いつの間にか私は眠っていたようだ。寝かせられていた布団から這い出して、外を見た。日は西に傾きかけている。半日は眠っていたようだ。
今朝の騒ぎは何だったのだろう。あれはすべて夢だったのではないだろうか、と思ったが目が腫れぼったいので現実を受け入れるしかなさそうだ。
(不思議なことばかり起きる……)
私は少し長く息を吐いた。喉がカラカラで、痛い。
いつもならば、忙しく女中や家臣たちが動き回っている時間帯だというのに、今日はとても静かだ。今朝のことが原因だろう。
私はもうどうでもよくなって、畳にうつぶせに寝転がった。しばらくぼーっとしていると、遠くから足音が聞こえてきた。畳に耳をくっつけて足音を聞いていると、だんだんと足音はこちら近づいてくるのがわかった。私は急いで布団にもぐりこむ。今は誰とも会いたくない。
足音は、やはり私の部屋の前で止まった。スッと誰かが部屋に入ってくる。
「千……」
私は狸寝入りを決め込んでいたが、その声を聞いた途端、飛び起きた。布団のそばに座ろうとしていた、母上と目があった。
「ははうえっ」
そのまま私は母上に抱き着いた。誰にも会いたくないと思っていたのに、今は心穏やかだ。母上はしばらく私の背中をさすっていたが、急に泣きそうな顔になって、言った。
「何もできない母を許してください」
意味が分からず、私は首をかしげる。
「弘元様は、お家のこととなると人がお変わりになられるのです」
母上はまた震えた声でそう言って、涙をこぼした。私はどうしたらいいのかわからず、なんとなく母上が入ってきて開け放たれたままの戸から外を見た。空が茜に染まっているのが見えた。そして、まだ多少明るい廊下に音もなく影が差した。
「ちちうえ……」
そこに立っていたのは、あの冷たい目をした父上だった。廊下に背を向けるように座っていた母上はゆっくりと振り返る。
「祥は部屋より出ぬよう、申しておいたはずだが」
父上が抑揚のない声で言うと、母上は青白い顔をして言う。
「申し訳ありません。ですが、千のことが心配で」
「そなたの身を案じて申しておるのだ」
母上の言葉を遮って、父上はちらりと私を見る。
「それはまだ、力の使い方を知らぬ」
そう言って、父上は私の目の前に立つ。目の奥に揺らぎを見た気がした。
「そなたは明日から、松寿丸と名乗れ」
そう父上が言った。母上は何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わずうつむいて、また涙を流した。
私は、何となく他人事のように話を聞いていた。しばらくぼんやりと父上を見ていると、父上は顔をしかめる。
「毛利の決定だ」
感情のこもっていない声に、私はただ頷くことだけしかできなかった。
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