○ゆき | ナノ
「…なんか最近、目が悪くなった気がする……」

眉を潜めた名前は鏡の中の自分を覗き込んだ。すっかり伸びきってしまった髪が完璧に目にかかってしまっている。毛先をそっと持ち上げ、そろそろ切り時だろうかと考え込んでいれば背後でがたりと音がする。

「そりゃそんだけ前髪が鬱陶しければ目くらい悪くなるでしょ。馬鹿なの?」

いつも通りの悪態に安堵しながらも名前がそっと後ろを向けば、これから風呂に入るらしい幸が澄ました顔でこちらをじとりと見つめていた。ふ、と彼の前髪を見つめてみれば、それはなんというか完璧な角度、完璧なカーブを描いていた。う、と言葉に詰まる。基本的に女である自分以上に可愛いを振りまくこの年下少年こそ我が彼氏様、瑠璃川幸なのである。

「あ、幸これからお風呂なの?わたしも一緒に入っちゃおうかな〜「話を逸らさない、なんとかしなよそれ。ほら今すぐに美容院でも予約すれば?」

ぴとりとくっつこうとすれば、つれない返事をされてしまい、彼の首にまわそうとした手を軽く払いのけられてしまう。てきぱきと入浴の準備をした幸は「はやく出てってくれない?」とこちらをじとりと見つめる。そんな彼の完璧な前髪を見据えながらふと、名前はパン、と音を立てて手を叩いた。

「あ、じゃあ幸がわたしの前髪を切ってくれればいいんじゃない?」
「却下、」

名案だと言うような顔で彼の方を覗きこんでみればそれもばっさりと切り捨てられてしまう。けれどこのくらいでへこたれているようでは、この毒舌キュートな彼の恋人など務まりはしないのだ。それをわかっている名前は大袈裟な仕草で唇を尖らせてみせる。

「ええー、そんななんでもかんでも駄目駄目言われたら悲しいなあ…わたしは幸に切ってもらいたいのに…」
「はいはい、そんな泣き落としは通用しないから、」
「……そんなにわたしの髪を切るのが嫌?」
「………別に、そんなことは言ってないでしょ。ただ準備と片付けが面倒なだけ。」

その台詞に思わず名前は目を瞬かせる。しまった、と幸が失言に気がついた時はもう遅かった。表情を変えない彼女が「じゃあ準備と片付けはわたしがやるなら切ってくれるの?」と言ってのけたあとににこりと微笑んでみせる。






「…一応聞くけどすきばさみって知ってる?」
「本当に君は彼女のことをなんだと思ってるの?すきばさみくらい持ってます、」

言いながらずい、と幸にそれを渡せば、ふうんと意外そうな顔で彼ははさみをくるりとまわしてみせる。

「あんたのことだから、髪も普通のはさみで切ってると思ってた、」
「そんなわけないでしょ。ほら早く早く、」

椅子の周りにチラシを敷き詰め、ドレープを纏って鏡の前に座れば簡易的な美容室のできあがりだった。先刻の言葉通りにきっちりとそこまで準備をした名前は得意げにその席に腰をかける。手先が器用な癖に意外と雑な幸は「何もそこまでしなくても…」と言いたげな目でその様子を見ていた。
渋々といった顔をしながらも幸は名前の後ろに立ち、ふわりと名前の毛先を持ち上げてみせる。思わず名前の顔が綻ぶ。

「わお店員さんお綺麗ですね、今度わたしとデートしませんか〜〜?」
「あんた、これがやりたかっただけなんじゃ…」

ハサミとコームを手に持ち、ため息を吐く幸が思いの外様になっており、「店員さんカッコいいですね〜」と名前が更に上機嫌に笑う。その姿を黙って見据えながら、仕方ないと息を吐き出した幸は名前の芝居には付き合う気がないらしい「…じゃ、はじめるよ、」といつも通りの口調で言いながらハサミを構えた。

「…大体前髪を切ったところで目がよくなるってわけじゃないんだからね。あんたの場合ゲームしたりテレビみたりする時間を減らすとか、他にも改善する点があるんだからさ、」

毛先が目に入るからと名前が目を閉じていれば、幸がぶつぶつとそう呟くのが聞こえ、名前は真っ暗な視界の中で笑い返す。

「え〜、だって店員さん、茅ヶ崎さんからゲーム内のイベントの度にスカイプくるんですよ〜。協力プレイしろって。いくら無料だからって夜遅くにかけてくるのは「は?何それ俺初耳なんだけど、」

途端に手を止めた幸の方を目を開けてうかがえば、彼は大層不服そうな様子で名前をじとりと見据えている。「あれ、話してなかったっけ?」という言葉で更にその目は細められてしまう。

「…あんな廃人と電話するのなんてやめれば?」
「なんでです?」
「俺が不快だから、」

端的にそこまでばっさりと言い切った幸に思わず笑いがこぼれた。協力プレイする代わりに団員のみんなから幸の写真をもらってるなんて、口が裂けても言えるわけがないな〜と内心苦笑しながら「善処するね、」と笑えば不服そうな顔をしつつも彼はカットを再開する。

「あはは、終わったら一緒にお風呂入ろね、」
「うっさい急に素に戻るな馬鹿手元が狂う、」
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