2mm


街路樹の装いもすっかり解けて季節の境目が春のそれを象徴していた。
今はまだ咲き掛けのその薄紅色の花弁でも、もう直ぐ風に吹かれて街の足元を彩る。そんな季節だろうか。
冷たい雪の影も大分薄れてその手の車がより頻繁に行き交いを始めた頃、涼介もまた例に漏れず相棒であるFCを転がしていた。
見慣れた赤城の景色に何か物足りない違和感の正体を、今年も誰に打ち明けるでもなく終わるのかもしれない。こればかりはいつになっても抜けきらないものだ。
と言うのも、自分が中学校に上がって暫くして、ぎこちない教室の雰囲気にもそれなりの余裕が見え始めたそんな時に涼介の目についた一人の女の事である。
教室の隅で辿々しい英文を繰り返す、所謂周囲に馴染めない少し変わり者の女だった。
そして何を思ったか、偶々暇を持て余した休み時間のついでにとその女に何とはなしに声を掛けてしまったのがちょっとした切欠となって、己の心象とは反対に思いの外芯のしっかりしたその人間性に惹かれたのだ。そしてその女が生江というのだと知ったのは他人様から偶々耳にした後日談である。
訪れた周りの同級生よりも一足遅いそして決して甘いとは言い難い初恋は、それを物理的な言葉として本人に告げられる事はなくそのまま通り過ぎてしまったのだけれど。
それでも涼介にとっては十分過ぎる程だった。
言わずとも傍らに居たその律儀な奴にそれとなく思うところが通じていたからだ。
しかしそれを今更口にするのもなんだかなと互いが逃げ場を作って隔てた始末がこれであるのだから手に負えない。
ぼんやりとしつつも惰性で転がしていたFCが段々と勾配に手伝われてきたのを感じて、涼介はステアに添えた利き手にそっと力を込めた。





連なるワインディングを抜けて次第に開けてくる視界に違和感を覚えた涼介は双眸を細める。
朝の気配が差し込むのもそうだが、それより何より気に掛かったのはそこに見慣れないタイヤの跡が綺麗に描かれていたからで。
恐らくそれが馴染みの連中のものではないだろうとそう踏んだ涼介は、妙に生々しいような余韻がまだ微かに熱を帯びているのを確認する間もなく、そういった気配すらも感じられない路面に密かに眉を上げた。
しかしそのまま特にこれと言った手掛かりを見つける事も出来ずにトロトロと走ってそこから続いた一般道へと出てしまう。仕方ないと肩で息を吐いた涼介が長期戦を覚悟してシフトを切り替える。
いつも通るその交差点の赤信号に今日に限って引っ掛かってしまって、それに気付くのが隣車線のフロントタイヤよりも微妙に遅れた涼介は足元への注意が疎かになって居た事に気付かされた。
考え事をしながらの運転は多忙を極める日常では茶飯事なので今はそれが然程問題な訳ではない。
問題なのは対向車の列の合間に覗いた相棒のそれと同じ顔である。
デフ代わりにと申し訳程度に下げられたFCの窓の隙間からは同調するエンジンが一定音で刻んでいる。
さてはあの車、こちらの意趣探りを散々と手古摺らせた例によっての暴走車両ではないか。どう言った確信があった訳でもないけれど、一度それが脳裡を過ぎてしまえばもうそれしかないような。
考えがまとまる前に青へと変わった信号に、交通量の多く待たされるのを嫌う周囲の車が我先にと動き出して行くのを見届けてから敢えてゆったりと発進させた。
流れに従って向かって来る同じFCの運転席からちらと覗いたドライバーは何とも見覚えのある顔だった。
「あ」
そして一瞬、本当に僅かな瞬間の出来事だがそれでも確かに目が合ったのだ。
義務教育を終えようとする色々と忙しい受験シーズンに、それもちょうど空から雪が降り始めた時、自分よりも半歩後ろを歩く生江に突如として切り出された話を思い出した。
京都の大学に行きたいから卒業したらここを出る。
吐き出された白い息に目を遣る間もなく飛んできた声音は大方そんな感じだった。
中学生の分際である自分にはただ頷く事しか出来ず、気の利いた一言すらも浮かばなかったのは今でもはっきりと覚えている。
自分と生江が親しい恋仲であったとは傍目からしても些か言い難いものだが、こうして彼女から切り出したからにはそう受け取っても良いものなのだろうとも思っていた。
バックミラー越しに通り過ぎたFCのテールを凝視する。まだ間に合うだろうか。
片手に見えた入り組んだ住宅街の狭い敷地内でその鉄の塊をUターンさせて先来た道を制限速度も程々に再びなぞって行く。
一つだけ心当たりがあるのだ。
いざ群馬を去ろうという生江と最後に訪れた場所でもあり、つい先程にも懐かしい残り香を感じた場所でもある。逆に言えばそこに居なければそれは終わりを意味するのだ。
下ったばかりの道を上る気分は如何なものか、そんな意地を捨てられなかったばかりに手放す事になった温もりを今度こそはとそっと手繰るようにアクセルの具合を足の裏で確かめながらスピードレンジを上げていく。
ややあって見えた片手のその風景に、
「……駄目か」
眉尻を下げて笑う姿はどこか自嘲を帯びたものだった。
先に見た際よりも明らかに余計に重ねられた灼熱の跡は、それでも涼介を拒んだのだ。
意図してそうしたとしか思えないまでに綺麗に描かれた円の切れ目の向かう先は、遠い夕暮れに二人の辿ったアスファルトを差していた。
生江には新しい人生があった。ただそれだけの事なのだ。
叶わなかった己の自惚れにも近い現実にどんなに心を焦がしたところで、暗がりの高速区間を抜けた先に残されていたのは持ち主の情状と化した言外の冷光だったのだから。

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