∴ 境界線にたゆたう





※少々いかがわしい、というより品がない




目が覚めたら後ろ手に縛られていた――そんな経験はあるかい?残念ながら俺にはある。それも、現在進行形で。
(昨日の夜は普通だったのになぁ……一体どこでスイッチが入ったんだか)
窓から差し込む光の暴力的な眩しさに目を細める。
すっかり第二の宿と化した場所、レッド寮。俺はその中の一室、遊城十代の部屋で朝を迎えた。
三段ベッドの最下段から頭を覗かせれば、広がるのは見慣れた室内。特筆すべき点は何もない。何もないだけに、手首の違和感がより強烈に意識される。
(ほどけそうでほどけないんだよなコレ……)
きつ過ぎずゆる過ぎず、絶妙の加減で拘束する布の感触に思わずため息が出る。
ともかく、十代を呼ばなくては。これでは学校に行くことはおろか、食事も風呂も、それからトイレだって一人じゃできやしない。
滅入る気を追いやり不自由な身体を起こすと、年季の入ったベッドがぎしりと鳴った。
「よぉ、起きたか」
木枠越しに耳に馴染んだ声が響く。見れば、十代が簡易キッチンからマグカップ片手にこちらへと向かってくるところだった。中身は……匂いからしてホットミルクだろうか。
「今朝の目覚めはどうだ?」
言いながら、十代は隣に腰掛けた。湯気立つカップにふぅふぅと息を吹きかけ、軽く冷ましたところでこちらへ寄越す。
「……これを快適と呼ぶ性癖はないなぁ」
口元に寄せられたカップに口をつけつつ答えてやると、十代は「そりゃあ残念」とおどけてみせた。寝起きの渇いた舌に、素朴な甘さが染み渡る。中身は、やはりホットミルクだった。
「……十代」
「ん?」
「またか」
「ああ、まただ」
――いつもごめんな。
けろりと言われ、怒りを通り越して呆れてしまう。

十代の“これ”は今に始まったことではない。ありがたいことに、俺は月に一、ニ度、一定のペースで芋虫役を仰せ付かっている。
別に、縛られているからといって何か危害を加えられるわけではない。ただ一日この状態で過ごせばいいだけだ。もちろん、恥ずかしさとか、授業に出られないとか、デメリットもそれなりにあるが――裏を返せばその程度の不足しかなかった。
この間、日常動作は全て十代の介助によって補われる。濡れタオルでの洗顔に始まり、着替え、食事補助、果ては排泄まで、まさに付きっきりで。普通、いくら親しくても他人の下の世話なんてしたくないだろうに、十代はそれすら嬉々として行う。あんまりにも嬉しそうなんで、一度不思議に思って『嫌じゃないのか?』って聞いたらあいつなんて答えたと思う。
『いや?全然。むしろヨハンの無力さをいっそう感じて興奮する』
……だとさ。悪趣味にもほどがある。

「今のヨハン、俺がいないと何にもできないなー」
大人しく手ずからの施しを受ける俺を見て、十代は上機嫌に笑った。その認識は正しい。今の体勢はさしずめ、無力な雛鳥と、そんな我が子に餌を与える親鳥だ。
おかげさまでな、と軽い皮肉で応じれば、十代はますます笑みを濃くした。ふいに俺の口からマグカップを取り上げ、中身を自分でぐいと煽る。
「じゃあ、こんなことされても文句は言えないわけだ」
そして、少量残っていたそれを俺の顔に向かってぱしゃりとかけた。
「……え」
一瞬、何が起きたかわからず呆ける。ぽたり、ぽたり。左頬から唇、それから顎にかけて生暖かいものが伝ってゆき、白いシャツに染みを作る。
「はは、ヨハン顔射されたみてぇ」
「……」
「縛ったままヤるってのもそそるな」
乱暴に肩を押され、俺は為す術もなく背後に倒れ込んだ。痛みに呻いている間に、十代が両膝を割って陣取り、駄目押しのようにのしかかってくる。
「抵抗しないの?」
十代は耳元でからかうように囁いた。
「……したら、逃がしてくれるのか?」
「まさか」
がり、と耳殻を噛まれ全身が粟立つ。
こいつはいつもそうだ。はじめからこちらの意思なんてまるで聞き入れる気がないくせに、抵抗のしようがないと知っているくせに、さも他に選択肢があるかのように見せかける。それで、俺に選ばせているつもりなのだろうか。他でもない俺の意思で自分が選ばれたのだ、と心の拠り所にでもしているのだろうか。
――哀れだな、と思う。それとも、ひょっとしたらこういう気持ちを愛しいと呼ぶのかもしれないな。
つまるところ、愛と情の境目なんて、まだまだわかりそうにもない。











ヨハンに依存気味な十代と、そんな十代に絆されつつあるヨハン


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