諦めたくない


 ヴィゴはただただ大きな満月を見つめていた。
 不意に、涙ながらに自分に訴えかけてきた弟分の言葉がよみがえる。

〈お願いだ、兄貴。もう一度……もう一度、昔みたいな仕事ができないかな? みんなで楽しく……仕事を、〉

「……チッ…………」

 いくら封じ込もうとしても、頭のがんがんと響く声。ヴィゴは忌々しいといったような舌打ちをした。
 不意に月に片手をかざす。そしてそれを力強く握り締めた。

「っ……」

 しかし、しっかりと拳が握れない。
 自分の体である。ヴィゴは原因が何なのか、よく分かっていた。

(やっぱり、力が入らねぇ、か……)

 現実が突きつけられる。ヴィゴにとっては何かがぐさりぐさりと刺さっているようで、口を噛んだ。


「――ヴィゴ!!」


 いきなり後ろから自分の名が呼ばれる。驚いてヴィゴが後ろを振り返ると、見覚えのある2匹。
 その2匹はヴィゴに駆け寄り、そして止まった。

「探したよ、ヴィゴ」

 フールとクレディア。自分が騙した者。
 そういえばこいつらの問題は何も解決してなかったな、とヴィゴが頭の中で思い出す。そして2匹に向き直った。

「まだ怒りがおさまらねぇのか。……まあいい」

「え? え、いや、ちょっ」

 ヴィゴの言葉にきょとん、としたフールが慌てて弁解しようと口を開こうとする。
 しかし、ヴィゴは話を聞いていなかった。何故か戦闘の態勢に入っている。フールは顔を青くさせ、クレディアは首を傾げた。

「俺はもう大工はできねぇ。だが……暴れる力は、ロクデナシの力は残っている!! 全ての怒りをお前らにぶつけてやるよ!!」

「え、あの、ちょ――!!」

「きゃっ!?」

 いきなりヴィゴが突進してきて、フールは避けるがクレディアが諸に食らう。そのままフールが「ちょいちょい!!」と声をあげた。
 クレディアは訳が分かっていないのか、目を瞬かせている。

「話を聞いてよ! 別に私たちは怒ってるわけじゃないんだってば!!」

「今さら話すことなんざねぇだろうが!! けたぐり!!」

「話を聞け!! 電気ショック!」

 攻撃してくるヴィゴに対抗し、フールも応戦する。
 フールと攻防を続けながら、ヴィゴは怒鳴るように自身の気持ちを吐き散らした。

「おめぇらがいくら怒ろうと、この世は変わらねぇ! 騙し騙され回っている! 正直者が痛い目を見る世界なんだよ!!」

「っ、そうかもしれないけど、それで納得する方もおかしいのよ!! 何で皆その考えを肯定するの!? ねこだまし!」

「今の世の中、騙された奴の方が悪い。つまり、オメェらが悪いといったようなもんなんだよ!! かわらわり!」

 2匹が激しい攻防をする。フールは話題が逸れているのにも気付いていない。
 しかし、フールにとっては聞き捨てならないことだったのだ。世の中の、そんな考えに。そしてその考えを肯定しているヴィゴに。

「どうして騙す方を皆して味方するのよ!? それこそおかしいと思わないの!?」

「世の中がこんなんじゃ、そう思わざるをえねぇんだよ! 呪うならこの世を呪え!!」

「き、君ねぇ……! 君たちみたいな考えをしてる奴らがいるから、世の中は変わらないって分からないわけ!? そんな考え方をしているから、そんな身勝手な奴が増えてるのよ!」

「じゃあ馬鹿正直に生きろってか!? それこそ利用されるだけ利用されて、最後はいいように使われるだけだ! オメェらみたいにな!」

 ふつふつとフールは怒りのメーターが上がっていた。頭に血が上ってしまい、「家を建ててもらう」という大事な目的が見失われている。
 ヴィゴもヴィゴで、全ての怒りを本気でぶつけていた。

