○ゆき | ナノ
「…おかえりなさいませ、お嬢様。」

深々とお辞儀をしてみせる見慣れた姿を名前はうっとりと見つめ返す。知り合いが突然現れても表情を崩さない辺り、さすが役者とでもいうべきか。

(な、ん、で、き、た)

他のキャストの目が緩んだ隙に幸の口がそう形作った。いつものように呆れ顔で目を細められながら向けられる視線に名前が曖昧に微笑むと、彼の方も観念したらしい。「こちらへどうぞ、」とソファー席へと誘導された。

「…お嬢様、こちらは初めてですか?」
「…はい。素敵な執事さんがいるって聞きまして、」
「……それはそれは、随分と耳の早いお友達がいらっしゃるようで。」

情報の出どころが一成だということも、どうやらバレているらしい。あとできっと二人まとめてお説教されるだろうな…と思いつつも、名前の胸中は一成への感謝の気持ちでいっぱいだった。彼氏のこんな姿、見られなかったら一生悔やむに決まっている。
高校の文化祭ぶりの燕尾服に、抱きつきたい気持ちに駆られながらも名前の方も知らないフリを貫き通すことにした。たまには役者:瑠璃川幸に傅かれてみるのも悪くないな…と思えば、名前の頬は緩みっぱなしになる。

「あっ、」

くるくると働く幸の様子に見惚れていれば、うっかりグラスに腕が当たりテーブルの上のグラスが大きく傾く。ぱしゃりと跳ねた水音を、幸は聞き逃さなかったらしい。すぐに駆け寄り、おしぼりを渡しながら「お怪我は?」と聞かれてしまえばコクコクと頷くしかない。

「…まったく、お嬢様は相変わらずそそっかしい…昔から変わりませんね」

そう言いながら手早くグラスを交換する手際の良さをぽかんと見つめることしかできなかった。しかもここで、あたかも昔から給仕しているかのような雰囲気を仄めかすあたり、芸が細かいとしか言いようがない。幸に見えないところで尊い…と呟きながら空中に向かって手を合わせたが、大きな咳払いが聞こえたので慌てて名前は姿勢を正す。

「お待たせしました。」
「えっ…わたし、デザートなんて」

極めつけに、注文していないシャーベットが運ばれて来た時に、声をあげかけた名前に「しっ」と悪戯っぽい目線を向けてくる辺り、本当によくできた執事である。シャーベットを掬いながら一生推す…と呟くと、また呆れたような視線がとんでくるのがわかった。



「……すごい!私情を挟むことなく、最後まで一執事として全てのお客様へ平等に接し続ける…!執事の鑑!!専属になって!!」
「はいはい、テンション上がりすぎてインチキエリートみたいになってるよ、」
「いやいや、あんなのリピート確定だから!!!今日だけで何人のお客を殺したの……??やだやだ、みんな好きになっちゃう…」

出口までしっかりとお見送りをされ、いってらっしゃいませと手を振られてから数時間…。先程自分に給仕していた執事が私服とはいえ自宅のソファーに座っているのはなんとも奇妙な光景であった。急いで来てくれたのであろう、髪型はまだそのままでどことなく疲れた表情もどこかアンニュイで、内心ドキドキしながら名前もまたその隣に腰掛ける。

「…ごめんね。勝手に行ったの嫌だった?」
「…いや、それは別にいいんだけど…急にアクターズカフェで人が足りないって連絡があって…即席だったし見られたくなかっただけ。」

そこはやはり瑠璃川幸とでもいうべきか、徹底しているらしい。身内相手でも全く手を緩めないその姿勢に、名前としてはただただ感服するばかりだった。それにしても綺麗な顔だな…もう少し見ていたいな…と名前が横顔をまじまじと見つめていれば、居心地悪そうに幸がこちらへと目を向ける。

「髪下ろしたい…シャワー借りてもいい?」
「えっ……………………」
「…そんなあからさまにがっかりされると困るんだけど、」

でも…とごねたくもなってしまう。普段あまり見せないその形のいい額がせっかく露わになっているというのに…さらさらの髪の毛がいつもよりボリューミーに固められているというのに…

「1分頂戴。この目に焼き付けるから…」
「いや、写真撮ればいいじゃん…」
「それはなんかルール違反な気がして。」
「ハァ。律儀なんだかなんなんだか。」
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