∴ 鏡の城 ※ジムが報われない、ヨハンが酷い 一度目。 デュエルアカデミア始業式会場にて。 「Hello, my friend!」 「あぁ」 握手を求めると、すぐに友好的な笑みと共に応じてくれた。彼とは良きfriendになれそうだ。 二度目。 留学生特別プログラムの教室にて隣に座った。 「Good morning!ヨハン、調子はどうだい?」 「よぉジム。んーまあまあかな」 世間話でもしたかったが、生憎すぐに授業が始まってしまった。次はもっと早く来ようか。 三度目。 デュエル場にて共に十代のデュエルを観戦する。 「十代の逆転劇は目を瞠るものがあるな」 「だろ?あいつとのデュエルは何回やっても飽きないぜ」 俺だって負けてないけどな、と彼は闘志をのぞかせていた。案外負けず嫌いなのかもしれない。 四度目。 採掘場にて声をかけられた。うっかり道を間違えたようだ。 「いやぁ……俺方向音痴だからさ!」 目的地まで案内する間、他愛ない会話を交わした。デッキについて、お互いの母校について、趣味について。少しは俺のことを知ってもらえただろうか。 五度目。 購買にてパックを購入する姿を発見。……どうやらお目当てのカードはなかったらしい。 「Hey,ヨハン。まぁ、次があるさ」 「見てたのかよ!」 「Sorry.百面相していたからつい、ね」 このやろ、と肘でつつかれる。気を許してくれてきたみたいだ。 六度目、七度目、八度目……。 会う度に、俺は彼の笑顔に惹かれていった。はじめこそ友人としての好意だったけれど、どうやらそれだけではないらしい、と気づいたのはごく最近のことだ。 自分でも驚いた。まさかそんなはずがないと。 けれどもどんなに否定しようと、いざ彼の前に立てば、俺の常識などまるで抵抗にならなかった。好きなのだ、彼のことが。 * 自覚してからの俺の行動は早かった。 森をふらついていたところを捕まえて、 「友人の枠を超えて、君が好きだ。俺と付き合ってくれないか。」 小細工なしの直球勝負だ。さぁ、どう答える? ヨハンは当然ながら、突然の(しかも同性からの!)告白にぱちぱちと目を瞬かせていた。あどけない仕草がやや童顔の彼をより幼く映す。 ――この顔を嫌悪に歪められたりしたらきっと耐えられないだろうな。 脳裏に一抹の不安がよぎったが、幸い危惧していたような拒絶もなく。いたって冷静な様子で、ヨハンは「恋人になれってこと?」と首を傾げた。 「君さえ良ければ。」 「ふーん。いいぜ。」 「what!?」 いくらなんでも簡単に決めすぎではないだろうか。あまりにもあっけらかんと言うものだから、俺の方が驚いてしまう。 咄嗟に気の利いた一言でも言えればよかったのだけど、生憎こちらは目を瞠ったまま彼を凝視するので精一杯だった。 「何だよその顔。俺じゃ不満か?」 いつまでも芳しい反応を示さない俺に焦れたのか、ヨハンが片眉をあげて口を尖らせる。 まさか! 使い物にならなくなった口の代わりに慌てて首を振ると、「そっか。じゃあ改めてよろしくな!」と、ヨハンは機嫌の良い猫のように笑い右手を差し出した。反射的にその白い手を取ったものの、俺は思いがけない顛末に終始そわそわとしていた。 ……とまぁこんなやり取りを経て、晴れて俺達は付き合うこととなったわけだ。 * 「ヨハンと付き合ってるんだって?」 翌日の放課後、俺を空き教室に呼び出した十代は世間話もそこそこに切り出した。 おそらく昨夜の内にヨハンから聞いたのだろう。こうして彼に呼び出されることは何となく予想がついていた。 「それがどうかしたのかい?」 「ちょっと言いたいことがあってさ。」 行儀悪く腰かけていた長机から体を離し、十代はこちらに向き直る。射抜くように鋭く真っすぐな鳶色に晒され、自然と背筋が伸びる。 「……。」 「……。」 「……ヨハンはやめとけ。」 見定めるような視線に耐えかね、俺の方から何か言おうかと迷いはじめた頃、ようやく十代が口を開いた。短く淡々とした、まるで反論を挟む余地を感じさせない強い口調。 はて、彼はこんな話し方をする人物だっただろうか。 「……それは、警告かい?」 俺とヨハンの関係が君にもたらす不都合への。 暗に訊ねると、十代はそれは違うと首を振った。 「忠告だよ。あいつはお前の手に負えない。」 「Why?俺が男だからか?」 「違う。誰が相手でも同じだ。」 言って、十代は悲しげに目を伏せる。あたりに再び重苦しい沈黙がおりた。 十代の意図が掴めない。彼は一体何を知っていて、何を伝えようとしている? 「そのうちわかるさ。」 ほとんど吐息のような調子で言うと、十代はこちらが真意を問う前に背を向け扉の向こうに消えてしまった。 * ヨハンとの交際は順調に続いた。 キスをして、ハグをして、ひとつになって。小さなことにも喜びを感じて。 愛を囁き、同じように返ってくる愛に満たされ、幸福を噛みしめる。 穏やかな時の流れは不穏とは縁遠く、俺はいつしか十代の言葉の意味を考えることを止め、そのまま多くの些細な記憶と同様に忘れていった。 ……いや。今思えば、むしろ進んで忘れようとしていた節があったのかもしれない。 なんせ、永遠に触れることのできないと思っていた空に手が届いたのだ。 確証の無い不安より、目の前にある幸せを享受したいと願うのが人だろう? ヨハンと俺の関係は所謂マイノリティであったから、人前でそういうそぶりを見せることはお互いなかった。 