○ゆき | ナノ
「ぎゃーーーー!!見て!!幸!!すごい風!!!」

この雨ではまったく役に立たない自転車を幸に押し付け、年甲斐もなくそう叫べば呆れたような視線がレインコートの隙間から覗いた。

「ちょっと!こんな雨の中で傘もささないなんて………あーーーー馬鹿!!!パンツ見えるだろ!!!!なんでこんな日にスカート履いてんだよ!!!!」

流石に傘を投げ捨てたのはアウトだったらしい。幸の言葉遣いがいつもより荒くなる。もとより殆ど意味のなかったコンビニのビニール傘はすでに骨が折れてバキバキになってしまっていた。誰かに飛んでいったら危ない…と流石に良識を取り戻し、慌てたように名前はそれを拾い上げ、自転車のかごの中に突っ込む。

「…普段のバリキャリ名字名前は何処行ったわけ?こんなとこ会社の同僚にでも見られたらやばいんじゃないの?」

幸の言葉に名前は「あー会社…」と小さくこぼす。その数秒後、突如下を向いた名前にびくりと幸は肩を震わせた。

「あー…行きたくないー……明日も会社……」

元はと言えばそうなのだ、1日中上司の小言に耐え抜いた末、退社してみればこの雨である。普段ならば何とか帰る策を講じるところを思わず幸の番号にかけてしまったのだ。可愛いレインコートを着て迎えに来てくれる彼氏の、ご褒美があってもいいのじゃないかと。

「…もっと腹から声出せ、」

何を思ったかその様子をじっと見下ろしていた幸が突然そう呟くので思わず面食らう。だがその数秒後に笑った。

「さ、さすが舞台俳優…」
「うるさい茶化すな、ほらさっさと言う、」

その言葉に名前はぶん、と顔をあげた。そうしてああ、こういうところが好きだなあと思う。決して人のことを馬鹿にしないところ、呆れ顔をしつつも笑って付き合ってくれるところ。

「明日!!会社には!!行きたくない!!!幸と1日!!ゴロゴロしていたい!!!」
「…はは、いいじゃんたまにはこういうのも、あんた滅多に仕事の愚痴言わないからさ、仕事楽しいのかと思ってたよ、」

楽しいわけがないだろう…と恨みがましく幸の方を見て、それからふと思う。楽しいばかりの職場というわけではない。当たり前に怒られるし当たり前にこっそり泣いたりもする。けれど自分が成長できた時はやっぱり嬉しいし、褒められれば楽しくもなる。そうして何より、時折気まぐれに猫のようにやってきては自分を送り出してくれる、こうやって迎えにきてくれる幸の存在があるからこそ、バランスが取れているのではないかと。つまり仕事の辛さは、幸といる幸せや楽しさを倍増させるためにあるのではないかと。

「…そう思うようになるなんて、わたしも随分丸くなったなあ、」
「……何?何の話?」

丸い目を覗かせるレインコートの隙間にキスを落とし、なんでもないよ、と告げる。いつのまにか取り落としていた、書類のたっぷり入った鞄を持ち上げながら、ああ、全部コピーし直さなくては…と苦笑する。そろそろ大人に戻らなくては。

「……幸、我が家のお風呂は?」
「………沸いてるけど?」

その言葉に名前は口角をあげる。うむ、優秀な彼氏じゃないか。

「よし、帰ったらお風呂でお姉さんとイイコトしようね〜」
「はぁ???馬鹿じゃないの!ほらさっさと帰るよ!!」
「あはは、はやく一緒にお風呂入りたいね!」

…うん。大人だってなかなかに悪いものではないな。
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