∴ モラトリアム




※学パロで双葉十代×ヨハン




カンカンカン、とけたたましい音をたてながら、アパートの階段を駆け登る音が聞こえる。
徐々に近づいてきた足音は俺の部屋の前でぴたりと止まり、あたりに静寂が戻った。
が、それも束の間。
大きく息を吸う音がして、ついで良く通る馬鹿でかい声が響きだす。

「ヨハ―ン!いるか?いるんだろ―?」

毎度のことながら、こういう時この安アパートに呼び鈴が無いことが悔やまれる。
次に引越しする際は呼び鈴の有無を必ず確認しよう。
俺が決意を新たにしている間にも、扉の向こう側では相変わらずの声量で人の名前を連呼している。
これ以上うるさくされてはたまらないので「今開ける!」と返し、レポートを書いていた手を止めて入口へむかう。

ドアノブと一体になっている摘んで捻るだけという簡素な鍵は、その見た目に相応しい呆気なさで役目を終えた。
何かと物騒な世の中いささか無用心だが、19インチテレビとミニ冷蔵庫、
申し訳程度の家具を置いただけでいっぱいいっぱいの部屋にわざわざ押し入ってくる物好きもいないだろう。
鍵を外し、内外を隔てるのはいよいよ薄い扉一枚となったところで、待ちくたびれているだろう来訪者を迎えてやろうとドアノブに手をかける。
するとこちらが力を入れるまでもなくぐるりと回り、勢いよく扉が開いた。
当然ドアノブと握手していた俺は引っ張られ、つんのめりながら出迎える羽目になった。
突然の出来事に心拍数を急上昇させた俺に「おいおいヨハン何やってんだよ―」と笑いを含んだ声をかけたのは、やはりというかなんというか十代だった。

「お前な…誰のせいだと思ってんだ」
「へへっ。俺のせい?」

十代は悪びれるどころか、悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべている。
その顔に毒気を抜かれてしまうあたり、俺も大概こいつに甘い。

「はぁ…。それより十代、階段をのぼる時は静かにしろっていつも言ってるだろ」

近所迷惑なんだよ、という意味を込めて階段脇の貼り紙を指差す。
つられて顔ごと視線を動かした十代は内容を把握すると、うげっと顔をしかめた。
そこには特大のマジックで「階段は静かにのぼりましょう」と書かれている。
連日十代によってつくりだされる騒音に頭を悩ませた大家さんが、今朝方貼ったものだ。

「若い男の、しかも外国人の一人暮らしってことで、大家さんには何かと良くしてもらってる。
俺は恩を仇で返すような真似はしたくない。それ以前に騒音はマナー違反だ。
今まで何度もそう伝えてきたのに、十代ときたらちっとも学習しない。」
「うう…」

既にお約束となりつつある小言をぶつけてやると、貼り紙との相乗効果か、十代は珍しくバツの悪そうな顔をした。

「悪かったよ…その、ヨハンに会えると思うとつい…」
「つい?」
「嬉しくて…」
「走り出しちゃうわけか。お前は犬か!」
「ううう…」

一喝すると十代は情けない声をあげて、肩を落とした。
こうもあからさまに落ち込まれるとちょっと面白い。

「まぁいいや。せっかく来たんだ。上がれよ」
「!おう!」

先程までの落ち込みようはなんだったのか。
バッと勢いよく顔を上げた十代にちょっと笑い、調子の良い奴だとからかう。

「そこが俺の良いところだからな!」

ご丁寧にウィンク付きでガッチャを返してきやがった。



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十代は室内に上がり込むと、彼専用となりつつあるクッションの上に腰を落ち着けた。
テーブルの上のリモコンを取り勝手にテレビをつけ、手持ち無沙汰になったのか首を動かして部屋を見回している。
数歩と離れていない台所から麦茶をついで持っていくと、十代は「さんきゅ」と茶を置くためのスペースを空けた。
気遣いに感謝しつつグラスをテーブルに置き、向かい側に腰を降ろす。
麦茶の氷が溶けてカランと涼しげな音を立てると、それを合図に十代が口を開いた。

「ヨハン家って男の一人暮らしの割に片付いてるよな」
「そうか?こんなもんだろ」
「いや、俺だったら足の踏み場がなくなってるぜ」
「違いねーや」
「おい、否定しろよ」
「事実だからな。…で?今日はどうしたんだ?」

漫才めいた掛け合いをしつつ、先ほどから何か言いたげな目をしていた親友に助け船を出してやる。
考えがそのまま表情に出るのは十代の欠点であり美徳でもある。
十代は一瞬驚いた顔をしてから「流石だな」と苦笑を漏らし、区切りつけるように一つ息を吐いた。

「これを見てくれ」

やけに真剣な面持ちで十代が懐から差し出したのは――

「何だこれ?」
「映画のチケット。見てわかんねぇ?」
「や、そうじゃなくて。これがどうかしたのかってこと」

十代が左右にひらひらと遊ばせているのは何の変哲もない二枚の映画チケット。
タイトルは最近テレビで話題になっている恋愛もの。
女性はもちろん男性からも支持を集めているらしい。
サプライズを期待していたわけではないが、正直拍子抜けだ。

「実は…その…誘いたい人がいてさ」
「へぇ、誘えばいいじゃん?」

鈍感と呼ぶに相応しい十代がそんな相手をつくっていたことに驚きながらも、率直な意見を述べる。
すると「それができないから困ってんの!!」と身を乗り出して反論された。
衝撃でグラスが揺れ、跳ねた中身がかかる。
「冷てっ」ともらすとそれで我に返ったのか、十代はばつが悪そうに謝り身を引いた。
急におとなしくなった十代をよそに、肌についた滴を拭い思考をまとめる。

「つまり…俺に協力してほしいってこと?」
「…そうだよ」

一言認めたきり、十代は俯いてしまった。
いつもは髪で隠れている耳がうっすら赤く染まっているのを、珍しいこともあるもんだと眺める。
結構な頻度で告白されているこの親友だが、赤面なんて初めて見た。
こりゃ、本気の本気なんじゃないか?
なら、親友のために俺がすることは一つ。