 岩陰で見ていた御月と弟分2匹は、その様子に絶句していた。
 そして何とかポデルが御月に話しかける。

「みっ、御月さん……何か、戦闘になってるんですけど……!?」

「何やってんだアイツら……! つーか目的を見失ってんじゃねぇかよアホが……!」

「あ、兄貴も本気だ……!」

 御月の口から出るのは悪態の言葉ばかり。何故こんなことになっている。そんな気持ちがほぼ胸のうちを占めていた。
 マハトとポデルも戸惑うばかりだ。そして、ヴィゴの言葉を聞いては胸が痛む。やはりあの出来事をまだ気にしている、引きずっている。……やはり、変わらないんじゃないか。そんな気持ちが出てきた。

 そんななか、クレディアは激しい攻防を続ける2匹を見ながら、ぎゅっと薄い桃色のリボンを握った。そして、キッと2匹の方を見た。

「だいじょうぶ、だいじょーぶ……」

 いつもの口癖を呟いて、クレディアは2匹の方へ向かっていく。
 そして無謀にも、2匹の間に飛び込んでいった。フールは驚いて電気ショックをしようとしていた手を止める。ヴィゴも目を丸くしたが、しかしけたぐりを構わずクレディアに喰らわせた。

「うっ、ぐ……!」

「ク、クレディア!」

 慌ててフールがクレディアの方に駆け寄る。しかし、そんなことをヴィゴが許すはずもなかった。

「かわらわり!」

「っ、しまっ――きゃあ!!」

 何とか体を捻って避けようとしたフールだが、咄嗟のことで避けられず技を喰らってしまう。しかし、何とかヴィゴから距離をとった。
 そのまま攻撃を続けようとしたヴィゴだが、クレディアに目を向けた瞬間、止まった。

「……何のつもりだ?」

 クレディアは、ヴィゴに頭を下げていた。
 降参というわけではないだろう。しかし、ヴィゴにはこの行為はそれのためとしか思えなかった。
 その疑問は、クレディアの言葉によってとかれることになる。


「家を、私たちの家を、建ててください」


 ヴィゴも、フールも、そして岩陰にいる3匹も目を丸くした。
 こんな戦闘中に、丁寧にお辞儀をして頼む奴がどこにいるというのか。技まで喰らって、頭を下げるだなんて、ありえないことだ。
 全員が絶句していることをいいことに、クレディアは繰り返した。

「お願いします。家を、建ててください」

 敬語で、お辞儀をして、そう頼んだ。クレディアなりの、精一杯の誠意を払ったお願いだった。
 それを見て、ヴィゴは「ドゥワ……」と小さく声をあげ、そして肩を震わせ

「ドゥワ……ドゥワッハッハッハ!!」

 大きな声で笑った。それにクレディアが顔をあげる。
 ヴィゴはクレディアを見て、心底おかしそうに、そして自嘲するように言った。

「まだ騙されてたことに気付いてねぇのか!? 本当にめでてぇ奴だ!」

 そしておもむろにクレディアに背を向けた。そこには、おびただしい背中の傷。クレディアはついその傷を見て顔をしかめた。
 それに気付かず、ヴィゴは続けた。

「見ろ! この傷のせいで体もろくに動かせねぇ! 家を建てようにも下手くそな家しかできなくなっちまったんだよ!!」

「っ、ぐぅっ……!」

 ヴィゴが一振りした角材を避けられず、クレディアはそれによって体を壁に打ち付ける。そして小さくむせた。
 そのままヴィゴが止めをさそうとしているのか、前に立つ。フールが目を見開き、そして何とか加勢しようとした矢先、クレディアの様子が伺えた。そしてクレディアの口の動きを見て、体をぴたりと止めた。

「(わ、た、し、に、ま、か、せ、て)」

 しっかりと、フールはそう言っているのを確信した。クレディアはふわりと笑うと、ヴィゴに視線を戻した。
 そして角材を振り下ろそうとしているヴィゴを見た。冷たく、恐ろしい目だ。

