∴ リ・セット ※卒業後 ※メタ十代とヨハン 「またか」 遠くの方で、感情の抜けた声がした。 「また死んだのか、お前は」 今度は先ほどよりはっきりと届く。年若い男の声だ。 “また”死んだ?誰が?何の話――。 働かない頭の中、疑問が浮かんでは泡のように消えていく。 「おい、聞こえてるだろ。起きろ」 右肩に軽い衝撃を受けた。痛みによって、霞がかった意識が徐々に覚醒しだす。 重い瞼を上げると、肩の上に赤い靴が乗っていてるのが目に入った。どうやら踏まれているらしい。 「ようやくお目覚めか、寝ぼすけ」 声をたどり、俺は視線を上へと滑らす。すると、どこかで見たような顔をした少年が不機嫌そうにこちらを見下ろしていた。鮮やかな赤いジャケットに鳶色の髪と琥珀の瞳、年のころは自分よりも少し下とみた。誰だろう。ひどく懐かしい気持ちに駆られるが、思い出せない。いや、そもそもここはどこだ。 俺はずきりと疼く頭を押さえながら、身を起こし周囲を見渡した。目の前に広がるのは一面の闇。果てしなく続いているのか、それとも実はすぐそこで途切れているのか……距離感を狂わす闇だった。これではここが室内なのか屋外なのか、昼なのか夜なのか、手がかりは何一つ得られそうにない。不思議なことに、この真っ暗な空間でも、自分と目の前の少年だけはどこかから切り取ってきたかのようにくっきりと浮かんでいた。 「二度と来るな、と言ったはずだがな」 溜息を吐き、少年が苦々しげに呟いた。二度とも何もそんなことを言われた覚えはないのだが。わけがわからない、という顔をしている俺を無視して彼は独り言のように続ける。 「でも、きっとまたこうなると思ってたよ」 ――お前、優しいもんな。 そう言って、旧知の友人に対するような気安さで俺という人物を評した。 「…なぁ。俺と君、どこかで会ったか?」 訊ねると、少年は肩をすくめた。答える気はないようだった。それ以上の追及を諦め、ここはどこだと質問を変えれば、彼は神妙な面持ちで「ここに来る前のことを憶えているか?」と言った。 「え?いや…」 そういえば、俺はどうしてこんなわけのわからない場所にいるのだろう。言われて初めて思い至る。……違う。本当はとっくに妙だと感じていた。けれど、そのことについて深く考えようとするとひどく頭が痛むのだ。まるで、思い出すのを拒絶しているかのように。 「質問ばっかしてないでさ、ちょっとは自分で考えてみたらどうだ?」 少年が促す。口調こそ軽いが、言葉にはどこか哀願するような響きが滲んでいた。 答えを知っているけれど自分の口からは言いたくない――そんなところだろうか。 「まぁ、ごもっともだな。…よし、やってみるぜ」 * 意識を集中させると、頭痛の波が奔流のように押し寄せた。 悪化する一方のそれに眉を顰める。俺は思考を攫われないよう慎重に記憶の糸を辿っていった。 プルルルルル… しばらくして、頭の中になじみの電子音が響きだす。電話だ。それも自宅の。そうだ、確か家に電話があったのだ。相手は――俺の親友。 アカデミアを卒業して以来、ずっと連絡のなかったそいつから突然電話が入った。曰く、すぐ近くに来ているから数年ぶりに会わないか、と。俺は二つ返事で了承した。その日の予定をすべてキャンセルして、息を切らしながら待ち合わせ場所のカフェへと走る。早く会いたい一心だった。あと少しで到着、というところで俺は不運にも赤信号にひっかかってしまった。店は目前だというのに、ついていない。横断歩道の向こう側では、テラス席に腰かけたあいつがこちらにひらひらと手を振っていた。俺は何だか気恥ずかしくなって、相手に聞こえやしないのに咳払いなんかしてから手を振り返したっけ。 それで、今か今かと信号が変わるのを待っていたのだ。そわそわと落ち着きのない姿をあいつが楽しそうに見ていたのを覚えている。ちっとも変わらない信号にやきもきしだした頃、ぽーん、と俺の脇を何か丸いものが跳ねていった。青いゴムボールだった。ボールは止める間もなくあっという間に道路内へと侵入した。――それを追いかけていった子供と共に。この辺りは道幅が狭く、比較的交通量の少ない道ではあった。けれど、直線続きのためスピード違反が絶えない場所でもあった。そして、このときはたまたまそういったマナーの悪い車が向かってきていて。 ――転がるボール、立ちつくす子供、急ブレーキ、クラクション、悲鳴、駆ける脚、突き飛ばす腕、そして、衝撃。 「……っ……!」 俺はそこで考えることをやめた。背中を嫌な汗が濡らし、いつの間にか握りしめていた手のひらがわなわなと震えている。認めたくない。認めたくないけれど、これは。 