15

「すぐに中国に帰れなくなったこと、怒ってるのか?」

 嫌な空気を振り払うかのように、長曾我部は笑った。男は私が放り投げたカラクリに手を伸ばし、拾い上げる。亀のようなカラクリは、背中に真っ二つにひびが入っていた。男はそれを見て、顔を引きつらせた。

 怒鳴り散らすかと思ったが、男は首を横にふってため息をついただけだった。そのカラクリを壊れていると言った物の横に並べて、男は私に笑いかける。その行為が、私をまた苛立だせた。

 限界を超えてあふれだした苛立ちは底が見えず、出口を探して私の中で暴れる。頭が割れるように痛い。全てを叩き壊してしまいたいような、激しい衝動に駆られるのだ。

 長曾我部は私の肩に手を置いた。ぞわりと全身の毛が逆立つ。

「大丈夫だ、時間はかかるかもしれねぇが、俺が何とかして」

「違う!」

 私は長曾我部の腕を衝動的に振り払った。たった一言叫べば、言葉と感情が堰を切ったように溢れ出す。

「何故貴様は我を疑わぬのだ。我が中国に帰ったのち、四国に不利な情報を話してしまうかもしれぬ。もし、それでこの地が攻められたら貴様はどうする? 貴様のくだらぬ自己満足の情で我を助け、この地が脅かされたらどうするのだ!」

 ピシッと一瞬、空気が凍った。しかし、私はその場の空気など気にしている余裕はなかった。

「貴様を見ているとイライラする! 何ゆえ貴様のような男が領主なのだ……貴様のような愚かな男は領主には相応しくない!」

 言い切って、私は一息つく。まだ心はもやもやとしたままで、気は晴れない。まだまだ言いたいことはたくさんあった。

 領主とは、国を最優先に考えるべき立場であるはずなのだ。国と家をその身を犠牲にしてでも守り抜き、存続させるべきなのだ。私がそうやって生きてきたように。

 私はただ一つ、この男の存在を否定したかった。私が毛利元就であるために。私が生きた道が、正しかったのだと証明するために。

 だから、私は本来なら、とっくの昔に殺されるべきだった。気まぐれで生かされるくらいなら、私の道を信じて死ぬべきだった。凍って冷たくなった空気は、私の激しい感情の波にあてられて、じりじりと熱を帯びていく。私はあふれた感情の止め方を知らない。握った掌の中で、きらきらと光が弾けているのが見えて、私はあわててそれを隠した。

「……確かに、そうかもな。俺は国や家の為にはいい領主とは言えねぇだろうよ。でもな、俺は俺の信念に従ってあんたを助けた。」

 私とは対照的に、長曾我部は冷静な声で言った。だが、その瞳の奥には確かに燃え上がるような感情の炎が揺らめいている。

「俺は決めたんだ。もう誰も見捨てないってな。俺が助けられる命なら、全部助ける。全部守る。それが俺の、生き方だ。くだらねぇなんていわせねぇ」

「愚かな。全てなど、できぬことを簡単に口にするでない。何かを守るためには何かを犠牲にしなければ守れぬわ。全てを失ってからでは遅いのだ」

 長曾我部の言葉に、私はまた食って掛かる。男はムッとしたように私を見た。

 私がこの男を理解できないように、この男も私を理解できないのは分かっていた。だから、こうなるのは必然だったのだ。相容れない存在は、否定し合って、どちらかが消えてなくなるまで争う。

 気付けば、もう日は西の空に傾いて、世界は真っ赤に染まっていた。まるで、ここは戦場のようだ。言葉は刃に、体のかわりに心を傷つけあう。

「やってみなけりゃわからねぇだろ! 俺はやりもせずに最初っから諦めたりはしねぇ。少なくとも俺は、今までそうやってこの国を守ってきた」

 長曾我部もさすがに腹が立ったのか、声を荒げて言う。長曾我部の吐く言葉はきれいごとばかりで、吐き気がする。

 私はこの男の生き方を認めるわけにはいかない。この男を認めれば、私が家を守るため、犠牲にしてきたものがすべて無駄だったと認めてしまう事になる。犠牲にしてきた兵たちの命は、中国のため私が殺した人々の命は、どうなる。何のために私が生きてきたのかも、分からなくなってしまう。

「それで、貴様はすべてを守れたと? 違うだろう。兵が一人とて死なぬ戦などありはしない。国とは、家とは、犠牲の上に成り立つ物なのだ!」

 一瞬、長曾我部が言葉に詰まる。私の言葉は正論のはずだ。私は何も間違っていない、間違ってなどいない。何度も何度も自分に言い聞かせてきたのにどこかでそれを信じられない私の心が、ようやく落ち着く、はずだった。

