○ゆき | ナノ
ピリピリ、という音のしそうな幸の背中を見ながら、天馬はそっと開けかけのドアを閉じた。今話しかけたら刺されそうだ、と思いながら部屋を後にしようとすれば、しめたばかりのドアがばん!と開け放たれる。思わず後ずされば機嫌の悪そうな幸が眉をひそめていた。

「…気、使わなくていいから。入れば?」

言うなり幸はくるりと踵を返し、また机の前に向き直る。
春組の公演が迫っていた。公演の度にスケッチブックやミシンと睨めっこになる同居人は、どうやら今回の衣装に関して煮詰まっているらしい。ちらりと覗いてみれば、スケッチブックの上には大きくばつ印がつけられている。床にも似たような紙が散乱していた。

「…ちゃんと寝てんのか?」

核心には触れぬよう、けれども問題点から離れすぎないような質問をしてみれば、「…まあ、それなりに。」と視線を落としたまま幸が呟く。

「…なんか書けなくてさ、」

意外にも核心を突いてきたのは幸の方であった。昔の彼ならば、スランプを意固地になっても隠そうとしただろうに。
こいつにも弱音を吐きたくなる時くらいあるんだな、と思い至ればどことなく頬が緩む。天下の瑠璃川幸とはいえど、こんな風に弱気になるときがあるらしい。

「…名前さんに連絡してみればどうだ?ちょっとくらい息抜きでも、」

そこまで言いかけて天馬ははた、と口を噤む。名前さん、と発した瞬間に幸の顔がぐっと歪んだからだ。

「………集中できなくなるから連絡絶ってるの、」

それだけをぽつりと言い残した幸はくるりとまたスケッチブックに向き直ってしまう。その横顔が先程よりもずっと弱々しく見えてしまった天馬は何も言えなくなってしまう。幸のピンクの携帯はしっかりと電源が切れており、ぴくりとも音を立てていなかった。そうして名前のことを思う。彼女はこの状況をどう捉えているのだろう。

「………向こうには何か言ってんのか?」
「はぁ?別に何も言ってないけど。公演が近いのなんて知ってるだろうし、そういうのに騒ぎ立てる女じゃないから…ていうか、ポンコツ役者には関係ないでしょ。口出さないでくれる?」

そう言ったきり、話は終わりだとでも言いたげに幸はぴしゃりとこちらを断絶するように口を閉ざしてしまう。どうしたものか、と天馬は思わず視線を下に向けた。そうしてふ、と違和感を覚え、足下に乱雑に散らばったスケッチブックの1枚を拾い上げる。

「…なあ幸、」
「何?今ちょっと集中したいんだけど、」
「今回の春組って、別に誰かが女型やるとかじゃねえよな?」

その言葉に、幸はばっと勢いよく振り返ると天馬のもっていた紙をもぎ取った。

「…はあ。気になってるならいっそ連絡とっちまえよ。我慢してる方が体に悪いだろ、」

そこに描かれていた、女物のドレスのラフに天馬はため息を吐く。着せる相手は一人しかいないであろうそのシンプルな濃紺のドレスは、上に大きくバツ印がつけられていた。そのラフを眺めた幸は、観念したとでも言いたげに息を吐く。

「………あいつもうすぐ、大学の卒業式なんだけどさ、」
「ああ。そういえばもうすぐそんな時期だな、」

一成が「卒業制作〜!」と忙しそうに走り回っていた姿も記憶に新しい。その一成と同い年なのだから、当然彼女もまた卒業式が迫っていることは事実だった。納得したような口ぶりの天馬に、幸は気まずそうに視線を寄越す。

「その、卒業式ってさ、袴を着て出るわけでしょ。それが終わったらフォーマルな格好に着替えて謝恩会があるんだって。…さすがに袴を作るだけの材料とかは今から揃えられないけど、ドレスくらいならまだ間に合うかな、とか、考えちゃってさ。」
「…」
「……で、邪念を払うために連絡、断ってたの………笑いたいなら笑えば?」

黙ったままの天馬に、幸がいつも通りの毒を吐く。

「…笑うわけないだろ。ちょっとびっくりしただけだ。」
「…そ。話すことは以上。じゃ、オレは衣装作りに戻るから、」
「ちょ、待て待て待て!!」

再度机に戻ろうとする幸の腕を慌てて掴めば、幸は意外そうに目を見開いた。何かを言おうと口を開いてみるも、彼は言葉が見つからないのか口を噤んでしまう。

「モヤモヤするくらいならそれ、作れよ。お前のことだ。3日もあればできんだろ。春組公演までまだ時間もある。その、協力はするからよ…」

幸がじっと天馬を見つめるので、言葉が思わず尻すぼみになる。その様子を見つめていた幸はふっと目を細めるとがたりと席を立つ。

「3日もいらない。頭の中で色々ビジョンできてるし、1日あれば十分。」

言いながら外出の準備を始めた幸に、頬が緩む。勝ち気ないつもの調子が戻ってきたらしい。「おう、」と小さく呟けば幸はほんの少しだけバツが悪そうな顔でこちらを見つめる。

「…慣れないことして、ばかなの?………まあでも、ありがと。」

らしくないその言葉に面食らい、ぽかんとその姿を見つめていると、「ほら買い物、付き合ってよね、」とぐいと腕を引かれた。ああそうだな、いつもの幸だ。そうでなくては。
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