甲冑を身にまとい、小さな体を少しでも大きく見せようと胸を張って立つ。もうすぐこの地に嵐がやってくる。穏やかなこの海は赤く染まるだろう。清浄で穢れのないこの地が、赤く、染まる。
陶の兵はおそらく、毛利の兵の3倍はいるだろう。相変わらず数で圧倒すれば勝てると思っている、愚かな人。はじめの敗北から何も学ばなかったのだろうか。私は兄上とは違って、平気で人を騙すことに気が付かなかったのだろうか。私の表情も言葉も、みんなみんな嘘ばかり。みんな、嘘だったのだ。
軍が厳島に上陸をはじめ、大軍がひしめいているのを確認すると、私は対岸に潜ませた兵を動かすために幻を鳥に変えて、空へ放った。上陸に戸惑っている彼の軍の退路をこっそり塞がせる。誰も毛利の船がまぎれているのに気付かない。統率がとれていないのがよくわかった。知のないものは力に頼る……ああ、愚か。知恵を持つものを一人残らず消して回ったのは私なのだけれど。
「陶軍の上陸がすべて完了したところで奇襲する」
息をひそめ、出陣を待つ兵士たちの前で私は輪刀をとった。
「よいか……何があろうと退くことは許さぬ」
冷たい瞳、冷たい声。眉一つ動かさない。完璧なはずだ。目前にあるものは勝利のみ。
陶軍の上陸が完了し、隊を整え始めた。毛利軍に緊張が走る。声を張り上げて、私は叫んだ。
「行け、退くものがあれば我が斬り捨てる! 陶軍を殲滅せよ!」
兵たちは、高台から決死の覚悟で陶軍になだれ込んでいく。無事に上陸できて、油断をしていた陶軍はいきなりあらわれた私の軍に驚いて、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
船に戻ろうとする者。海岸を逃げる者。まだ冷たい海へ入る者。追いつめられて、死んでいく。
「退路はすでに断ってある……これで、仕舞よ」
高台から一人、海を見た。海上では毛利の水軍が次々と船を沈めていくのが見えた。もう逃げ切ることはできないだろう。血の匂いを乗せた潮風がつんと鼻に衝いた。
あれだけの兵力の差があったというのに、蓋を開けてみれば毛利の大勝で戦は終わった。陶は毛利の兵に捕まる前に自害した。もう再起は不可能だろう。
大内軍の主力であった陶軍が大敗したことによって大内も大きく弱体化した。この厳島での戦いの勢いを殺すのは惜しい。尼子はまだ銀山を奪取できていない。今が大内に攻め入るチャンスだ。銀山は惜しいが、私は確実な方を選ぶ。
陶が支配していた土地で兵を集めて、夏、大内領に侵攻した。戦の大半を陶に任せていて、平和ボケをしていた彼らはもはや敵ではなかった。半年ほど前は仲間だった者たちを斬り捨てて進む。ちらほらと、見たことのある顔があった。怒りか、悲しみか、憎しみか、彼らの表情は様々だったけれど。私はどうでもよかった。斬ってしまえば皆、唯の肉の塊になった。
山口が、燃えた。
大内領を占領し、私は大内の殿様が打ち取られたと陣で聞いた。周りに振り回されて、可哀そうな人。そう思ったのは、彼が私に似ていたからかもしれない。
荒れてしまった旧大内領の復興、残党狩り、失った兵の確保。戦に勝ってもやることはたくさんある。たくさん、人を斬った。たくさん、人を殺した。家を守るために、血にまみれて、体も心も汚れた私。ふと浮かんできた感情は、何とも言えない虚しさだった。
血で染まった大地に、夕日が沈む。幼いころ見た夕日を美しいと思ったことがあった。それは宝石のようだと思ったと、記憶している。
今はどうだろう。赤い紅い光は、鮮血の色。私は変わった。彼も変わってしまったのだろうか。あの見るものすべてが美しかった日々は、戻ってこない。
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