それでも幸せというのは伝わるようで、それとなく事情を察したらしいオブライエンに「浮かれるのもいいが、ほどほどにな」と溜息まじりに肩を叩かれたのは記憶に新しい。 とにもかくにも、この時の俺は間違いなく幸せの絶頂にいた自信がある。ヨハンを中心に、世界のすべてが輝いて見えたと言っても過言じゃない。 そう、オブライエンの指摘は実に正しく、俺は浮かれていたのだ。 そして、崩壊は突如やって来る。 なん、だ、アレは。 今しがた目の前で起こった出来事が信じられず、視線を動かせないまま立ち尽くす。 why?What is happenning? なぜ、ヨハンが……見知らぬ生徒と、キスをしている。 訳の分からぬまま呆然と見ていると相手の背中越しにヨハンと目が合い、思わず息を呑んだ。 嫌な汗がじっとりと手のひらに滲む。俺の姿を認めたはずのヨハンは、特に動揺した風もなく相手に一言二言何かを告げ、生い茂る雑草を掻きわけながらこちらへ向かってくる。 「よぉ、ジム。」 鬱蒼とした森の中に、男にしては高めのアルトが響く。片手を上げ軽く振り、気心の知れた者への親しみを見せる翡翠の瞳。 いつものヨハンだ。 信じられないくらい、いつも通りのヨハンだった。 「ヨハ、ン……。」 「さっきのアレ、ビックリしただろ?ごめんな。」 あの野郎、だからここは嫌だって言ったのに……。 唇を指でなぞりながらヨハンは心底うんざりした様子で呟いた。その仕草が妙に色気を放つものに感じられ、ぎこちなく視線を外す。 “あの野郎”とは十中八九先ほどのキスの相手だろう。これで、実は俺の見間違いであったという線は儚くも消えた。 しかしどういうことなのだろう。 浮気現場を見られた恋人の反応としては、ヨハンのこの落ち着き様はどうにも奇妙だ。もしかしてヨハンは、俺に見つかっても別に構わないと思っていたのだろうか。なんせこの森は、放課後俺たちが落ち合う際によく使っている場所だ。 「色々聞きたいことがあると思うんだけど、どう?今ならちゃんと答えるぜ。」 悪びれるどころか、ヨハンは雑談でもするかのように軽く言う。一応糾弾すべき立場である俺の方が彼に引っ張られる形になっているというのは、何だかおかしな構図だ。 「そうだね、聞きたいことばかりで困惑しているところだ。……ああいうことは、uh……よくあるのかい?」 「たまにな。自分からはしない。」 俺がかなり時間をかけて絞り出した質問に、ヨハンはあっさり答えた。本当に、彼には悪意が欠片もないらしい。 「求めには、どこまで応じる?」 「うーん……お前と付き合いだしてからはキス止まりかな。」 お別れの餞別みたいなもんだ、とヨハンは言う。 くらりとした。 「……付き合う、前は。」 お前と付き合いだしてからは、なんて前提を聞いた時点で答えなど分かりきっていたのにな。それでも俺は、この質問をするのにとてつもない勇気を要した。 「セックスまでしたよ。あ、でもこれは男だけ。流石に女の子を傷物にするわけにはいかないし。」 そう言って苦笑するヨハンの顔を、直視できない。 別に、彼が過去に誰と交際していようがその点において咎める気などさらさらなかった。恋人である以上、身体の関係を持っていてもなんら不思議でないし十分理解の範疇である。 ……多少なりとも嫉妬しない、といったら嘘になるけれど。 だがそれは、あくまで相手が特定の一人であるという常識のもとに成り立つ見解だ。 話を聞く限り、ヨハンはどうも違う。彼の場合問題なのは、付き合ってすらいない相手――特別な感情を抱いた相手でなくとも、求められれば応じてしまうという点だ。 来る者拒まず。つまりはそういうことなのだろう。 『忠告だ。』 忘れかけていた言葉が蘇る。 「……ヨハン、十代は好きかい?」 「え?……好きだけど。」 「なら、ダイノボーイは?」 「好きだぜ。」 「トゥモローガール。」 「好きだよ。」 「……俺は?」 「好きに決まってるだろ。何だよ急に変なこと聞いて。俺はみんな好きだよ。」 みんな、平等に好き。 それは裏を返せば、誰も特別好きではないということではないだろうか。屈託のない翡翠の中に映る、口を真一文字に結び情けない顔をした自分を悄然と見やる。 ――ヨハンは鏡だ。 一見すべてを受け入れているように見えて、その実すべてを拒んでいる。彼は向けられた好意をうつし取り、そっくり相手に返すことで他者との関係を成り立たせているにすぎない。それは、彼から向けられる好意に彼自身の意思など存在しない、ということを意味する。 付き合おうと言ったとき、殆ど考えるそぶりを見せずに了承した。 キスをするときも、ハグをするときも、いつも受け身だった。 放課後を過ごすようになったのも、俺が足を運んだのがきっかけで。 思い返せば、行動の起点は常に俺にあった。こんな簡単なことに今まで気がつかなかったなんて。浮かれていた、としか言いようがない。 (俺は一体、ヨハンの何を見ていたのだろう。) 彼は、誰からの好意も受け取る気などさらさらない。誰の声も、彼には決して届かない。 「……ジム?」 凛と前を見据える姿が好きだった。どんなときも揺らがない強さに惹かれた。 想いが受け入れられたとき、本当に、本当に嬉しかった。 「ヨハン。」 「ん?」 「俺たち、別れようか。」 あっけない終わりだった。 |