「そう、お前は死んだ」 あっさりと告げ、少年はとんと俺の胸を押した。殆ど力など込められていなかったのに、俺はたったそれだけのことでバランスを崩した。 「死んだんだよ」 尻もちをついて俯いた俺に、少年はまざまざと容赦のない事実をつきつける。 「子供を庇って、車にひかれて、死んだ。即死だった」 「……」 「ありふれた悲劇だ」 ――それこそ、何千何百と繰り返されるほど。 目を伏せ少年は疲れたように呟く。彼が言葉を重ねるにつれ、俺は俺の死が紛れもない事実であると実感しはじめていた。 死。思えばここで最初に目覚めたときも彼はこんなことを言っていた。 “死んだのか”と。 「慰めにもならないだろうが、子供は無事だ」 「そうか…うん、それが聞けただけでも良かった」 本心だった。 「憎くないのか?お前はそいつのせいで死んだも同然だぜ」 「はは……かもな。でもさ、あれは俺が勝手にやったことだ。俺が、あの子を助けたかったんだ。あの子は何にも悪くないよ」 「……馬鹿なやつ」 「ひっでーなぁ。そりゃ死んじまったのは想定外だったけど」 良かった。あの子、助かったんだな。話を聞いているうちに少しずつ余裕が戻ってくる。 死という結果は確かにショックではあった。けれど、最後の最後で人の助けになれたなら俺の人生捨てたもんじゃなかったな、と誇らしくも思う。不思議と俺は穏やかな気分だった。 顔を上げ、まっすぐ少年の目を見る。俺がこんなふうに納得できたのは、この少年がことの顛末を伝えてくれたからに違いなかった。――教えてくれてありがとう。精一杯の感謝を込めて礼を言うと、少年は苦りきった、何かを諦めたような顔をした。 「…お前がそういう奴じゃなきゃ、あいつもああまで狂いはしなかっただろうに…」 「え?」 「こっちの話だ」 喋りすぎた、とでも言う風に彼は口元をおさえる。つくづく秘密主義な奴だなと思ったが、詮索はしないでおいた。 「ところで俺、これからどうすれば…」 言いながら膝に力を込めて立ちあがる。死んだ俺がいるのだから、ここは死後の世界ということになる。しかしそれにしたって殺風景がすぎやしないか。別に物語に出てくるようなメルヘンチックな場所を想像していたわけではないが……。天国とまではいかなくても、もう少しまともな場所で眠りたいというのが本音だ。 「心配しなくてもおねんねは当分先の話だ。第一、ここ死後の世界じゃないし」 「は?」 「似たようなものだけどな。…まぁそれはいいとして、俺はこれからお前の死をなかったことにする」 リセットさ、と、少年は飲みに誘うような軽さで言った。……いやいや待て待て待て。君は何を言っている。 「お前に早死にされるといろいろ都合が悪いんだよ。…あいつの心の整理がつくよう、八十くらいまでは生きててもらわないと」 「ちょ…待ってくれ意味がわからない説明を」 「したところで、リセット後の世界では忘れてる。必要ないさ」 ばっさりと切り捨て彼はそっぽを向いた。子供か。 「とにかく、次は絶対に死ぬな。事故死なんてもってのほかだ。這ってでも生きろ」 あんまりな言い草に、俺は非難の意を込めて彼の名を呼ぼうとした。そしてはたと、そういえばまだ名前を聞いていなかったなと気付く。 「なぁ、せめて名前くらい教えてくれよ」 「どうせ忘れる」 一蹴だった。 「なんだよ、忘れないってば」 それでも俺は喰い下がった。わけのわからないことを言うだけ言って名前すら明かさないなんてずるいだろう。それに忘れるか忘れないかなんて、やってみなきゃ分からないじゃないか。少年の小馬鹿にしたような態度を受け、俺は意固地になっていた。 「いーや、忘れるね」 やけに自信たっぷりと少年は言いきった。未来予想というよりもはや事実確認に近い、そんな口ぶりだった。 どう切り返そうか考えあぐねていると、彼はもう一度「忘れるよ」と呟いた。それまでとは明らかに雰囲気の違う、寂しげな表情。俺は思わず固まった。 少年は困り顔の俺を見てひとつ微笑み、それから右手でこちらの顔を覆い―― 「なんせ1564人のお前が実証済みだ、ヨハン」 その言葉を最後に、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。 自己犠牲のすえ死ぬヨハンと、彼の死により狂ってしまう十代。そしてそんな十代を救うため世界をリセットするメタ十代。しかしどういうわけか、何度やり直してもヨハンは自ら死に向かってゆく…というどうしようもない厨ニストーリー。最後の1564(=ひとごろし)は、ヨハンの死が十代の人格を殺しているという暗喩もどきでした。 |