36

 石畳を走ると、カツカツと靴が鳴る。ようやく港近くまで戻ってきた。もう走りすぎて足が痛い。打った腕も、時間がたつにつれて痛みが増してくる。少し休みたいが、今はそんなことを言ってはいられない。

 港は既に敵の出現で混乱していた。あんな濃い髭面の南蛮人が空から降ってきたら、混乱するのも無理はない。負傷した兵や、右往左往する兵たちの間を駆け抜けて、私は船にたどり着いた。

「オー、ワタシの船、とっちゃヤーヨッ!」

 港に停泊した毛利の軍船の上で、喧しい声で騒いでいる男がいる。髭面の、異様な雰囲気の男。あれが、ザビー教の教祖、ザビーだろう。肖像画と同じ顔だ。そして、船上にはそれに負けないくらい大声で張り合っている者達がいた。

「何言ってやがる! あれは最初っからアニキの船だ!」

「てめえにやる船なんてねぇよ! 近づくな気色悪い!」

 炎の『バサラ』の圧倒的な力の前に逃げ出す者もいる中で、必死に踏みとどまる中島と村上。戦になると人が変わるのだろうか。いつもは面倒見が良くて優しげな中島も、後ろで黙って面倒事を避ける性格の村上も、大声を張り上げている。

 言うことを聞かない二人に、ザビーは地団太を踏んだ。その南蛮人は両手に持った火器を見せつけるように構える。

「ヒドイッ! ワタシを愛シナサーイ!」

 そう叫んだ瞬間、火器がジェットエンジンのように火をふいた。ぶんぶんと、ザビーが物凄い速さで火器を振り回す。それに巻き込まれて殴られた兵は、そのまま海に落ちていった。兵士たちがどよめく。あれをくらえば痛いでは済まないと、誰もが思っただろう。

 ザビーは機会をうかがっていた弓兵たちに目をつけて、突進する。それを見た私は考えなしに飛び出した。兵とザビーの間に滑り込み、『壁』を張る。間合いも、タイミングも考えてはいない。分かりきっていたことだが、『壁』が完全に張り終わる前に突撃されて、私の体は宙を舞った。

「兄さんっ!」

 甲板の上に転がった私に、中島が駆け寄ってくる。しかし、返事をしている余裕はなかった。体の痛みを無視して起き上がる。兜が落ちて大きな音をたてた。

 ザビーは目の前に飛び出してきた私の方へ意識がきたのか、もう弓兵のことなど見ていない。私はすぐに輪刀を取ろうと辺りを探す。しかし、海に落ちてしまったのか、船の上に輪刀は見当たらなかった。

 だが今の私には使えるものはいくらでもある。私が立ち上がった瞬間、兵たちの士気が上がったのが分かった。私は男を指差し、叫ぶ。

「弓兵、怯むなっ! 放て!」

 弓兵は矢を引き絞り、ザビーに向けて放つ。四方から放たれた矢を避けることなど出来ないだろう、と思っていた。

「フンッ」

 しかし、その考えは甘かった。ザビーが火器を振ると、炎の壁が男を守る。炎の中から気持ちの悪い笑みでてきた男を見て、兵たちから落胆の声が辺りからもれた。

 これ以上兵の士気をさげられては困る。そしてあの南蛮人を何時までも調子にのらせておいては駄目だ。このままでは勝機など万が一にないが、私ははったりをかます。

「貴様の負けは既に決まっている! 無駄な抵抗は止めよ!」

 必ず長曾我部が帰って来るはずだと、私は信じていた。信者を見捨て、逃げるように船へ飛んできたこの南蛮人に、あの男が負けるはずがない。

 だから私は時間を稼ぐ。私を守ると、あの男は言ったから。必ず来ると信じて、私は兵に指示をだす――つもりだった。

「っ!?」

 突如目の前に現れた南蛮人に、私は驚きを隠せなかった。何故、先程まで私は間合いの外に居たはずなのに。ザビーに打ちつけて痛む腕を掴まれ、私は顔をしかめた。

 南蛮人は巨大だ。長曾我部よりもずっと大きい。腕を引き上げられると足が着かなくなる。南蛮人を近くで見たことが無いわけではなかったが、私はその異様な姿に恐怖し、腕の痛みなど忘れてしまった。南蛮人はあの気味の悪い笑みを浮かべるから、私は死を覚悟する。

 しかし、ザビーは私の予想もしないことを言う。

「アナタ、とってもラブリー! それに頭イイネー!」

「は……?」

「決めたヨ、アナタ、ザビー教のタクティシャンにシマース」

 私は何を言っているのか、一瞬理解できなかった。ザビーは何を思ったのか、私を子供のように扱う。タカイタカイ、などと言って私を掲げた。私は呆然とし、どうしていいか分からなくなる。頭の中が真っ白だ。

「元就様」

 毛利の兵が、ざわざわと騒いでいる。村上の声が聞こえて、はっとなった。何とかしなければ。私を子供扱いするとはなんと無礼な。こんな屈辱的な行為、許せば毛利の名に傷が付く。

「やめよっ、離せ下衆!」

 私は手足をばたばたさせて、何とか離れようと暴れる。しかし、蹴り倒そうにも足の長さが足りない。にやにや笑うあの顔を叩いてやろうにも手の長さが足りない。身長差がありすぎるのだ。

