短編2 | ナノ




企画あの子の宝石箱 様に提出。





彼女は奔放だった。誰かが「猫」と揶揄したように、自由で狡猾で、掴めなかった。


「おかえり〜〜。今日は遅かったね〜〜、こんな志希ちゃんをほっておいて一体ナニしてたの?」

自分よりも幼く、気高く、そして柔らかい生き物。それがあの頃の一ノ瀬志希だった。たった一人、遠い海を越えてきた、不敵な少女だった。

「……同期との飲み会だよ。言ってなかったっけ?」
「えー!聞いてないよー!そんなつまんない人たちと遊んでないで、あたしとイイコトしようよ〜〜!」

志希がわたしの家に入り浸るようになるまでに、それほどの時間は要さなかったように記憶している。
あの頃のわたしは、何故だか自分に固執するこの少女が、いつか自分の空虚さに気がつき、離れて行くことを恐れていた。そうしてそれを、彼女に悟られまいと必死だった。

「…そんなことばっかり言ってると、志希わたし以外の友達いなくなるよ?」
「ええ〜いいのいいの!あたしには君だけがいればいいんだから〜〜!」

するりとわたしの首筋に腕を回し、妖しく笑った彼女が耳元に唇を寄せた。応答するようにアルコールで揺らめいた視線をぶつければ、彼女の方も挑発的にこちらを見据えてみせる。

「…つまんないもん。名前ちゃん以外の他の人間みーんな。どうなるか読めちゃうの、キョーミなんてわかないよ〜〜」

からからと笑う彼女の言葉にどきりとした。いつだろうか。彼女がこの、空っぽの体に気がついてしまうのは。


だからこそ、大きなトランクを抱えた志希がふわりと玄関へ歩を進めたあの日、わたしの心を占めたのは「やっぱり」という感情だった。

「…日本に帰るの?」

わたしのその質問に、志希は真意の読めない目で力なく笑った。ん〜?とよくわからない声をあげた彼女がゆらゆらと鞄を揺らす。そうしてぽとりと言葉を落とした。

「…ねえ名前ちゃん、愛って何だと思う?」

こちらの質問を無視したその問いかけに、わたしは答えあぐねた。だって、長い時間を共に過ごした彼女へのこの気持ちすら、愛と定義していいものかわからなかったのだから。
黙りこくったわたしの反応が予想の範疇だったのか、彼女はいつものように戯けた表情でわたしを見据えた。

「…あは、名前ちゃんも案外ロジカルな人間だったんだね……あたし、そんなんじゃいつか君の構造だって理解できちゃいそうだよ。」

つまらないよ、

そう呟いた彼女の表情は、夜に紛れてうかがうことができなかった。それでも、あの時の志希の、ぞっとするくらい冷たく響いた最後の言葉だけはずっと覚えている。

「じゃあね名前ちゃん。元気で、」



そうしてわたしはといえば、ふらふらと大学を卒業した後に日本へ戻り、仕事終わりには酒を煽りながらテレビを見る日々を送っていたのである。志希のことを思い出すことも減っていた。わたしの中で彼女は、永遠の少女として生き続けるのだ、それも悪くないだろう。


だからこそ、テレビに映った彼女がぐっと大人になっているのを見かけた時には思わず画面に釘付けになってしまったのだ。
それは日本でも有名な音楽番組の1シーンだった。その中に、圧倒的な存在感を誇る彼女が煌びやかな衣装に身を包み、わたしの知らない顔で微笑んでいるのが見えた。

『今回のソロ曲は大人な恋愛ソングですが、志希さんはどのような気持ちで収録に臨んだのでしょうか?』

誰かが嘗て、「猫」と揶揄した悪戯っぽい瞳がカメラを見据えた。そうしてその瞬間、わたしたちは確かに目があった気がした。

『海の向こうの、嘗ての恋人を思い返しながら歌いました、』

そんな言葉で始まった彼女の言葉に、しんと会場が鎮まった。質問をしたインタビュアが言葉に詰まる。そうしてどよどよと会場からどよめきの声があがる。テレビの前で、自分の心臓の音ばかりが大きく聞こえた。

『…あれからあたしは、たくさんの人間を見てきた。たくさんの人間を好きになって、嫌いになって、色んなことを選択して、捨ててきた。』

黙りこくった周囲を置いてけぼりにして、するすると彼女の唇が動く。その瞳は見るものを圧倒する強さと、誰にも自分の芯に触れさせない冷たさをたたえていた。圧倒的だった。

『ねえ、あたしは人の強さを知ったよ。あの頃あたしが蔑ろにしてきたものに、そうして君との思い出に、傷つけられたり助けられたりした。でも今はそれすら……愛なのかもと思う。』

しん、とした会場に志希の鈴のような声だけが響いた。トドメ、とでも言いたげに彼女は最後にその目を緩めて微笑んでみせる。

『もう間違わないよ……… だから、もう行くね。』

じわりと視界が歪んだ。カメラを真っ直ぐに見据えた志希が優雅な動作でステージへの階段を上がって行くのが見えた。
自分ではない誰かによって作り上げられた一ノ瀬志希が、自分でない誰かが履かせたガラスの靴でしっかりと歩いて行く。

あの頃、何処にも行けなかったわたし達は確かに今、互いのいなくなった世界でしっかりと根付き、足を踏み出している。もうきっと彼女は振り返らないだろう。新しく根を張った場所で、彼女はわたしの知らない顔をしてわたしの知らない酸素を吸って生きてゆくのだ。

それでも、と思う。それでも泣きたい時にふと思い出すのは、あの小さくて柔らかい体温と寄り添って眠った、遠い夜の思い出なのだ。ああ、志希。あなたもそうだったならいい。あの夜の思い出が、あなたの今を温めてくれるなら、それでわたしはもう何も要らない。

よるべのないわたしたちの、あたたかくて少しさみしい、遠い夜の話。


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