○るりかわ!2020 | ナノ



さみしいまぼろし



「………ひめさま、ひめさま、」

悪戯ぽい、くぐもった声が耳に届く。今夜こそ騙されまいぞ…と背筋を伸ばしてその声を無視していれば、どろりと窓の外に突如逆さまの人影が現れるので思わず小さく悲鳴をあげてしまう。

「…ふっ、あはは、姫様、驚きすぎ…」
「…………サエ。戯れが過ぎますよ…」

窓枠に器用に足をかけた少女がよっ、という掛け声と共に部屋の中へと降り立つ。もう何を言っても無駄だと察したわたしは、黙って机に向き直った。

「……何書いてるの?」
「…文です。」
「あはは、姫様も大変だね〜。それはどこの里のお殿様をたぶらかすための文なの?」
「……サエ。口が悪いですよ。第一、あなたがここに出入りしていることが知れたら厳しく罰されます。今すぐ帰りなさい。」
「……ええ。嫌だよ、私姫さまのこと好きなんだもん」

押し問答のようなそれに半ば諦めるかのように息をつく。そんなわたしをものともせず、彼女は頬杖をついてわたしの顔をにこにこと眺める始末だ。

「…?書くの、やめちゃうの?」
「そんな風に見られていては集中できません。大方、前回の話の続きを聞きにきたのでしょう?」
「………あはは、そうそう、気になっちゃってさ、」
「………あなた、そうは言いつつも気がつくとわたしの膝の上で寝ているじゃないですか。」

何か話をして、と猫のように強請るこの少女が、気がつけばわたしの膝の上で寝息を立てることはしばしばなのだ。忍としていかがなものなのだろう…と思いながらも、彼女の伸びかけの髪を梳いたことも一度や二度ではないのだ。

「…姫様の声、落ち着くんだもん。ねえ、今日も話をしてよ。私の知らない、遠い国の話。」

鈴のようなその声が心地よく耳を揺らす。入り込んでくる夜風が優しかった。面倒な人間関係も、難しい確執も何もかも、忘れられた、あの空間。





「…うわ、凄惨だな…」

ヨシマルの声にはっと我に返る。どんなに歩を進めても進めても、生きた人間の気配はなかった。見慣れない城の中、折り重なるように積まれた人間の体。戦の後のこの空気感だけはいつまでも嫌いだった。慣れることもなければ、慣れたくもなかった。血の匂いも、火薬の匂いも何もかも。

「……ねえ、ヨシマル、この城の名前、なんだっけ、」

視界の一部が段々と白くなってゆくような感覚に、辛うじて細い声を絞り出した。頭の中で懐かしい表情が揺れる。それを必死に振り払おうと躍起になっても、決して消えてはくれなかった。酷似していた。彼女の嫁いだと言われる里と城の状況と、今目の前にしている凄惨な現場があまりにも。

「ーーー城だけど。どうした?サエ、随分と顔色がよくないけど…」

勘違いだ、と思いたかった。任務の度に持ち歩いている、彼女からの最後の文を服の下でぎゅっと握りしめる。
サエヘ、と彼女の字で書かれた文には、彼女が嫁ぐことになった遠い里の名前と、彼女らしい淡白な御礼の一文が記されていた。それを最後に、彼女はあっさりと自分の前から姿を消した。まるで初めから存在などしていなかったかのように。
彼女らしい、と思った。本当はきっとそのつもりだったのだろう、とも。いつも自分のことなど二の次で、誰かが傷つかないようにと、策を巡らせるような女だった。そうしてそんな彼女はきっと、少しずつ周囲の人間の人生から消える準備を、粛々と行っていたのだろうと。けれど、自分に残したこの一通の文は非道になりきれなかった彼女の弱さなのだろうと。

「………なんでもないよ。ねえヨシマル、このお城の人、みーんな死んじゃったのかな?もしかしたら生き残ってる人とか、」
「…………どうだろうな。戦火が最奥まで届くには時間があっただろうし、あるいは、もしかしたら、」
「……そう、」

その言葉だけで充分だった。今の自分では到底、彼女を幻にすることなどできそうにないから。それならば、何処かで生きている貴方の面影を時折思い出して、そうして少しずつ、忘れてゆければいい。
彼女の文を、大切にまた懐へと忍ばせる。きっとこの先死ぬまで誰にも見せることはない、自分だけの秘密。世界一大切な秘密を、胸元に忍ばせて。墓場まで持ってゆく。ねえ姫様、だから私ね、あなたの骸は探さないよ。


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