短編3 | ナノ



くたり、とソファーに身を沈める。自分の部屋に帰ってきた瞬間、どっと押し寄せてきた疲労感に身を任せ、一度はいたスリッパをぽい、と脱ぎ捨てる。

「…おかえり。どうだった?」

目だけを上に向ければ、寝るところだったのだろうか、パジャマに身を包んだ幸がマグカップを片手に得意げに微笑んでいた。その様にひどく安心する。その声が、気配が、とても心地いい。

「…好評だったよ。みんな服も髪もメイクも可愛いって。」
「当たり前でしょ。俺と莇の共作なんだから。」

幸の言葉にぼんやりと、綺麗に巻かれた自分の髪を、綺麗に塗られた自分の爪を眺める。まるで魔法のようだった。ドレッサーの前に座らされ、あれよあれよという間に自分の爪が彩られる、頬に紅が差す。幸と莇の手が滑らかに肌を、髪を滑り、気がつけばすっかりと頬を高揚させた自分が鏡に映っていた。

「ほら、そのまま寝たら駄目だからね。ちゃんと化粧も爪も落とさないと。明日は仕事でしょ?」
「………うん。そうだね。」

途端に現実に引き戻される。どんなに飾り立ててみても、所詮はハリボテだ。剥がせば自分はただの女で、大人で、突き詰めてしまえば人間だ。それ以上でも以下でもない。ただの、人間。

「……ほら。手伝うから。」

そんなこちらの様子に何かを感じ取ったのか、幸はそう言いながらひたりと頬に触れる。その手の冷たさが心地よくて、思わず目を閉じた。クレンジングオイルの匂いが鼻につく。少しずつ軽くなっていくような、空虚になっていくような感覚がした。
ゆっくりと目を開け、手近にあった除光液を手元に手繰り寄せる。そうしてそれをコットンに広げ、爪の上にのせればじんわりと、広がって消えていく。それもまた魔法のようだった。

「……魔法はいつか解けるものだし、夢はいつか覚めるものだね。」

そんな当たり前のことを、大人になるたびに思い知っていく。もう期待することには疲れてしまった。突き詰めれば突き詰めるだけ、ただの人間であることを思い知るばかりだ。どんなに着飾ろうと、どこまでも自分は、人間だと。

「……それでも俺はやめないけどね。アンタが何度絶望しようと、俺は魔法をかけ続ける。そのために生きるって決めてるから。」

その言葉にはっと息をのむ。そうしてぐっと唇を噛み締めた。「泣いてもいいけど、」その言葉にふるふると首を横に振る。泣くわけにはいかないのだ。これしきのことで、大人は泣いてはいけない。

代わりにぎゅっと、頬を滑る幸の手を握りしめた。強く強く、折れてしまうんじゃないかと思うくらいに強く。縋り付くようなその様に幸もまたぎゅっとその手の力を強める。

「…わたしもう、本当は何も要らないの。なにもかもなくしても、最後に幸がいてくれるならいいって、そう思うようになってしまった。」

それが正しいのか間違っているのかはわからない。けれど、幸の手によって無防備な姿に戻っていく自分はひどく無力で、ひとりでは生きて行けないような気持ちになる。

「……そう言って欲しくて、魔法使いはきっと魔法をかけ続けるんだろうな、」
「……どういう意味?」
「なんでもないよ。」

気がつけば化粧もネイルもすっかりと落ちて、生まれたままの色をした自分が鏡の中に鎮座している。ああそうだ、あなたの手で何度も生まれるわたしは、あなたの手で何度でも回帰する。

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