俺はこの世界で誰が一番好きかと聞かれれば、迷わず伊作さんだと答える。そこは揺らがない。
でも次点はモッチーだから、俺は現在モッチーの部屋にいて、期間限定とはいえ彼女の湯飲みになっている。
きっと俺と同じ故郷だとか、女の子だからとか、そんな理由じゃなくて――うん、うまく言えないけど、俺はモッチーを護らなければ、と思ってしまう。
別に恋愛感情は抱いてないと思うんだけどなぁ…?謎。まぁいいや、愛してるからってことにしておこう。俺は愛してる人達には優しい奴なんだ。
「帰りたい…」
夜中、他に誰もいない部屋でモッチーがそう呟くのはもう毎夜の話だった。
真っ暗な部屋なのに、視線はずっと俺に向けられている。…心の拠り所が湯飲みって、相当参ってるよな。
「恒希さん、」
え?!は、はい…!
突然呼ばれた名前に気分的にびくっとなりつつ意識をさらに集中させる。
モッチーの顔は段々と歪み、やがて頬には一筋の涙が流れた。
「独りは怖いよ…っ」
ああ…確かに、最近のモッチーを見ていると、わかっていたはずなのに想像よりずっと重かった現状に、俺も行き場のない怒りを感じた。
モッチーは絶対的に一人ではなく、それなのに独りだ。
「――」
続いた言葉は、声には出されなかった。
何で、そういう肝心なところ声にしないんだよ。言ったって、拒絶しねぇよ。むしろ言わなくたって、
「助けに来たよ、モッチー」
前世の私服を着て突然変身しているのにも、いい加減慣れてきた。何て言うか、これはたぶん俺が追い詰められた時とか切羽詰まってる時とか、そういう時に俺の意思とは無関係に起こる…んだと、思う。
モッチーは突然現れた、ともすれば夜這いかけに来た不法侵入野郎である俺に目を見開き、それかららしくない疲れきった笑みを浮かべる。
「夢?」
「…モッチー、どうした?誰かに何か、言われたのか?」
俺が聞くと、モッチーは素早く頬の涙の痕を拭い、目を伏せた。
「何でも、ないですよ」
「モッチ、」
「恒希さん、わざわざ来てくれてありがとうございました」
そんな作り笑顔は、要らない。
「こんな夜遅くに、私のせいですみません。もう帰って、」
「煩ぇ」
「…え?」
「煩ぇよ。いいから泣け。吐き出せ。モッチーは天女じゃない。普通の女の子が、いきなり室町時代の…漫画の世界に来て、何も苦しくないわけない」
俺はね、きっとこの世界でただ一人、誰もが笑うだろう君の話を心から信じてるんだよ。
だって君は、××と××だから。
…あれ、今俺…いや、何でもないか。
「俺は…ヒーローだから、助けてやるよ」
お世辞にも優しくとはいえない、いっそ叩くようにモッチーの頭に手を乗せる。
モッチーはまた顔を歪め、子どものように泣き出した。恥も外聞も今は考えなくていい。
俺は愛する人のためならヒーローになれちゃう男なんだ。
「っ…怖い、です。過ぎた中身の無い好意も、冷たい視線も…私、来たくて来たんじゃないのにっ!」
「うん」
そもそも、理不尽なんだ。好意も嫌悪も、的外れ。
「あの人、善法寺さんは…狡い。私、何にも持ってない。本当は、平成に帰りたいって、それも嘘で、平気なふりも疲れて…戻れても私には…味方なんていなくて、家族は怖くて、友達なんて嘘で、居場所なんてないのに…っ!あの人、何でも持ってて…恒希さんだけが、私に優しかったの!なんで、ずるいよ…っ!!」
俺は誰かを亡くしたことも、無くしたこともない。家族も友達も恋人も、俺の愛する人々は誰も死ぬことなく、俺が一番最初に事故で死んで、気づけば第二の人生。
そんな、大切な人を無くしたことのない人間には、人の苦しみを想像するしかない。まぁ、それはそれで結構歯がゆくて嫌なもんだってことだけは言わせてな。
「でも私、こんなこと言って貴方に嫌われるのが一番怖かったのに…っ!」
何でモッチーは、こんなに自分に自信が無いのか。俺がどうして今のでモッチーを嫌いになるんだよ。
「恒希さんが、優しいからっ!ばか…っ!ひっ、うぇ…」
「馬鹿でもいいけど、俺はモッチー好きだよ?」
嗚咽が酷くなったモッチーに本心を言えば、モッチーは少し固まった後俺を睨んだ。
え、初めてモッチーに睨まれた。
「…そうやってまた、勘違いさせる。何人女泣かせたんですか」
「あ、胸が痛い。わかんないです」
前世の話ね、前世の。ある意味…数えきれないくらい泣かせはしましたね。女の敵でした。すみません。
「…あーあ」
呆れたように、また何かを諦めたようにモッチーは俺の顔を見た。だけどその顔は嫌に明るくて、どこかすっきりしているような印象を俺は受けた。