○ゆき | ナノ
文化祭当日、名前は緊張の面持ちで聖フローラ高校の門の前に立ち尽くしていた。見慣れた筈の、幸と同じ制服の生徒がすり抜けていくだけでびくりと肩が跳ねてしまう。だが、意を決して門の中へと一歩足を踏み入れる。今日の服だって幸のお墨付きのワンピースだ。大丈夫、心配することなどない。
幸との待ち合わせの時間までにはまだ時間があった。カフェをやることになったのだ、と嬉しそうに話していた幸を思い出す。とりあえずその教室をちらりと覗こうと決意し、校舎の中へと足を踏み入れた。

「あ!!!」

廊下を歩いている人が全員振り向くような大きな声が背後であがる。つられて名前も背後を振り返れば、端正な顔立ちの少年が目を丸くしてこちらを見据えているのが見えた。その少年の視線はまっすぐに名前を射抜いていた。そのことに気がついた瞬間、たじろぐ。思わず後ずさる。
次の瞬間には走り出していた。何故逃げ出したのかは自分にもよくわからなかった。「あ、待って!」と背後で声があがる。だが随分と距離があった。逃げ切れると思った。

「ちょっ!と!待ってください!」

思わず背後を振り返る。その声が随分と近くで聞こえたように感じたからだ。その予感は間違いなどではなく、先刻の少年は名前のすぐ後ろにまで迫っていた。混み合った廊下、条件は同じだったはずなのに何故、そう思っていればぱしりと手首を掴まれてしまう。足を止める以外になかった。

「…あ、あの!幸くんの彼女さんですよね?」

息を切らした名前の耳に予想外の言葉が飛び込んできた。そうして改めて、その少年の顔を見た名前はあっと声をあげた。

「……あ。向坂、椋くん…?」

舞台の上で見るのとは随分と印象が違った。そのせいで随分と気がつくのが遅れてしまったのだ。そうだ、彼は幸と同級生なのだ。ここにいることも何らおかしなことはないだろう。

「すみません、いきなり追いかけたりして。」
「…ううん、わたしの方も逃げ出して、ごめんなさい。その、びっくりしちゃって、」

そう笑ってみせれば彼もまた人の良さそうな笑みを浮かべてみせる。幸の話に聞いていた通りだな、と思った。優しくて、他人のことを思いやれる子だ。

「…すみません。夏組みんな、幸くんの彼女さんに会いたがってて。カズくんに写真見せてもらったりしてて一方的に知ってるんです…」

成る程、と思う。不思議と嫌味のない言い方だった。思わずこちらもへにゃりと力の抜けた笑みを返してしまう。そこでようやく椋の方も安心したようだった。ほっとしたような笑みを浮かべてみせる。

「あ!もしよかったらお詫びに幸くんのクラスまで案内しますよ!ボクも丁度覗きに行こうかと思ってたので!」
「…本当?助かるな。ありがとう、」

追いかけっこをしてしまったせいで、自分のいるべき場所がわからなくなってしまっていたのだ。椋の申し出は正直ありがたかったかった。こっちです、と笑う彼の後に続いて長い廊下を逆戻りする。
ついキョロキョロと周囲を見回してしまう。自分の恋人が普段過ごしている場所を見る機会だなんて、きっともうないだろう。大学の校舎とはまた違う高校特有の雰囲気に思わず圧倒されてしまう。

「おい向坂!」

背後からこそこそ、と声が聞こえたのはその時だった。見れば教室の壁に隠れるように数人の男子生徒がこちらを見ているところだった。名前が小さく会釈をすると、彼らは驚いたかのように小さく身を仰け反らせてしまう。

「……そ、その人、彼女か??」

意を決したかのように1人の生徒がそう叫ぶ。その声に何事だと周囲の人間の視線が集まるのがわかった。「…え、と?」ぽかんとしてしまう名前をよそに慌てたように椋は左右に大きく首をふる。

「ちちちちがうよ!この人はボクじゃなくて「あーやっと見つけた、ちょっと。遅刻なんだけど。」

聞き慣れた声が聞こえた。瞬間たまらなく安心してしまう。振り返らなくてもわかる、幸の声だった。

「あ、幸くん!ごめんね、待ち合わせしてたの?」
「…まあね。椋に案内してもらってたんだ。ありがと、回収してく。」
「回収って、ちょっとそんな物みたいに…」

そう言い返しかけて、名前はあんぐりと口を大きくあけた。振り返った先にいたのは、見慣れない執事服に身を包んだ幸だったからだ。

「………え、なにそれ。聞いてないんだけど、」
「言ってなかったっけ?うちのクラス、執事喫茶してんの、」

思わずばっと椋の方へ視線を向ければ、「あれ、聞いてなかったんですか〜?」とまた人の良さそうな笑みを浮かべられてしまう。再度幸の方を見れば今度は得意そうな笑み。どうやら計画のうちだったらしい。

「……待ちくたびれましたよ、お嬢様。さあ、行きましょう。」

そんな名前の様子を良しとしてか、幸が戯けたようにそう言いながら手を取るので今度はなにも言えなくなってしまう。

「……お、おい!!瑠璃川!!」

そんな2人の様子にしびれを切らしたのは背後で見ていた男子生徒達だった。「なに?」といつもの調子で続ける幸がぐい、と名前の腰を引き寄せる。見せつけるようなその仕草に名前も彼らも言葉を発することができない。

「その人…彼女か……?」

先ほど聞いたセリフだなと名前が思っていれば、いつもよりも外行きの声で幸が「そ、カノジョ。」と微笑んでみせる。そうしてそれ以上の返答は受け付けないとでも言うようにくるりと彼らに背を向けて歩き出してしまう。後ろから何やら叫び声が聞こえた気もするが、もう振り返ることも許されなかった。

「……はは、間抜け面、」
「…………当たり前じゃんキャパオーバー過ぎるから………」

そんな名前の言葉に口角を上げた幸が「ん、可愛い」と続けてみせるので、名前は黙って手を引かれる以外にないのだった。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -