白は神聖で清浄な色として、遥か昔から吉事と凶事に使われてきた。色の中で最も明度が高く、光を表す色。同時に無色、何も無いことを表す色でもある。
私は色の中では白が一番優れた色だと思うのだ。世界を照らす日輪の色。全ての色の光が均一に混ざった色。でも、何も混ざっていない無垢な色。だからこそ白は特別だ。そして、それを纏うことができるのは、特別な人だけ。
白の着物には、旅立ちの意味があるという。生まれた家を離れ、新たな家の人間となる嫁入りの、白無垢。その眩しさは、嫁という特別な存在だけに許されたもの。何て素晴らしいのだろうか。姪であり娘である可愛の晴れ姿を見て、私はそう思った。
「本当に、めでたいことよ。四国と同盟以降、良いことが続く」
可愛が嫁に行き、少し寂しくなった館の一室で、それでも私は明るく言った。杉様と私が無理やりつれてきた晴久と、雑談をしながら過ごす昼下がり。話題はもちろん、嫁に行ってしまった可愛のことだった。
「日々の行いがよろしかったのでしょう」
杉様は私にふわりと言った。可愛の嫁入りで一番緊張していたのは何故か杉様だった。そんな歳でもないのだが、孫の輿入れだと張り切って準備をしていたから、全てが終わってほっとしているのだろう。
晴久は暇なのか必死に欠伸をかみ殺していた。ただでさえ春の午後は眠たいだろうに、女の長いおしゃべりにつきあわされて大変だ。我慢できずに晴久がこっそり欠伸したところで目があってしまい、彼が気まずそうにするのを私は小さく笑った。
「……五龍の方、か」
私はぽつりと呟く。可愛がお方様とは、不思議な感じがする。少し前まで兄弟と遊びまわっていたというのに、いつの間にあんなに大人になっていたのだろう。よく考えると養子にしたころには兄上が可愛の裳着はすませていたので、とうの昔に大人だったのかもしれない。
可愛の白無垢姿は今思い出してもうっとりする。私がぼうっと宙を見つめていると、晴久が私をつつく。
「羨ましいのか」
「……羨ましい?」
私は晴久の言葉を繰り返した。
「いいんだぜ、お前がそれを望むなら」
「元就様ならば、いくらでもよいお相手を見つけられましょう」
晴久と杉様がそう言って華やかに笑うから、正直複雑だった。可愛、今は五龍などと呼ばれているが、彼女が羨ましくないと言えば嘘になる。
女の子なら、誰でも一度はウエディングドレスに憧れるものだ。それがこの世界では白無垢なだけ。輿入れをするかどうかは別として、一度くらいは着てみたい。
だが、そんな望みは叶わないし、叶える必要もない。ようやく落ち着いてきた生活を、また騒がしいものにすることもないのではないかと、私は思う。
「我は、今に満足しておる。今以上を望めば罰があたる」
そう言ってみたが、本当は怖いだけなのかもしれない。この毛利家を出るのも、女として生きるのも。何も知らない民や家臣たちは、男の私が領主であることを望む。私は失望されたくない。白い目で見られたくない。その先に、確かな幸せがあるのかもしれないけれど。
「……ふうん。ま、それならいいさ」
「気がお変わりになりましたら、何時でも相談にのりますよ」
晴久はつまらなそうに言って、心底杉様はがっかりしたような顔をした。可愛がつい先日輿入れをしたというのに、この二人は何なのだ。
なんと返答するか考えていると、屋根裏で忍の気配が動いたのを感じた。どうやら私は仕事にもどらなければならないらしい。
「失礼します」
案の定、いつも通り難しい顔をした志道がやってきた。私は気だるげに顔をあげ、問う。
「どうした」
「東の方で、動きがあったとの知らせが」
志道のその言葉を聞いて、晴久の目に宿る光が鋭くなる。私は眉の間にしわを寄せ、袖の端を握った。前から起こると確信していたことが、遂に始まる。
「……予想よりも早かったな。晴久、行くぞ」
「ああ」
もう少し静かな時間を過ごせると思っていたのだが、致し方ない。すぐに対象しなければ中国が滅ぶ可能性があるからだ。私が立ち上がると晴久も立ち上がる。座ったまま不安げな表情の杉様を振り返り、私は笑顔を作った。
「杉様、失礼いたします」
「ご無理は、なされぬよう……」
杉様の顔は晴れず、声は不安に飲み込まれてしまいそうだった。巨大な闇が迫っているのを杉様も感じているのか。私の思い過ごしか、いつもより杉様の様子が変だった。
志道と晴久がさっさと歩いて行くので、私は不思議に思いながらも慌てて二人の後を追う。これからのことについて考えていたら、そのことは忘れてしまったけれど、言い表しようのない不安だけは残った。
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