「……だからって捨てていくのか? そんなんじゃあ、あんた、いつか一人になっちまうぜ」

 ひやりとした刃の言葉が、私を貫いた。

「……っ! 黙れ!」

 傷口から血がにじむときのように、じわじわと体が熱くなる。私は何も言い返せなかった。それもまた、正しかったから。

 急激に場の熱が下がっていくのを、私は感じた。それでも私の体の中は熱いままで、この熱をはきだそうと呼吸が早くなる。

 苦しい。でも、その言葉だけははきだしてはいけない。寂しくなんてない、孤独でいい。その生き方を私が選んだから。私が大切なものは一つだけでいい。家さえ、毛利家さえ残れば。

 それなのに、なぜ長曾我部は、あの男は、私と同じ立場であるはずなのに笑っていられるの。何故私を助ける、信念とは何だ。何故あの男の周りには笑顔があふれているの。何で、そんなに幸せそうなの。

「おい、泣いてるのか?」

 長曾我部の言葉に、私は自分が涙を流していることに気付いた。慌ててそれを拭って、ぎゅっと瞳を閉じた。必死に涙を止めようとするが、一度溢れ出したものはなかなか止めることができない。

 本当は、私は知っているのだろう。一番愚かなのは私で、間違っているのも私だということも。私というものを正当化しようと必死になって、それが滑稽で、馬鹿馬鹿しいことだということも。

「……我は、ひとりだ。みんな、死んでいく……弱いから、守れないからっ……」

 異母弟を手に掛けたあの日から、私は何も変わっていない。苦しいのが嫌だから、逃げて見ない様にして、自分の心に蓋をした。

 でも結局、何も変わってはいなかった。変わったのは環境だけ。兄が死に、異母弟が死に、私が一人になった。ただそれだけだ。

 ぐらぐらと、世界が滲んで揺れる。それなのに、嫌に現実ははっきりと見えた。ふらりと頭から倒れそうになった私を、長曾我部が支える。

「……俺は、あんたがどんな生き方をしてきたのかしらねぇ。でも、あんたが辛そうなのは分かる」

 男が私の顔を覗き込み、眉を顰めて言う。私を支える男の腕は、大きくて、暖かかった。男の腕の中で、私はぼんやりと滲みながら、青い瞳が温かな光を放っているのを見た。

「辛い時は我慢するな。泣いたっていい。誰も怒ったりしねぇよ、きっと誰かが受け止めてくれる。辛い時も苦しい時も、誰かが隣にいれば乗り越えられるさ。思いっきり泣いちまえよ、ちょっとは楽になるぜ」

 優しい言葉に、またほろほろと涙があふれてくる。

「武士の子は、泣いては、ならぬのだ……」

 喉の奥が痛くて、目も痛くて、それでも私は必死に涙をこらえる。誰にも見られるわけにはいかないから、私は袖で顔を覆い、下を向く。唇をかみしめて、声が漏れるのを堪えた。

「いいんだよ! 武士だって人の子だ、泣きたい時ぐらいある。俺が隠してやるから泣いとけ」

 長曾我部はそう言って、私を抱え込むように腕を私の背に回した。ぎゅと抱きしめられているのだと気づくのに数秒かかり、それに気付いて抵抗したが、腕の力は弱まらなかったので私は諦めて男の腕の中に納まっていることにした。

 こうしていると、妙に安心する。暖かくて、力強い腕。私はこの腕を知っている。あの暗く荒れた海から私を救いだした、あの銀の波と同じだ。

 ああ、そうか、そうだったのか。私をあの海からひきあげたのはこの男だったのか。私は大きな腕に縋り付いて、涙をこぼす。この腕は、次は涙の海に溺れる私を救い上げてくれる。ずっと我慢してきた苦しさは、たくさんの涙になって、私の袖を重たくなるくらい濡らした。

「守らなくちゃいけねぇんだ。一人でも多く。人は孤独では生きられねぇ。あんたも、四国にいる間は俺が側にいてやるから……」

 長曾我部は、私の髪を撫でながら囁くように言った。

 私は、この男が羨ましくなった。何かを守れるほど、強いこの男が。私は弱いから、何も守れない。またそれが悲しくて、悔しくて、涙が流れていく。

 きっと、この男は私が中国に戻って、四国に攻め入ったとしても、私を助けたことを後悔しないだろう。たとえ私を斬ることになっても、長曾我部は自分の生き方に自信と誇りを持っているから。それを信じ、ついてきてくれる人たちがいるから。

 涙で滲んだ世界は水彩画のように、透明感があった。溢れ出した心は涙になって、すっかり流れてしまった。またからっぽになった心に、私は今度は何を積み上げていけばいいのだろう。東の空が朱色から紫色に染まっていくのを、私は長曾我部の腕の中からぼんやりと眺めていた。


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