「はあ…」
図書室の奥、いつもの空き教室で菊川は何度目かわからない溜息を吐き出した。何がどうなって、こうなってしまったのか。
『はぁ?アンタ、何言ってんの?卒制は3年生同士が組む決まりでしょ。』
『ん〜そうなんだけどさ。ほら、わたしこんなんだから友達いないし。教師達にもなんでもいいから出ろって口うるさく言われてたからさ〜。ね、お願い!菊川くんの名前は出さないから!』
彼女の発する『友達』や『教師』の言葉の響きが驚くほど薄っぺらく、冷たく響いたことに驚きを感じていれば、あっという間に彼女のペースに巻き込まれてしまっていた。それじゃ!よろしくね!と無責任な言葉を残し、名前は姿を消してしまう。
「………あ〜もう!ほんと、ムカつく…」
そうは言ってみせても、なんだかんだスケッチブックを広げてしまっている自分がいることに嫌気がさした。魔性の女、とだれかが言っていたことも記憶に新しい。その言葉を身を以て体感するとはその頃には夢にも思わなかったが。
「…できた?」
「うわ!」
突然首筋にぞわりとした感覚を覚え、勢いよく振り返れば見慣れた顔が至近距離で菊川を見つめていた。なぞられた首筋があつい。そんな菊川をしってか知らずか、彼女は含みのある笑い方をしてみせる。
「…そんなにすぐできるわけないだろ、」
「……意外。ちゃんと引き受けてくれるんだね。」
そう言ってみせた彼女の顔が、ほっとした、とでも言いたげな、思いがけない穏やかな表情であったので面食らう。本当にタチが悪い。そんな思いを払拭するように彼女から目をそらす。
「………どうする?わたしの体のこととか、もうちょい知っとく?」
「は?アンタ、何言って」
言葉を最後まで続けられなかったのは彼女の唇が荒々しく菊川のそれに押し当てられたからだった。キス、というよりも捕食のようなそれに目を見開く。死んだ目をして、何もかもを諦めているかのような彼女がこんなにも力強くなにかを求めることに驚きを禁じ得なかった。
らしくなく、息を荒げた名前と目が合う。彼女の方も自分の行動がよくわからない、と言いたげな顔をしていた。だがそれも一瞬で、すぐにいつも通りの気丈な目が菊川の目を真っ直ぐに見返す。
「…前に言ったでしょ。菊川くんの服、素敵だけどなんだかえろさが足りないって。」
「………それが、何。」
思っていたよりも刺々しい声が出た。それに怯むことなく名前はくっきりと、美しく笑う。思わず言葉を失ってしまうので、幾ばくもの男がこの女に心を奪われてきたのだという事実に納得してしまう。
「……女の体知ることも、デザイン広げるには大事だと思うよ。」
耳元で囁かれる声に体がぞわりとした。それを悟られないように「ふうん、」となんてことのない声を出してみせた。大して意味などないのだろうが。
「…アンタ、こういうこと誰にでもやってんの?やっぱり趣味悪いよ」
「…あはは。病気持ってそうとか思った?たぶん菊川くんが思うほど軽くないよ。なんてったって趣味が献血なので。」
しれっとそう言ってみせる彼女に溜息が出る。「…趣味は自傷なんじゃないの…」と言いながらその細い肩を押し倒してみせれば名前が子供のようにはしゃいだ声をあげて重力に従ってみせた。
「……何このあばら、趣味悪…」
浮き上がった名前の肋骨をなぞりながらそう言ってみせれば、くすぐったいのか少し眉を寄せた名前がくぐもった声をあげる。そのままそっとめくれたスカートをたくし上げてみせれば、例のただれた皮膚が顔を出す。何度見てもあまりに痛々しく、今度は菊川が眉を寄せる。痛々しくて、けれどどこか美しさすら覚えるそれに何か既視感を覚えた菊川がそっと触れてみせれば名前の身体がびくりと跳ねるので慌てて手を離した。
「…痛いの?」
「……痛くない。あんまり触られたことないからびっくりしただけ。」
「は?いつもこういうことしてるんじゃ」
そこまで言ってからはっと口を噤む。その様子に気がついた名前がにやりと口角をあげた。
「言ったでしょ。そんなに軽くないってば。」
「………にわかには信じがたいけど」
「あはは、菊川くん、こんな状況でも冷静でつまんないな。もしかしてわたしより慣れてるんじゃない?」
戯けた声をした名前が何をおもったか突然に菊川のズボンのチャックに触れる。突然の衝撃に「ちょ!馬鹿!」と声をあげた。
「……あはは。ちゃんと熱くて硬いね。よかった。」
「………悪かったね一応男なので」