女主短編 | ナノ




喉笛を、キスするように噛み千切った。

男の悲鳴と一緒に溢れる、水音。コポコポ。
けれど男が絶命した決定的理由は、その憎悪の両手が私の喉に絡みついた瞬間だった。

「ご主人様の、うそつき」

私の事殺さないなんて言って、ちょっと私に殺されかけたからって契りを破ろうなんて。悪い人。罰が当たったわね。
汚い血を吐いたらクスクスと笑う。ご主人様、いやもうただの屍な男の全身に軋み巻きつくリボンを丁寧に巻き取った。
やっぱりアナタには、この色は似合わない。

だって、この色はただ一人のもの。私を支配出来るのは今も昔もそして永劫ただ一人、だけなのよ。




アタシの最初の記憶はゴミ山。
ゴミに蹂躙されたような世界で、いつの間にか暮らしていた。

物心つく前からゴミ山で一人だったなら死んでいただろうから、少なくとも世話してくれた人は居たんだろうけど、生憎記憶には無い。それについて知りたいとも思わなかった。

ただ、永遠と続くゴミを漁る日々の中、次に鮮明に覚えているのは少し見上げた先にある女の子の笑顔だ。
女の子は、とてもとてもアタシを大事にしてくれていた。
アタシが髪を邪魔だと言ったら、いつも綺麗な赤色のリボンであたしの髪を結んでくれた。その色は確か赤じゃなくてちゃんとした名前があった気がするけど、もうアタシは覚えていない。赤より、少し暗くて深い色。
何色だったっけ、と聞きたい女の子はある日突然ゴミ山から姿を消してしまったから。

あれから十数年。
もうあの子は死んでいるだろう事なんて理解してるけど、擦り切れたもう使えないアタシの好きな色のリボンは御守りとしていつも持ち歩いていた。色だけで無く、女の子の名前さえもう忘れてしまったけど。


「…」

どうして今になってそんな事を思い出したって、偶々蜘蛛の仕事帰りに見掛けた出店で、何度となく見て記憶した色のリボンを見つけたからだ。
その小さな出店は、同じく小さな机に深くて暗いそんな赤のリボンだけが並んでいた。狂気的な程に、それだけが。そればかりが。

「…あの、この色、」

何て言うの。そう聞きたかった言葉は、店の女の顔を見て融ける。

「紅。マチに世界一似合う色よ」
「…なまえ」

忘れていたはずの名前は、あっさりと口内から滑り出た。



「アンタ、生きてたなら何で黙って居なくなったの」

立ち話も難だし、もう店閉めるからと半ば押し切るようにマチを知り合いの営む喫茶店に押し込み、ものの十分で出店を片付ける新記録を出してから喫茶店に戻れば、マチは不機嫌そうにアイスティーの氷をストローでカランコロンと涼し気な音を立ててかき混ぜながら私を睨んだ。

「人攫いに会って、奴隷として売り飛ばされてたのよ。もうその家の当主がしつこくてさ、これでも自由の身になれたのは最近なのよ?」

と言うか、つい一ヶ月前の話だ。
たぶん拗ねていたマチの顔は、今度は少し心配そうなもの変わって私の頭からつま先までを緩く見上げ見下ろした。ああ、かわいい子。

「大丈夫よ、そいつの念が拘束系だったから長期戦になっちゃったけどちゃんと後腐れ無くして来たわ」
「…別にアタシ、何も言ってないけど」
「あらそう?」

目が心配ですって言ってたから、つい。
そう口に出すとまたツンと拗ねてしまったマチに、私はご機嫌を取るようにマスターに私お気に入りのフレンチトーストを注文した。安っぽいフレンチトーストとは違って、糖度よりもバターの香りと食パンの風味がしっかりしてサクサクのふわふわで美味しいんだ。

「マチは相変わらずかわいいね」
「は?!」

あ、赤くなった。かわいい。

「口説いてるとこ悪いが、お待たせいたしました、フレンチトーストですお客様」
「ふふ、マスター本当に邪魔。頼んでからまだ三分なんですけど。馬に蹴られるわよ」
「絞め殺されるの間違いだろ」

余計な事を、と少し落ちた機嫌を視線に乗せて睨めば、マスターはひらひらと手を振って厨房に戻って行った。
私とマスターのやり取りをじっと見ていたマチに、すぐ表情を笑顔に戻してフレンチトーストの皿をマチの方に押した。

「マスターはうざいけど、料理の腕は確かだから食べて」
「…ああ」

一口食べたマチの顔が僅かに綻ぶ。それだけで、私はマスターの事を許した。マスターはマチに感謝するべきね。

「それはそうと、リボン…もうしてないのね」

さすがに最初からそれに触れるのはどうかと思って黙っていたけど、マチの頭にかつてのように紅のリボンが彩られていないのがやっぱり残念でぽつりと零す。マチはそれに目を見開くと、ナイフとフォークを投げ出すように皿に放り、着物のような服の胸の合わせ目に自分の手を突っ込んだ。
それをただどうしたのだろうと不思議に見ていた私は、中から出て来たその擦り切れた紅に、時を止める。…ああ、泣きそうだ。

「もう結べないから、御守りにしてたんだ」

好きよ。
照れ臭そうに笑ったマチに、私は、震えそうな声も潤みそうな涙腺も大き過ぎる想いも全て抑え、そしてわらう。

「ありがとう。…でも、やっぱりその綺麗な髪に結んで欲しいから…新しいこれも受け取ってくれる?」
「ああ、喜んで」

まるで結婚指輪を嵌めるかのように、私はマチの髪を壊れものを扱うように触れ、紅を灯した。



幸せの絶頂を過ごした私は、マチのさっきまで座っていた椅子をただ余韻を噛み締めながらじっと見ていた。
なのに、そんな幸せをぶち壊すようにマスターが私の視線の先に腰を下ろす。思い切り睨みつけた。

「何よマスター、文句でも?」
「俺というより、あの子が可哀想だろ。あれ、"お前のリボン"だろ」
「あら、変な事言うわね。あれは元から私のものじゃなくて"彼女の為のリボン"よ」

この念を作ったのは、元からマチにリボンを渡す為なんだから。

「お前、あの子の事気に入ってるのかと思ってたのになぁ。まさか絞め殺したかったとは」
「はぁ?さっきからマスター、勘違いしてない?」

確かに私の念能力、契りの紅(ホーリネスヴァウズ)は、私がリボンをプレゼントした相手が私に誓った言葉を違えると全身を絞め殺す能力だけど、それは一面だ。
別に、誓うのは渡した相手しか出来ないわけじゃない。それにマチは何も誓っていない。

「私がアレに込めた誓いは、ただ私自身が"生涯貴女だけを愛し抜く事を誓います"だもの。私が破ったら勝手に私が数多の紅に絞め殺されて死ぬだけ。私の最愛のマチには、不利な事なんて塵程もないわ」
「そりゃまた。お前の愛の重圧だけで殺されそうだがな」
「それで死ぬなら、とっくの昔にマチは死んでるわよ」
「はは、そうか」
「ふふ、そうよ」

病める時も、健やかなる時も、生涯貴女だけを愛し抜く事を誓います。愛しい人。


ーーー
結婚式だけど主語は単数系の独りよがりです。マチさんの方はあくまで姉妹愛やら友情しか感じてません


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