「馬鹿正直すぎなんだよ。――お前は早かれ遅かれ、痛い目を見る目になっただろうよ」

 そう言って、クレディアに角材を振り下ろそうとした。しかし次のクレディアの言葉を聞いて、それは寸のところで止まることになる。

「傷のことは、マー君と、デル君から聞いてたよ。過去のことも、ぜんぶ聞いた」

 その言葉を聞いて、ヴィゴの力が弱まる。
 クレディアは1つ1つ丁寧に、必死に伝えようと自分の思いを口についていく。

「家がうまくできないのは、辛いと思う。他人に頑張って建てた家をボロクソに言われるのも、辛いと思う。
 ……でも、ヴィゴさん、今の方が辛いんじゃないかな」

「なに……?」

「ヴィゴさんはさ、なんだかんだ言って、大工の仕事、好きなんだよね。大好き、なんだよね」

 ゆらゆらと、ぐらりとヴィゴの中にある何かが動く。
 クレディアはヴィゴの様子を気にせず、そのまま続けた。

「好きなことをできないことって、辛いと思う。誇りをもった仕事をできないって、苦しいと思う」

「………………。」

「だからって、大工を辞めても、それは辛いまんまだよ。ううん、心の中でどこかで諦めきれてないから、ずっとずっと、辛いまんまなんだ。解放されることなんて、絶対にない。このままじゃ、ずっと苦しいまんま。
 それに、デル君とマー君はどうするの? 貴方の腕に惚れこんで、貴方に憧れて、貴方に弟子入りしたのに……幻滅させて、どうするの?」

「………………。」



「ヴィゴさんは、今のままで、納得してるの? 大工の仕事なんて、どうでもいいの?」



 するとヴィゴがいきなり大きく角材を持っている手をあげた。そしてクレディアに向かって振り下ろした。

「兄貴ッ!!」

「やめてください、兄貴!!」

 岩陰に隠れていたマハトとポデルが慌てて出て行く。しかし、どうやっても間に合わない。フールも御月も反応が遅れてしまった。
 そのままドゴンッと角材が振り下ろされた音が響いた。

「クレディア!!」

 フールが名を呼ぶ。どうしても最悪の事態しか思いつかない。
 しかし見えたのは優しげな笑顔のクレディアだった。角材は、彼女のすぐ真横にあったが、掠りもしていない。
 そして黙っているヴィゴに向かって、クレディアはぽつりと呟いた。

「ヴィゴさんは、やさしいね」

 クレディアの前には、涙をうかべ、悔しそうにしているヴィゴがいた。
 弟分の2匹がヴィゴの方に駆け寄る。するとヴィゴは片手で顔を覆い、言葉をひねり出した。

「納得、してるわけがねぇだろうがっ……! やりてぇんだよ……! でも、続けたくても力が入らねぇのに、どうしろってんだ……」

 ぽつりぽつりと、ヴィゴの口から本心が漏れる。目を覆っている手から、涙が伝った。それを見て、マハトとポデルの目にも涙がじわりと浮かぶ。
 クレディアが「いたた……」と言いながら、立ち上がる。フールは慌ててクレディアの方に駆け寄った。御月は岩陰から少し体をだし、成り行きを静かに見守る。

「だから……せめて、最後まで、頑張ろうよ。ヘタクソでもいい。気持ちが入ってればいいんだ。これからうまくなればいいんだ。……だから、最後まで、本当にできなくなるまで、頑張ろう?
 そこまで頑張れたら……きっと、ヴィゴさんだって、納得できると思うの」

 そこまで言って、クレディアはまたしてもヴィゴに頭を下げた。

「もう一度、お願いします。私たちの家を、建ててください」

 それを見て、フールも慌てて頭を下げた。

「私からもお願い! 私たちの家を建てて!」

 2匹が深く頭を下げ、ヴィゴに頼む。マハトとポデルは自分の兄貴分であるヴィゴを見た。


「……あぁ、いいぜ。建ててやる」


 その言葉に、クレディアとフールが下げていた頭をあげ、ヴィゴを見た。
 未だヴィゴは目を覆ったままだ。フールは顔を綻ばせながら、ヴィゴに尋ねた。

「ほ、ほんと!?」

「あぁ。魂をこめて、建ててやるよ。……ただ今は……すまねぇ。泣かせてくれ……」

 そして、ヴィゴは嗚咽をもらしながら泣き始めた。それにつられるように、マハトとポデルも大泣きしだす。
 その様子を、ただクレディア達は静かに、温かく見守った。



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