∴ 届かぬ祈りと知りながら




※ヨハンが故人です。苦手な方は注意。




綺麗に整えられた顔は穏やかなものだった。
ひょっとしたら生前よりも。彼の晩年は、ひたすら苦痛に耐える日々だったから。
事情を知らぬ者が見たら、眠っているだけだと思うかもしれない。
ただ、血の通わぬ青白い頬が、上下することのない胸が、彼が既にこの世の者ではないと語っていた。
涙はでてこない。こんな俺を、彼は薄情な奴だと笑うだろうか。
そこまで考えて、彼が微笑む機会は二度と訪れないことに気づき自嘲する。
ばかだなぁ俺。死んだら笑うも何もないだろうに!
いよいよ可笑しくなってきて、防音設備の行き届いた個室なのをよいことにげらげらと笑い転げる。

彼は死んだのだ。
だから最期の別れを告げにこの病室へ来たのではないか。
目的を忘れてしまうなんて、間抜けにも程がある!ああ、可笑しい可笑しい!

発作のような笑いは止まらず、生理的に浮かんだ水が目尻を滲ませる。
やがてそれは許容量を越え、重力に従いこぼれ落ちた。
頬をつたうひとすじの雫。
外気に晒され冷えた雫は、それでもきっと、目の前の身体より温かい。
哄笑はいつしか嗚咽へと変わり、冷たかった雫は今では確実な熱をもって目の奥から溢れる。

(なんでだろうな。
俺、治らない病気だって知ってたのに。苦しんでる姿を何度も見てきたのに。
お前がいなくなるだなんて、これっぽっちも思ってなかったんだ。
だってお前、平気だって笑ってたじゃないか。
全然平気じゃない顔で、無理してるのが丸わかりだったけど。
でも、お前が言うなら信じようと思った。信じて縋るしかなかった)

そうして都合の良い希望しか見てこなかったつけだろうか。
俺は死ぬということがどういうことなのか、全然、なんにもわかっていないまま今日を迎えた。
こうして永遠に時を止めた親友の姿を見るまで、実感がまるでなかったのだ。
覚悟なんて、できているはずがないだろう?

(…なぁ、笑ってくれよ。
お前が笑ってくれれば、俺はそれでもう大丈夫な気がするんだ。
頼むよ。一度だけでいいんだ)



――だからどうか、俺に笑いかけてくれ。











届かぬ祈りと知りながら(それでも願わずにはいられない)


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