「…苗字先輩、このショーには出るらしいよ。」「へえ!わたし先輩がランウェイ歩くの見るの初めて!」「…今更どんな顔で出てくるんだろうな。」
羨望、嘲笑、歓喜。彼女への認識は様々だった。それらをすべて受け流しながら、菊川は会場の奥へと歩を進めていく。熱気に包まれた会場を泳ぎながら、おそらく身を固くしているだろう名前のことを思った。
一際大きな歓声があがる。見なくてもわかった。名前だ。
「…え。何?あの服、何着てるかわかんないね。」
「誰が作ったの?」
真っ黒な羽織の裾をはためかせながら、名前が一歩一歩歩を進めていく。気丈に笑ってみせてはいるが、どことなく視線が泳いでいるのが菊川にはわかった。
ランウェイの先端、一際まぶしいスポットライトの下で、名前が不意に立ち止まる。緊張からか一瞬だけ表情を固くした名前が、ゆらりと視線を彷徨わせる。随分と遠くにいるはずなのに、その視線が菊川のそれとばちりと噛み合うのがわかった。その瞬間、名前が顔をほころばせ、一思いにそのガウンを脱ぎ去った。
「え…」
「すごい、何あれ…」
一瞬の静けさの後に会場がざわめき立つ。けれど、一番驚いた顔をしているのは名前自身だった。
大胆に抉られたチュールスカートの裾は名前の足の傷跡を透けさせ、揺らめいていた。それはまるで、燃えさかる炎のように彼女の足を縁取っている。
「燃えてるみたい…」
誰かがうっとりと呟いたのを皮切りに、どこからともなく拍手が沸き起こった。その歓声を一身に受けながら、名前の目が潤む。そうして次の瞬間、彼女はスカートをひらりとはためかせ、自らの意思でステージから落下する。「あ。」と誰かが叫んだのも束の間、名前は重さを感じさせない所作で着地をしてみせる。一瞬だけ、彼女の傷跡が露わになるも、それはまた燃えさかるスカートの下に隠れてしまった。そうして、その足はまっすぐに菊川の元へと駆け寄ってきた。
「……俺のとこきたら、台無しじゃん。馬鹿。」
「………あはは、ほんとだね。でも今度はちゃんと、自分の意思で落下したよ。」
ありがとう菊川くん。
そう言うやいなや、名前は菊川の手を取り、会場の入口へと走り出す。また彼女の足の傷が露わになるも、もう当の本人は御構い無しらしい。「おい!苗字!菊川!」と叫ぶ声を背中で受け止めながら、それでも名前は立ち止まろうとしなかった。
息を切らして、いつもの教室で彼女は改めて菊川に向き直る。
「…ありがとう。すごく嬉しい。」
何か他に言葉を紡ごうとして、けれど彼女はそれ以上の言葉が見つからないようであった。言葉を探しあぐねている名前に、菊川もまた微笑みを返す。
「……アンタの足を初めて見た日から、燃えてるみたいだって、綺麗だってずっと思ってた。冷めてるように見えて、時々アンタの目が炎みたいに揺らめくのをずっと、綺麗だと思ってた。だからこそどうしても、あの服を着て欲しかった。俺にしか作れない、そしてアンタにしか着れないこの服を。」
他の誰でもない、名前に驚いて欲しかった。喜んで欲しかった。そうしてきっと、泣いて欲しかった。温度のない彼女が、自分の温度に煩わされる様をみてみたかった。
「……ずっと、隠してきたこの足を、菊川くんが綺麗だって言ってくれて、それをちゃんと、洋服で証明してくれて、本当に嬉しいの。不思議。なんだか本当に、燃えているみたいに熱い。」
そうして、彼女の瞳がまたまっすぐに菊川をとらえる。もう冷たい瞳はしていなかった。熱を帯びた、強い目をしている。
「……ああ。こんな風に、離れがたくなるような思い出、作る気はなかったのにな。何にも固執しないで、後腐れなく、この学校を去っていくはずだったのに。」
でも、もう、こんなにも焼き付いてしまった。
そう言いながら名前が足の傷を撫でる。瞬間、はためいたスカートがまた燃えるようにその存在を主張した。
「…どうしてくれるの。もう忘れられないよ。」
「………忘れさせたくなくて、そのドレス作ったんだって言ったら、どうする?」
菊川の言葉に、一瞬だけ動きを止めた名前が次の瞬間、菊川に向けて体重を投げ出す。飛び込んできた彼女の体はしっかりと重力を感じさせた。そうして触れた名前の体は、不思議と燃えさかる炎のように熱を持っていた。