∴ 虹にまつわるエトセトラ 架け橋。 点と点を結ぶもの。 仲介者。 今になって思うのは、自分にとっての彼がまさしくそれだったということだ。 1. 「いつか、人と精霊の架け橋になりたいんだ」 極めて現実的な考え方をする割りに、彼はよく理想主義者のようなことを口にした。 人と精霊を、繋ぐ。 混じり気のない純白の願い。 言葉にするのはたやすいけれど、それがいかに難しいことかは彼自身が一番身に染みて分かっていたはずだ。 人は曖昧で不確かなものを否定する。そういう生き物だ。 精霊を信じない者にその存在を説いたところで、何かが変わるとはとても思えなかった。 「それでもきっと、俺は精霊の存在を訴え続けるだろうな」 それが自分の使命なのだから。 気負った風もなくごく当たり前のように言い切った彼には、一体どんな世界が見えていたのだろう。 楽しさだけを追い求め、刹那的な生き方をしてきたこれまでの自分に、根本的な問いを突き立てられた気がした。 2. 今日を越えると明日が来て、明日を越えるとそのまた次の明日がやって来る。 そうやっていつもと同じ毎日が続いていくのだと、疑いもなく信じていた揺り籠の中。 異次元という非日常においてすら、その神話は崩れることなく幼い心に宿り続けていた。 みんなで力を合わせれば絶対無事に帰れるさ。 そんな根拠のない楽観が生まれたのは、ひとえに喪失の痛みを知らない無邪気さからだったのだろう。 「十代、後は頼んだぜ」 だからヨハンがそう言ったとき、咄嗟に意味を量りかねた。 後?頼む?彼は何を言っているのだろう。 これではまるで――。 そして虹色の閃光が視界を瞬く間に染め、次に目を開けたときヨハンは隣にいなかった。 彼は、自らを対価に世界を繋いだ。 たった一人の消失により、平穏な日常はもろくも崩れ去った。 自分のことさえ考えていればそれで良い、そんな子供の時代はとうに幕を下ろしていたのだ。 3. 「どうして?十代…」 「アニキは勝手すぎるよ!」 「自分で考えるんだな」 「力なき正義では、みんなを救うことなんかできない!」 迷い、惑って、終わりのない悪夢の中をもがいていた。 何が悪かったのか。自分は何をすべきだったのか。全部、わからなくなってしまった。 失ったものの大きさに恐れを抱き、背負うべき責任から目を逸らし、その結果、さらに多くを喪った。 覇王。異世界を統べる覇者。 逃げ続けた先の黒は、わかりやすいかわりに孤独だった。 漆黒の鎧に心を閉ざし、ただ蹂躙するためだけにディスクを構える。 やがてオリハルコンの奇跡によって箱庭から連れ出されたとき、振り返った道は血に塗れていた。 立ち止まるなんて甘えはもはや許されない。 震える足を叱咤して、ただ一つの救いを拠り所に前へ前へと歩を進める。 ヨハンが、生きている。 身体を乗っ取られてはいるものの、間違いなく生きている。 『後は頼んだぜ』 あの時、ヨハンはそう言った。 それは単にみんなを導けというだけでなく、ある種の遺言めいた意味を持っていたのだろう。 彼のやり残したこと――人と精霊を結ぶこと。 ヨハンはもしかして、果たせなかった夢を自分に託したかったのかもしれない。 だとしたら、なおさら受け取るわけにはいかなかった。透明な願いに触れるには、この両手は汚れすぎている。 ――彼の理想は、彼が生きて自らの手で叶えるべきだ。 揺るぎない確信を胸に、天上の玉座を目指す。 4. 「おかえり、十代」 一連の騒動の後、まるで何事もなかったかのように出迎えた彼を見て、ああ、ようやく終わったのだ、と思った。 隣にあるべきものがある幸せ。 それは以前から存在していたけれど、その頃は明確に意識したことがなかった類のものだ。 全てのものはうつろい、決して不変でないと知ったからこそ感じる幸福だった。 5. 「俺は、俺の夢を叶えるよ」 帰国の前夜、彼は静かな声で呟いた。 青白い月明かりに照らされた横顔は、ここではないどこか遠くを見つめているようだった。 『それが俺の使命だから』 ありし日の彼はそう続けた。 けれど、この時の彼はこう続けた。 「だからお前も、お前の夢を叶えろ」 ――これは、彼からの挑戦状だ。 自分の存在をかけるに相応しい夢を見つけること。 それが、このうつろいやすい世界の中で今後も彼の隣にあり続けるための条件なのだ。 頷きたかった。 胸を張って、彼の横に堂々と並べる存在でありたかった。 ――だが。数々の願いを奪ってきた自分に、夢を持つ資格などあるのだろうか。 肯定も、かといって否定も返すことができないまま、最後の夜は更けていった。 6. 立つ鳥跡を濁さず、と言ったのは何処の誰だったか。 あれだけ入り浸っていたにもかかわらず、彼は一切の痕跡を残さず帰っていった。 自分一人となった空虚な部屋で、胸に刺さったまま抜けない言葉を何度も繰り返す。 『お前も、お前の夢を叶えろ』 彼からの最初で最後の宿題だ。 夢を叶えろ。 自分は当初、彼が自分を試すためにあんなことを言ったのだと思っていた。 けれど、時間をかけて咀嚼する内にひとつ別の考えが浮かび上がってきた。 ヨハンが伝えたかったのは実はもっと単純なことで――彼はきっと、励ましてくれていたのだ。 自分がそうであるように、彼もまたこちらに対等を求めていた。 だからこそ、過去に怯え前に進むのを躊躇う“対等”の姿に心を痛めた。 「夢を叶えろ」とはすなわち「願いを持て」ということ。 “心のままに生きればいい” あの言葉には、そんなメッセージが込められていたのではないか。 涙が溢れた。 自分が覇王として行ったことは決して許されることではない。この先、一生背負い続けるものだ。 それでも、救われた気がした。 7. ヨハンは架け橋だ。 彼の言葉は、行動は、いつだって自分を新たな世界へ導いてくれた。 子供から大人へ。過去から未来へ。 こうして距離を隔てた今もその存在は心の歩みを支え続けている。 ――どうか幸せになってほしい。 ふと、そう思った。 自分が彼に抱いている感情はそれこそきりがないくらい多くの言葉で表せるが、根底にある想いは、およそこの一点に集約される。 もし、もし本当に、心のままに生きることが許されるなら。 「俺は、ヨハンの夢を叶える手伝いがしたい」 今度は自分が、彼と彼の理想を繋ぐ架け橋になろう。 ようやく見つけた確かな願いは心に七色の輝きを灯した。 |