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 人の心をつかむのは案外簡単なことだ。自分が真実を語っているのだと錯覚させればいい。そして真実の中に嘘を織り込む。そうすれば人は、それに気付かずコロッと騙されてしまうのだという。

 心をつかめば思いのまま。不安をあおって、戦力を削ぐこと、動きを封じること、おびき出すこと。有利に戦を進めていく上でこれほど重要なことはない。

 私の考えた策はとてもシンプルなものだった。幻を使って井上を見張り、それを紙に書いて送る。例えば、今日は門の前で猫を蹴りましたね、とか。直接殴り込めないので精神攻撃に私は出た。名付けるなら、不幸の手紙大作戦と言ったところか。

 不幸の手紙、このメールを一週間以内に10人に送らないと死ぬという、あの遊び。嘘だとわかっていてもなぜ受け取った人は迷惑なメールをまた送ってしまうのか。それは、その内容をどこかで信じ、恐怖しているからに他ならない。人は簡単に不安を煽られ、行動を操られているのだ。

 わざと水を多くした墨の滲んだ文字は私の筆跡を隠すだけでなく、恐怖心を煽るのにも一役買っている。幻を使ってこっそり届けた後に少し様子を見ていたが、案の定、井上は大騒ぎ。私は幻の猫の体で屋根の上に寝そべって、それを眺めた。私が城を追い出されたときに言ったあの言葉が不安の種となって芽を出したらしい。自分は祟り殺されるのだと彼の男は言った。

 週に一度、私は井上に手紙を出す。

 今日は兵を殴ったね。実はいつも貴方のそばにいる男、あいつは怪しい。私はいつもあなたを見ているよ。

 嘘を少しづつ織り交ぜながら、行動を制限し、戦力を削ぎ、心を縛っていく。不安が蓄積し、疲労も蓄積すると、井上はだんだんと病がちになっていった。だが、ここで止めるほど私は心優しいわけではない。チャンスとばかりに筆を動かし、ギリギリまで追い詰める。これは、私の呪いなのかもしれない。


 やわらかい日ざしの中、杉様と縁側で次の手紙の内容を考えながら日向ぼっこをしていると入口の方が何やら騒がしくなった。杉様が様子を見てくると、行ってしまったので私は一人、白くかすんだ空を見上げて春の風を感じた。

(春は残酷な季節だと言ったのは誰だったかしら)

 そんなことを考えながら、足をプラプラさせていると、杉様が走って戻ってきた。小国とはいえ大名の側室が走っていいものなのかと呆れてみていると、杉様は嬉しそうに私に言った。

「松寿丸様、城からお迎えが来ましたよ」

「……は?」

 いきなりのことに私は杉様の言っている意味が分からなかった。正確には言っていることはわかったが、なぜそこに至ったのかがわからなかった。ニコニコと喜ぶ杉様と状況が呑み込めない私の前に髪がはねた背の高い男が立つ。志道だ。相変わらずムッとした顔をして背筋を伸ばしてしゃんと立っている。

「井上殿が病で死にました。松寿丸様には城に戻っていただきます」

 淡々とした口調、だがその目にはどこかやり遂げたという達成感がみえた。

「井上が死んだ……、そうか……」

 私は途切れ途切れにつぶやく。どうやら本当に私は人を祟り殺してしまったらしい。良心がちくりと痛んだ。でも、後悔はしない。

 真っ直ぐ志道を見た。志道は眉間に皺を作って何か考えている。目が合うと彼は少し息を吸って口を開く。

「城に戻れば貴方は毛利の駒となるのですよ。もう後には退けません」

 毛利の駒という言葉に私は笑ってしまった。そんなこと、私は生まれる前から知っている。晴れた空に輝く星を私は仰ぎ見た。

「退く道など、端から残されておらぬわ」

 いったいどこへ退くというのだろう。私が帰る所はあの城しかないというのに。志道は何も言わずに私を駕籠に乗せた。


 駕籠に揺られていると、途中杉様は志道に不思議がっていった。

「急なことで私、驚きました。井上殿はどんな病だったのでしょう?」

 志道が駕籠の外から、さあ、と曖昧な言葉を返して私から目をそらした。それを見て私は、きっと井上は私に祟られたなどと吹いて回っていたのだろうな、と予想ができた。フン、と私は笑って志道に向かって言う。

「狐にでも、祟られたのではないか?」

 志道の瞳の奥が揺れた。杉様は相変わらず不思議そうな顔をしている。私は続けてポツリ、独り言のようにつぶやいた。

「……しかし、この世で一番恐ろしいのは、人よ」

 ゆらり、駕籠が揺れる。人々は気付かない。自分が誰かに騙されて、操られて生きていることに。真実だと信じていたことはいつの間にか、嘘にかわっていることに。

 そして、裏で糸を引く人間がすぐそばにいるかもしれないということに。


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