……。とぼそりと苦言を漏らす。
だが、こればっかりはしかたない。
どうせ誰も見てやしないのだ。
ゆるみっぱなしの口元はそのままに、遊城十代は先ほど手を加えたリボンを、躊躇うことなく引き解いた。
ーー折角の恋人たちの日に、なにもしないってのは、なんかつまらないだろ?
そう言いだしたのは自分からだったか、はたまた向こうの申し出だったか……。
旅から旅への根無し草を続ける十代に、スケジュールなんてものは存在していない。思うがままに道を選び、感じるままに行動を決める。
一言で表すなら「流浪の旅人」なんてかっこいい呼び方もあるのだろうが、実際はそんな浪漫溢れる言葉で片付けられるようなものでは断じてない。
連絡は基本一方通行だわ、折角会いに行ってもすれ違いなんてざらだわ、予定を合わそうにも下手するとお互い地球の反対側にいるなんて事態も起こり得るわ……
誰かとなにかをしようものなら、大抵トラブルの十や二十は必ず付属する。
特定の日になにかを贈り合うなんて、まず面倒な事態に発展すること間違いないというわけだ。
そんなわけで編み出された秘策が、この「タイムカプセル式プレゼント」だった。
とどのつまり、事前にプレゼントを渡しておき、その日が来たら、受け取った本人がセルフで開封するというものである。
これならば、無駄な労力を使うことなく、遠隔ながらも行事を祝うことができるというわけだ。
しゅるしゅるとりぼんを外し、蓋に手をかける。
去年はクッキーだった。なんだかよくわからない模様が描いてあったが、今から思えば、羽クリボーとルビーに見えなくもなかったな。
一昨年はバターケーキ。洋酒付けのドライフルーツがなにかの呪いかというほどみっちり入っていてちょっと引いたんだっけ。
バレンタインの贈り物は、想いのバロメーター。一目見れば、込められた思いの分だけ心が一気に満たされる。
……さて、今年はいったい、何が入っているのだろう?
「んじゃ……ハッピーバレンタイン、オレ!!」
『……それ、虚しくならない?』
「……ちょっと黙ってろ。」
痛いところを付いてきた魂の片割れに釘を刺し、そのまま手のひら大の小箱の中をのぞき込んだ。
「……。」
『……。』
しばしの沈黙。
そしておそるおそる、手を伸ばす。
一粒つまみ上げて、手のひらに転がす。
「金平糖……」
『金平糖だね。』
手の上で、ころりころりと揺れる、小さな空色の欠片。
「……なんで?」
『……なんでとは?』
「……これ、手作りじゃあ……」
『ないね。』
「しかも金平糖って……砂糖だろ?」
『砂糖だね。』
「しかも地味じゃね?」
『まあ……でも綺麗じゃないか。』
「……なんで?」
『キミは貰っておきながら、つくづくうるさい男だね。』
「いや……だって……、」
バレンタインの贈り物は、想いのバロメーター……。
つまりはこれは……、
「ケンタイ期……!?ケンタイ期ってやつなのか!?!?」
「倦怠期、ね。そんな言葉キミが知ってるとは思わなかったよ。」
ユベルがなんだかごちゃごちゃ言っていきてるようだが、そんなことはこの際どうでもいい。
恐るべき事態が起こってしまった。
自分たちには一生縁のないものだと思っていた。
それなのに……嗚呼それなのにっ……!
「オレが定職に付かないのがやっぱり許せなくなったのかよはあああああああんっっ!!!」
『……まあ、端から見れば放浪癖拗らせたただの無職だしね。』
またこの精霊はごもっとも……もとい、痛いところをズバズバと……!
……いや!ちょっと待て。ヨハンはそんなことを気にするような器の狭い男ではなかったはずだ。
ちゃんとおかえりで出迎えて、いってらっしゃいで贈りだしてくれるような良妻(?)だ。
きっとこの金平糖にも、なにか意味があるのだろう。
……いや、そうに違いない……!
ここは一度、大きく深呼吸。
夜風を体いっぱいに吸い込んで、勢いよく吐き出した。
冷えた空気が、頭の中を駆け巡る。
ようやく落ち着きを取り戻した思考を、もう一度再起動させる。
なにか無いだろうか?金平糖で思い出せる、二人の思い出かなにか……!
視線の先の、控えめな光を放つ色とりどりの小さな欠片。

「オレは、星になるんだ!」

唐突に聞こえてきた、柔らかなボーイソプラノ。
「……ヨハン?」
思わず、名前を呼ぶ。
返事の代わりに浮かんできたのは、夜空から次々とこぼれ落ちる光の欠片と、それを熱心に眺める見慣れた横顔……。
そうだ……。
あれは、アカデミア時代、ナントカ流星群だとかそんな感じのなにかが、ウン百年だかぶりに見えるとか見えないとかで大騒ぎしていた時だ。
冬真っ直中の真夜中に、ほとんど無理矢理連れてこられた、レッド寮の屋根の上。
寒さに震える十代を余所に、アイツは流れる星をずっと目で追いかけ続けていた。
ふと視界に入ったその顔が、なんだかすごく輝いて見えることに気が付いて……、ついつい魅入っていた時のことだった。
ヨハンが、おもむろにこちらを振り返り、弾んだ声で言ったのだ。
「十代!オレは、星になる!」
「……は?星?」
ワンテンポ遅れてようやく返せた反応は実に腑抜けた響きだったが、言葉を向けられた当人はお構いなしだった。
「知ってるか?たとえ見えなくても、星は空にずっと居るんだぜ!?」
「ああ……まあな。だろうな。」
恐らく、本人は独り言の延長のような気分で話しているのだろう。こちらの思考が追いつく前に、彼の視線はは再び、空の星へと戻る。
「……オレ、空が好きだ。太陽も虹も星も全部、空があるから、居られるんだ。」
「……いや、太陽とか虹とか星とかがあるから、「空」なんだろ?」
なんとなしに言葉を放った。
ーーすると、不意に翡翠の瞳が、まじまじとこちらを捉えた。
「……そうなのか?」
やけにまっすぐとした光だった。
「いや……だってそうだろ?なんにも無いままだったら、どこが空なのかわからねえじゃん。」
深い緑の海に飲み込まれそうになりながら、とりあえず、言葉を返す。
……すると、納得したのかしないのか……、ヨハンは一言……
「そうか……。じゃあやっぱりオレは、星になればいいってことなんだな。」
「いや、だからさ……意味分かんねえんだけど……。」
言いながら、十代はある一つの答えを見出したような気がした。
ああ、だから光って見えるのか。
ーーコイツは、きっと星なんだ。

「……。」
手の内で光る、小さな光の一欠片。
その柔らかい輝きは、どことなく懐かしいものと重なっているような気がして。
「……ユベル。」
『なんだい?』
「ここから一番近い町って、どの辺だ?」
『……は?』
つまらなさそうにファラオの前にりぼんをちらつかせていたユベルが、訝しげにこちらを向いた。
それに構うことなく、光の欠片に蓋をする。手に持っていた空色の一粒は……ーー、ちょっと迷ったが口に放り込んだ。
岩の上に投げ出していたジャケットを羽織り、手早く荷物をまとめ、たき火を無理矢理叩き消した。
『こんな時間に、いきなりどうしたのさ?明日にしなよ。』
「いや無理。」
自分が発しようと思ったよりも更に早く、口が動き出していた。
「一晩歩けば、とりあえず公道には出るだろ。そうしたらそこからヒッチハイクで繋いで……、そこから船か列車か……。」
『……ちょっと。もしかして十代ーー、』
「星、見たくてさ。」
そう、星だ。
見えないけれど、傍にいる。空に寄り添い、輝き続ける。
「アイツは、オレの星なんだ。」
透き通る甘さが、口の中に優しく広がった。







つい先日、バレンタインデーが誕生日だったのですが、そのお祝いに、と『気まぐれ電波塔』(PCサイト)のももきゅうりさんから小説を頂きました…!
わたくし幸せすぎていよいよ天に召される気がしてまいりました。
だってみなさん、十ヨハですよ十ヨハ。あったかくて微笑ましい、そしてちょっぴり切ない十ヨハ!
どんなに離れていてもちゃんと繋がっている、そんな二人の絆にときめきがとまりません…///
思わず金平糖を持って空を見上げに行きたくなりますね^^

ももさん、この度は素敵なお話をありがとうございましたー!