∴ 駆け引きなんてできやしない





改めて思い返すと勢いとは恐ろしい、としか言いようがない。
ヨハンに見つからないようにと苦心した結果、指輪は引き出しの肥やしに成り果てている。

十代は先程より幾分か重い溜息をつくと、窓に寄りカーテンを開けた。
鬱々とした気分を吹き飛ばすように明るい日差しが降り注ぐ。
窓を残し遮るもののなくなった室内を、春の暖かな陽気が照らした。

ぎしっ、と日陰を奪われた不満を訴えるように背後のベッドが鳴る。
びくりと肩を震わせふり返った十代の目に、掛け布団を体に巻き付けるようにして寝がえりをうつ背が映った。
安眠確保のため無意識下で行ったことらしく、程なくすうすうと規則正しい寝息が聞こえだす。
ほっと胸を撫で下ろし、その場にしゃがみこむ。
未だ布団と宜しくやっているのは、件の親友ヨハン・アンデルセン。
彼が家にやってきては深夜まで過ごし、そのまま泊っていくのはよくあることだ。
おかげで十代の家には食器や歯ブラシ等ヨハンの私物が着々と増えている。
「のんきに寝ちゃってさぁ…」

十代の葛藤をよそに、ヨハンは一人安らかな夢の中だ。
理不尽な恨みごとと知りつつも、そうでも思わないとやってられないというのが本音であった。

(なんだって3日前の俺はこんな指輪に固執してたんだか。
たかが指輪だぞ。
それに親友を、しかも男を重ねるとかねーよ。
ましてや他の誰にも渡したくないとか。
ない、ない、ねーよ。)

ないないづくしの状況に、ますます頭を抱える。


「なーに一人でブツブツ言ってんだ十代?」
「うぉっ!」

ごく近くで鼓膜を震わせた声に、十代は大仰に肩を揺らした。
彼の正面にはいつの間にか膝を抱えたヨハンがいて、不思議そうに顔を覗き込んでいる。

「ヨハン!起きてたのかよ!」
「今起きたんだよ。で、それどうしたんだ?」

あくびを噛み殺しながらヨハンが十代の手を指さす。
それ、とはもちろん例の指輪である。
当の本人にはすっかり忘れられていたが、指輪は今も手のひらできらりと存在を主張している。
興味津々といった様子で青い頭が揺れるのを見て、十代は腹を括った。
できればヨハンには知られたくなかったが、今更隠しても遅い。
ならば下手に隠すより、適当な理由をつけて納得してもらうのが得策というものだ。

「あ、ああ。これな。前にヨハンと行った店で記念に買ったんだけどさ。結局使いそうになくて。
ええと…欲しいならヨハンにやるよ」
「えっいいのか?」
「もちろん」

とっさに浮かんだにしてはなかなか良い案だと十代は内心自賛する。
自分で持っていても手に余り、かといって他人には渡したくない。
しかしヨハンなら話は別だ。
彼に貰ってもらえるのならきっと指輪も本望だろうし、自分もくだらない嫉妬をしなくてすむ。
そう考えての行動であった。

「じゃ、ありがたく受けとるぜ!…へぇ、綺麗だな」

日を透かしより透明度を増した翡翠色の石を、楽しげにきらめく同じ色の瞳が捉える。
一瞬、十代は呼吸を忘れて魅入った。

「ありがとな、十代」

弾む声にはっと我に返り、先の光景を打ち消すように十代は軽くかぶりを振る。

「や、そんな大したもんじゃねーし気にすんな」

言って、歯を見せ軽く笑った。
むしろお礼を言いたいくらいだ、とは心の中でだけ付け足す。
十代の動揺に気づいた様子もなく、ヨハンも笑みを返した。

「そうだ。もらってばっかじゃ悪いしこれやるよ」

そう言ってヨハンは床に放置されていた鞄から何かを取り出し十代の手に握らせた。
気にするな、と言った彼に遠慮する間も与えない早業だった。
十代は多少強引ながらも優しい親友の厚意に目元を和らげる。
礼を言い、中を確認しようとゆっくり手を開いていく。

「これって…」

ヨハンからのお返しの正体を知り、十代は目を瞠った。
手の中には見覚えのある銀色。
ただしこちらの中心で輝くのは翡翠でなく、燃えるような赤。

「そ。あの店のやつ。俺もあの時買ったんだ」

まさか十代とお揃いだとは思わなかったけどな、と言ってヨハンは悪戯っぽく片目をつむる。

「そうだったのか。でも何でこれにしたんだ?お前赤好きだっけ?」
「それは…」

何ということのない疑問にヨハンは言葉を詰まらせた。
快活な彼にしては珍しく歯切れの悪い反応に、十代の眉が顰められる。
ヨハンは親友の怪訝そうな顔から逃れるように目を泳がせ、それがますます不信を煽った。
らしくない行動に何かあると確信した十代は、真っ直ぐな視線をぶつけ逃がす気はないと言外に伝える。
こうなったら十代はテコでも動かない。
そのことをよくよく理解しているヨハンは、ついに逃げられないと悟った。
深い溜息をつき、観念したように一言。

「お前ならわかるだろ。俺と似てるお前なら」

膝に顔をうずめ、ヨハンはそれきり黙りこんでしまった。
きょとん、とそんな親友を見つめていた十代だが、一拍遅れて出した結論にどくりと心臓を跳ねさせる。
脈打つ心臓を鎮めようと押しつけた手のひらから、ばくばくとせわしない鼓動が伝わる。

十代はあの指輪にヨハンを重ね、独占欲から購入した。
ヨハンも、彼の趣味でない赤い石の埋まった指輪を買っていた。
そしてその理由が、自分と似ている十代ならわかるだろうと言った。

よく似た二人のよく似た行動。
このことが示す意味は。

「ヨハン、それって、さ…!」

思わずといった風に十代の声が上擦る。
予想が正しければ、自意識過剰でなければ、彼にとって喜ばしい答えがそこにある。
うつむいた親友の髪の間から覗く真っ赤な耳が、背を押してくれているような気がした。







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お互い無意識に独占欲の強い十ヨハって良いよね、という話でした。
ヨハンの日おめでとう!

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