 屈辱だ。おそらく今一生分の恥をかかされた。顔から火が吹き出そうになる。穴があったら入りたい、いや、この南蛮人を叩き入れたい。

「照れなくてもイイんデスヨー、洗礼名はサンデー、なんてドウ?」

「断るっ!」

 絶対に嫌だ。タクティシャンとか、サンデーとか、絶対に嫌。私は首を振って拒否する。するとザビーはしゅんと、悲しそうな顔をした。

「アナタ、愛をシラナイネー?」

「ひっ……」

 ザビーはそう言うと、ずず、と巨大な顔が近づけてくる。私は思わず叫び声をあげた。

「ザビー教に入レバ、愛ミナギルッ」

 よく分からない恐怖が、全身を駆け巡った。私は必死でもがく。気持ちが悪い。この男は生理的に受け付けない。思いっきり叩いてしまおうと手を振りあげた、その時、私の体はザビーの手からすり抜けて下へ落ちる。

「っ!」

 体勢を崩して、背中から落ちていく。妙に滞空時間が長く感じた。頭を守ろうと体を丸め、私は目を閉じる。

 ぼす、と柔らかな音がした。私が予想していたような衝撃は襲ってこない。私は恐る恐る目を開けた。

「長曾我部……」

 最初に見えたのは長曾我部の顔だった。ほっと長曾我部が息をついた。私は受け止められたらしい。

「何もされてねぇだろうな」

 長曾我部は私をおろし、立ち上がる。私は腰が抜けて立ち上がれず、長曾我部を見上げた。彼は、怒りの表情でザビーを睨む。こんな表情は見たことがない。彼の瞳の奥では暗い炎が燃えていた。

「てめえ……ちょこまか逃げやがってよぉ」

「アニキ、しつこい男は嫌ワレルヨ」

 ザビーの挑発的な態度に、長曾我部の眉間に深く皺がよった。碇槍からは不規則に炎が上がり、熱いくらい燃えている。熱気に巻き込まれないよう、兵たちが逃げていく。

「俺は、俺の物に手ぇ出されるのが大っ嫌いでよぉ。悪いが、あんたは絶対に許せねえ」

 長曾我部が私の方を見たような気がした。立ち上がることの出来ない私をもう一度抱き上げ、碇槍をザビーに向ける。

 長曾我部が乗ってきていた軍船が、音もなく私達のいる船の横に移動してくるのが見えた。船に取り付けられた火器が、一斉にこちらを向く。まさか船ごと蜂の巣にするのではあるまいな、と私は長曾我部を見上げる。長曾我部は爽やかに笑った。嫌な予感しかしない。

「撃てやー!」

 号令と共に筒が火をふいた。私は思わず長曾我部にしがみつく。船のあちこちに穴があき、沈むのかぐらぐらと揺れた。

「オオウ……逃げるが勝チッ!」

 ザビーも慌てて逃げ出す力技だ。手に持っていた火器を振り回しながら、ザビーは沈みかけた船から逃げ、海へ飛ぶ。向こうの船で長曾我部の兵が海を覗き込んだ。黒い塊がその横を掠め、空へ飛び上がる。

 城から逃げ出した時と同じように、火の粉と煙を撒き散らし、ぐるぐると旋回した後ザビーは海の彼方へ飛び去っていった。

「次あった時覚えとけっ!」

「長曾我部、沈むっ……」

 長曾我部が海へ向かって叫んでいる間にも、立っていられないほど船は傾いて、今にも沈みそうだった。私が煙にせき込むと、ようやく長曾我部は私を連れて船をとび降りた。


 船は燃え上がり、海に沈んでいく。私はぼんやり、それを見つめていた。長曾我部は、ぼおっとする私に笑いかける。

「毛利、大丈夫か?」

「大丈夫……、なわけなかろうっ!」

 私はザビーがひっぱたけなかった分、思いっきり長曾我部の頬を叩いた。大袖の堅いところで叩かなかったのは優しさだ。

「いってぇ! 折角助けてやったのになんだよ!」

「貴様が守るなどとほざいておったのだ! 来るのは遅い、それにあれは何だ貴様も死ぬ気か!」

「ちゃんと守ってやっただろ!」

「色んな意味で身の危険を感じたわ! 船一つ、駄目にしおって!」

「あー、うるせえっ!」

 そこで長曾我部が急に真剣な顔をするから、私は何も言い返せなくなる。

「俺も、必死だったんだよ……本当に何もされてねえだろうな?」

 長曾我部は優しげな声を出して、私を抱きしめる。私は何か裏があるのかと思った。私の機嫌をとって、全て無かったことににするのではないだろうかと勘ぐる。

「……機嫌をとっても無駄よ。船は直して貰う。早ようおろせ、腕が痛くてならぬ」

 長曾我部の後ろで話を聞いていた中島が苦笑いをしていた。長曾我部は大きなため息をつく。金欠なのだろうか。ため息をつきたいのはこっちの方だ。

 空を見上げると、城から狼煙があがっているのが見える。城の主のザビーは逃げて、城は落ちた。戦は終わったのだ。

 だが、未だ大きな気配が街の中で存在しているのを私は感じていた。


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