○ゆき | ナノ
「らしくねえじゃん、」

男友達のその言葉にぽかんと彼の方を見やれば、想像していたよりも険しい顔をしていたので驚く。殊更おかしな発言をしたつもりもなかったので、尚更。

「………どうしちゃったんだよ名字、お前、そんな風に恋愛にのめりこむタイプじゃねえだろ、」
「えーっと、はい?」

予想の斜め上をいく発言に思わず聞き返せば、彼はバツが悪そうに顔を背けた。まあ確かに、めたらやったらと恋人の話をしないのが自分の常ではあった。そんな自分が突然、彼氏ができたなどと。それも既に半同棲状態であるなどと言われれば、友人としては戸惑うのも当然かもしれない。

「…ごめんね。なかなか言うタイミングが掴めなくて。言いそびれてるうちに年単位で時間が経っちゃった…」

そこそこ良好な関係を築いていた男友達の機嫌が下降していくのが目に見えてわかった。別に信用していなかったわけではないのだ。それをわかってもらうためにはどうしたらいいのだろう。

「…なんつーか、ちょっとがっかりだわ、かっこわりーよ名字。」
「………え?」

必死にこの状況を打開する手だてを考えていた名前に、それは予想外の言葉であった。意味をはかりかねていれば、追い打ちのように彼は言葉を続けてくる。

「…男に媚びを売ったりしない、誰に何を言われても飄々としてるのがお前じゃん…なんだよ、今となっては彼氏のために家で飯作ったりしてるとか、そんなの名字らしくねーよ、」

大抵のことならば何を言われても動じない自信のある名前であったが、その言葉は思いがけずずしりと胸にのしかかった。自分がようやく手に入れたものを、ようやく誇れるようになった自分のことを、何かを一生懸命愛するようになれた自分のことを、周囲は恥ずかしいものだと思うのだろうか。それならば、少しずつ前よりも好きになれていた自分のことを誇らしく思っていた自分は間違いだったのだろうか。

「わ、たしは…」

自分は名字名前だ。誰と付き合おうとそれは決して変わらない。自分は幸のものではないし、幸だって自分のものではない。自分は自分のものだ、同時に幸にだって譲れないものがあるはずだ。そこは絶対に守り通さなくてはいけない部分だ、と感じていた。それなのに、周囲から見れば自分はすっかり変わってしまったのだろうか。

何を言われようと大丈夫な筈だった。幸のことを好きでいることに、幸に好きでいてもらえることに誇りをもってるのだから。けれどその実、自分が自分でなくなっていくような気がしていることに心のどこかで恐怖を覚えていたことも事実だったのだ。だってこんな風に人を好きになれる自分がいたことを、自分自身知らなかったのだから。

「わたしは…」

それきり言葉が続けられなかった。思わず下を向いてぎゅっと唇を噛む。血の味がした。痛いところを突かれてしまったのだ。いつもならば気丈に言い返すこともできるのに、今日ばかりは返す言葉が見つからない。


「ちょっと。何泣かせてるの?」

聞き慣れた声にはっと顔をあげれば、瞬間ぴしゃりと手首を掴まれた。ぎょっとしたかのように、正面の友人が体を跳ねさせる。そこにいたのは、見慣れないパンツスタイルに身を包んだ幸だった。いつもの可愛らしさはすっかりと身を潜め、むしろ美少年と形容すべき彼に名前も友人も言葉を失ってしまう。

「……千景が見かけたらしくてさ。なんかトラブってそうって聞いたから、迎えにきた。」
「幸…」

チカゲ、という耳慣れない単語に引っかかりを覚えたものの、既に限界であった名前は軽々と幸の力に引かれて席を立つ。そのままずんずんと歩いていく幸の背中を眺め、そうして振り返った。状況を把握できていない友人が呆気にとられた表情をしている。「ごめんね、」と声に出さずに口で形づくって名前は再度前を向いた。ごめんね、あなたの期待していた名字名前とはちょっと違っちゃったけど、これが今のわたしだから。


「…何されたの。」

しばらくずいずいと歩を進めた幸が唐突にぽろりと言葉を落とす。慣れ親しんだ幸の手のひらの感触にひどく安らかな気持ちになった名前は「なんにもされてないよ。」と穏やかに笑ってみせた。

「……幸、なんか今日はいつもと感じ違うね。」
「……まあね。これから先アンタと付き合っていくなら、こういう服を着ることも増えてくんだろうけど、」

その言葉に思わず足を止めてしまう。その言葉は幸の諦めのように聞こえてしまったからだ。そんな名前を知ってか、幸はきゅ、と手のひらの力を強める。そうしてまた名前は半ば引きずられるかのように歩き出す。

「…今日みたいに、アンタの男友達にマウントとるのもたまには悪くないからね。時々なら着るのもいいかなって思う。これはこれでカワイイし。」

飄々と、なんてことのない横顔をして幸がずいずいと歩いていく。ああ、敵わないなあと名前は改めてその気高い背中を眺めながら小さくため息をつく。そうだ、この人と一緒なら今までとは違う自分のこともきっと愛していける。不可解な感情も「楽しい」や「嬉しい」に変えていける。

夕暮れの色に染まる幸の首筋をみながらぼんやりとそう思った。
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